第4話 はわわアサシン ノエル
マグノリアとの出会いから少しして。
俺は疲労を抱えながらダンジョンへと歩いていた。
疲労と言っても、身体的な物じゃない。メンタルである。
(……まさかいきなりマグノリアと会うとは)
歩きながらさっきの最悪な偶然を嘆く。転生初日からバッドエンド三人衆に会うなんてあるのか。この学園、現時点でも相当人がいるはずなんだが。その中で一割にも満たない地雷を引き当てるのは、俺の運が悪いのかどうなのか。
今は当初の目的通りダンジョンへと向かっているところだ。入学式は十日後。そこまでにできることを確認しておいて損は無い。いきなりモブの夢は遠ざかっているが、取り返しはつくはずだ。
そんな風に胃にストレスはかかっているけど。
(まぁ……好きだったゲームの世界に来れたって点だけはわくわくするけどな)
ふと立ち止まって、目の前に広がる巨大な学園を見上げた。
まるで城かと見間違うほどの威容で聳え立つ建築物。ここが〈リステリア魔法学園〉の学び舎だ。どんな種族でもどんな血統でも受け入れるために巨大になっているらしい。ここまで巨大になるまでにはそれはそれは長い積み重ねがあった……というのが原作だとちょろっと語られている。
原作はこの〈リステリア魔法学園〉で過ごす三年を舞台にした学園ものストーリーだ。本編にサークル対抗戦にルームメイト制度と、いろいろとイベントは控えている。
(平穏に過ごせるなら学園生活は嬉しい。平穏に過ごせるならな)
原作だと主人公が同じようにしてこの学園の校舎を見上げるシーンがあったはずだ。彼もけっこう重たい過去を背負っていて……ってあれ? もしかしてここ原作とアングル一緒か? もしかして意図せず聖地巡礼してた?
そんな風にうろうろと立ち位置を調整していたのがよくなかった。
薄暗くなった建物の影に、見つけたくなかった人物を見つけてしまう。
「見苦しいぞ。キミはオイラー家を知らないのかい?」
「し、知らないです……っ!」
あーもうめちゃくちゃだよ(絶望)。
絶望で倒れそうになりつつ近くの壁に隠れる。この学園の悪いところが早速出た。デカいせいで人目につかない部分が結構ある。だから原作でもよくあったが、こういう嫌な現場に遭遇しやすい。
視界の先にいるのはひらひら長い茶髪の貴族らしき青年と、そいつに詰められている黒髪ロングの気弱そうな美少女。明らかに男が脅しを掛けてるように見える。でも見た目に囚われちゃいけない。今、命の危険があるのは男の方だ。
この怯えた様子の少女が、俺が会いたくない奴ベスト3。
バッドエンド三人衆の一人――【ノエル・ルナライト】である。
「ごめんなさい……! わ、わたし、急がないといけなくて」
「待ちたまえ! ボクのルームメイトにしてやろうというのにその態度はなんだ?」
「で、でも先生に呼ばれてるので」
「はあ……話を聞いていないのかい? キミに拒否権などないんだよ!」
「……え?」
「いいか。顔も知らないキミ程度の家柄で我が家に歯向かえると思わない方がいい。ボクの意向一つでキミの家の血は絶えるかもしれないんだから」
(あ、それはヤバいぞ……!)
明らかに脅迫めいた台詞。
ノエルがおもむろに顔を上げる。弱々しいままの眼が男を捉えて微かに光る。
「あの、もしかして――」
見覚えがある展開だった。さっきまでならまだよかった。男が詰め寄るのはかなり強引だが、ノエルの中では悪とまで断定できない行為だったのだ。
でも、あいつが言ってるのは明らかに脅迫だから。
「あなたは、わるいひとですか?」
(ノエルに悪人認定されてるぞあいつ――!)
彼女が呟く悪人認定。これは事実上の処刑宣告だ。
――原作におけるノエル・ルナライトとは。
気弱そうな見た目とは裏腹に、とある組織に戦闘技術を仕込まれた暗殺者である。生まれながらに才能があり、幼い頃から厳しい訓練を受けた結果、見た目にそぐわず実力は一級品だ。
原作でも【隠蔽】からの【急所突き】のコンボが強力だった。ヘイトを大幅に下げる【隠蔽】と、ヘイトが低いほど即死効果の出やすい【急所突き】。中ボスくらいならかなりの確率で速攻倒せるのでタイムアタックでよく使われるキャラだ。
ルートに入ると、人付き合いが下手だけど穏やかな彼女とのほっこりしたストーリーが描かれる。ノエルがだんだん打ち解けて、強張っていた笑顔が自然に切り替わるのは素晴らしい演出だった。
しかし――もちろんそんなノエルもバッドエンド三人衆の一人。
ノエルルートは些細な選択肢のミスで、がくんと好感度が落ちる。落ちた好感度を上げるのがまた難しいのだ。そして下がりに下がった結果起こるのが、『あなたは、わるいひとですか?』の台詞と共に始まる処刑イベントである。
その台詞を聞いた瞬間、画面がブラックアウトして目の前にいたはずのノエルが消える。部屋に痕跡もなく、パーティに編成しようとしても姿形もない。まるで最初からいなかったかのように忽然と消える。これは一体どういうことなのか……? とうろうろそこら辺を探索していると――突如背後から首を切られて終わる。
なんのホラゲーだよ、という感じのバッドエンドだ。ノエルが消えてからの間になんとかデスを免れないかとプレイヤー達は足掻いたものの、いついかなる場面でも殺されることが判明して終わった。ラスボスと戦ってても殺されるくらいだ。なのでついたあだ名は『主人公絶対殺すマン』という身も蓋もないもの。
というわけで――今まさに貴族の青年は殺されようとしているのだった。
