第7話 変速の魔眼
原作のカルマ・レイヴンについて補足しよう。
カルマというのはもう非常にどうしようもない人間である。この世界における超トップ層である貴族男子の横暴な振る舞いは基本として、空気を読まないし、禁止されていることも平然とやるし、そのくせ責められた場合も自分の非は絶対に認めない。
一番最悪なのはこっちがヒロインと交流してる時に混ざってくることだ。マジであのシーン必要ある? 邪魔すぎるだろ。開発側はどういう意図であれ入れてんの? レビューでも『面白いゲームだったけど悪役貴族がキモすぎるので☆-1』とか書かれてたくらいだ。
そんなクソ要素てんこもり詰め放題セットなカルマだが、実は一個だけ特殊な能力を持っている。
それが【変速の魔眼】だ。
【魔眼】と言うのは『尻ア』では幾つかのキャラが持っている隠し要素で、物語後半になってくると覚醒して使えるようになる。ほとんどは強力な能力を持っていて、使える前と後では評価がガラッと変わるキャラもいる。
カルマはそんな魔眼を最初から持っているので、鼻高々に自慢しているシーンもよく見た。たしかに魔眼は強い。世界観設定でも強力な能力を持つと説明されている。
しかしカルマの魔眼は、プレイヤーからすると鼻で笑うような物であった。
【変速の魔眼】の能力はこちらの素早さステータスを少し下げるだけだったのだ。
『尻ア』はターン制バトルで、一ターンに一回は行動できる仕様なので、素早さが下がっても大きな影響はない。というかカルマが素早さを下げた所で他の行動がカスなので、できることは何もない。
そんな地味な魔眼を自慢していたカルマはさぞ滑稽であったが――。
今、アイビーの前で使ったこの魔眼の能力は、想像とはかけ離れていた。
(おい――なんだこの視界は)
変速の魔眼を発動した途端、どろりと透明な壁でも剥がれたかのように視界が切り替わる。
それはまるで昔の白黒映画のような視界だった。
ダンジョンの入り口前、アイビーが敵意を籠めて俺を睨んでいる。その頭上には順番に射出される無数の
灰色のゼリーに飲み込まれたかのようだった。
音が遠退き、視界は灰色で、全てがスローモーションで動いている。
(これが変速の魔眼の効果なのか?)
相手の素早さを下げるだけだったはずだ。視界が切り替わるなんて説明は無かった。でも、今、こうしておかしなことになっているのは、魔眼の効果以外にありえない。
今なら、ピンチでも落ち着いて対応できる。
先んじて、目の前にある危機は氷の槍だった。悩む暇は無さそうだ。俺の体もスローモーションの中に取り込まれている。たぶん、見えている時間間隔が伸びているだけで実際の速度は変わっていない。
あの雨みたいな大量の槍を避けれるのか?
たぶん――できる。
よく見れば、氷の槍は隙間なく放たれているわけじゃない。まばらに飛来して、ところどころには人が一人通れるくらいの空間が開いている。あの空間を通路のように辿っていけば、きっとやり過ごせる。
というかやるしかない。
(動け……)
先に飛来する氷槍と氷槍の隙間に体を持っていく。
スローモーションの中にいるせいで動作が非常に緩慢で遅かった。
(動け……!)
でも、足りる。必要なのは隙間の見極めだ。体を動かす幅は大きくはない。
(動けぇ……っ!)
そうして氷槍が俺の体の横を通り抜ける。
割れる音すら遅い。すぐ次の槍が迫る。それもギリギリの所で避けていく。
次も。紙一重を繰り返していく。次も。肌が裂かれるくらいは許容範囲でいい。次も。半分を越えた。次も。次も。次も。何とか避けて。
◇
「――嘘」
急に眼の奥に熱を感じて、思わず目を閉じたら視界が戻っていた。
もう色褪せてもいないしゼリーみたいでもない。現実の時間だ。
「い……一体、何が起きたわけ?」
戻った視界の先でアイビーが目を丸くして凍り付いている。
氷の槍はもうどこにもない。足元では俺を貫き損ねて割れた氷が溶け始めていた。
「嘘よ……あの量を全部躱されるなんてあるわけない!」
普通はそんなこと起こらないんだろう。単純に攻撃を受けて終わりだ。
それにたぶん――正しく魔法を使っていたら、俺も避けられなかっただろう。
息を吐いて強張っていた肩の力を抜きながら、アイビーに尋ねる。
「……今の、ほとんど見せかけの攻撃だったろ?」
「なっ……」
「本命が一個か二個。あとは全部ブラフっぽかった。突っ立っててもたぶん一個か二個くらいしか当たらなかった気がする」
俺はその本命を避けたせいでブラフも全部避けるはめになったわけだが。
仕方ないよね。怪我したらアイビーのメンタルが怪しいし。
「そこまで見切られていたの?」
「たまたまな」
本当にたまたまだ。詰み状況だから最後の足掻きで発動した魔眼が、まさか時間感覚を加速する効果があるなんて知らなかった。偶然できたと言う他ない。
……本当にわけがわかんないな。カルマの魔眼にこんな効果があったのか?
疑うように俺を見ていたアイビーが、やがてがくりと肩を落とした。
「……はぁ。やめね。やめ」
「何が?」
「アンタを止めようとしても止められないってわかったわ」
そう言って呆れたような目を向けてくる。
「その実力があって、どうしてなんでスライムをクッションにするみたいなせこい商売してるわけ」
そういえば始まりはそれだったな。その勘違いも正さないと。
「だから本当にスライムは倒してただけだって。学園入学前に一応お試しでモンスターと戦いたかっただけで」
「…………そうなの?」
「…………そうです」
じーっと見つめてくるアイビーの目を気まずく見返すこと数秒。
「なんだ……じゃああたしの勘違いだったんだ……またやらかしちゃったなぁ……」
力が抜けたように地面に腰を落とす。
(――あっ)
その瞬間、見てはいけないものを見てしまって咄嗟に顔を逸らした。
「ごめんなさい。あたしいつも肝心な所で先走っちゃう癖があって」
「あっ、はい」
「おばあ様みたいになりたい……って思ってるけどいつも詰めが甘いの」
「さ、左様ですか」
「ねえなんか返事雑じゃない? ……ってちょっと。なんで目逸らしてるわけ?」
「いや、えっとですね」
視界の端に、スライムのどろどろになった体液が地面に落ちていくのが見える。
なるほど。現実になるとこういうこともあるのか。
「何? 勿体ぶらないでさっさと喋ってくれる?」
視界の隅でスライムが跳ねるのを見つつ、頭の中で原因を順番に思い浮かべる。
まずアイビーがここに来た時。
【フロスト・ウィンド】で凍らせたスライムが壁で弾けて、砕けたスライムの欠片が俺たちの上に降りかかる。
次に戦闘中。
戦っている最中に少しずつ服にくっついた欠片が溶けて、アイビーの制服にスライムの体液が満遍なく付着する。
そして大切な事なので何度も言うが。
スライムの体液は、服だけを溶かす効果がある。
「服溶けてるけど、大丈夫か……?」
「へ?」
呆けた声を出したアイビーが視線を落とした先。
そこにはスライムによって露出が増やされたもはや服の体を成していない制服があり、
「ひゃっ──」
瞬時に顔を真っ赤にしたアイビーが、俺の腹に重たい杖をフルスイングした。
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