殺されようとしてるのに流石に見逃すわけにはいかない。オイラー家と名乗っていた青年だが、原作では全く出現しなかった。もしかしたらこの時点でノエルに殺されてたのかもしれないし。
「――お、おぉ~い! そっ、そこで何してるんですかぁ~?」
馬鹿なフリをして間に割って入っていく。めっちゃ声震えてヤバい。ノエルの目が怖えーんだよ。うっすら細められた瞳。突然現れた闖入者の様子を窺おうといったところか。原作思い出すからやめてくれ。
「……なんだいキミは。今ボクはこの子をルームメイトに勧誘している所なんだが」
「ってあれぇ! オイラーさんじゃないですかぁ! よかったちょうど探してたんすよ! 学園長が呼んでましたよ!」
「なに? 学園長が?」
「はい! なんかオイラー家のご子息にお似合いの方がいるとかで……」
「…………フン。そうか。学園長を待たせるわけにはいかないな」
手をもみもみしながら言うと、青年が口元を釣り上げて礼も詫びもなく立ち去っていく。女をあてがってもらえるとでも思っているのかもしれない。すみません学園長。適当にあしらってください。
(さて……)
あんな雑魚貴族はどうでもいい。今どうにかすべきはこの劇物ヒロインだ。できればもう命を救ったのでさらっと立ち去りたい。
「じゃ、じゃあ俺はこの辺で」
「待ってください……」
流れで逃げようとしたら追いかけてきて引き止められる。細い声音なのに袖掴まれてて怖い。そう、ノエルは気弱そうに見えるが別に内面は気弱じゃない。結構ぐいぐい来るタイプだ。
ノエルが上目遣いで俺を見上げる。
「今……助けてくれたんですか?」
「い、いや……」
「助けて、ない……? じゃあ一体何を……?」
逃れようとする前に、するりと距離を詰めてくる。顔が近い。いわゆるガチ恋距離というやつだ。たしかに、ノエルは可愛い。幸薄そうな、庇護欲を掻き立てるような顔立ちをしている。でもその光彩が黒ずんだような瞳は全然かわいくない。
一回手を放してくれよ。こちとらお前に数十回はバッドエンド食らってるんだ。
「たいしたことじゃない。危なそうだから割って入っただけだ」
危なかったのは男の方ですけどね。
「どうして、ですか……? あの人、きっと有名な家の人だと思うんです。それなのに……」
まずい。フラグが立ちそうな予感がする。原作でも主人公は完全な善意でノエルを助けてフラグが立つのだ。俺は目の前で一方的な殺戮を防いだだけなので、助けたのはあっちの男の方である。
「い、いやいやいや、本当に何も気にする必要はないから。た、たまたまだよ。たまたま。丁度散歩してたら見えただけで。本当に今日のことは忘れてもらっていいよ何も気にしないでマジで……」
「そんな……」
「ほ、本当に! 本当に何もいらないからな! ――じゃあな!」
ノエルがなぜかたじろぐように目を泳がせた。両手を押し付けるように念押しして、その隙に今度こそしっかり逃げ出す。伝わってくれよ、俺の気持ち。
背中に突き刺さる視線を感じながら、俺はこそこそと場を離れるのだった。
◆◆◆
ノエル・ルナライトは困惑していた。
(この人は、どうして私を助けてくれたんだろう)
わるいひとに絡まれていた所を、追い払ってくれた彼について。
なぜ? どうして? わたしのようなハグレ者を助けてくれるこの人はなんなんだろう。
世界にはわるいものが溢れている。
私が育った孤児院ではそういう風に教わった。潰しても潰してもどこからともなく湧き出てくる。キリがないけれど、誰かが潰していかないとわるいもので溢れかえってしまう。だから誰かが潰していかないといけない。
この学園に来た理由もそうだ。同年代の私が一番適任だった。ルナライトという名前もお姉さまが仕えている貴族のもので、借りているにすぎない。組織の考えに賛同してくれる貴族はけっこういる、ようだ。私もそっち側だ。わるいものを潰すのはいいことだから。
そんな目的があるから、さっきの人も潰すべきだと思った。
けど、見知らぬ青年が追い払ったのだ。
「今……助けてくれたんですか?」
「い、いや……」
「助けて、ない……? じゃあ一体何を……?」
彼は視線を逸らしながら答える。
「別にたいしたことじゃない。危なそうだから割って入っただけだ」
「い、いやいやいや、本当に何も気にする必要はないから。た、たまたまだよ。たまたま。丁度散歩してたら見えただけで。本当に今日のことは忘れてもらっていいよ何も気にしないでマジで……」
「ほ、本当に! 本当に何もいらないからな! ――じゃあな!」
理由なんてない、と。何度も念を押すように。
それを聞いてふと、視野が開けた。
今までこんな風に、理由もなく誰かのために動ける人がいただろうか? ずっと、世間にはわるいものばかりで淀んでいると思っていた。でもそうじゃない。こんな風に無欲に尽くせる人がいる。そんなことが、ある? 本当に?
(いいひと、なのかな)
孤児院にいたお姉さまたちは、みんな憧れのようにいいひとに仕えたいと言っていた。私も、わるいよりはいい方が嬉しいと思う。気になる。あの人は本当に純粋な良心で私を助けてくれたんだろうか。
わからない。今の行動だけでは判断できない。
彼をもっと、近くで見て、判別しないと。
「あなたは、どっちなんですか……?」
呟きは誰の耳にも届かず消えていく。
ノエルの薄紫の瞳は、遠ざかっていく彼の背中をじっと見つめ続けていた。
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