3.級友

「よく来たな、林」


 宮本のかすれ声が出迎えた。


「久しぶりじゃん」

「おう、元気にしてたか」


 残りの二人――坂井と野寺も手を振って迎えてくれる。


「な――、お前ら……」


 こちらに向く三人の姿を見て俺は愕然とする。あの時の姿のままだ。小学生の時の――そう、六年生の時の当時のままの背格好。坂井と野寺の二人は声変わり前の子供の声……


 どうして――?


 あまりのことに眩暈がした。頭がくらっとなり、思わず手で押さえる。そこで、気づいた。自分の手が違う。節ばったところがなく皺のないまるで子供のような――


「えっ……」


 自分の両手を見る。やはりおかしい。慌てて自分の体に触れる。

 中年太りでたっぷり脂肪のついた腹部がすっきりしている。どちらかというとやせ過ぎの体躯。


「俺も戻っているのか、あの頃に……」


 間違いない。いつの間にか俺も小学六年の頃の姿に戻っていた。


「どうしたんだよ、林。ぼーっとして」

「お前、東京行っても相変わらずだな」


 彼らが笑いながら肩を叩く。


「えっ…、ああ……」


 違和感があった。明らかに異常事態だ。でも級友たちは誰もそれを感じていない。


「おいおい、これ見てみろよ。俺が彫った落書きがまだ残ってるぜ!」


 野寺が机の一つを覗きながら手招きする。


「ホントかよ」

「もう何年経ってるんだよ」


 宮本と坂井が続く。


「ほら、林も見てみろよ」


 毎日会っている友人に掛けるようなその呼びかけに、感じていた違和感が解け始めた。記憶が過去にさかのぼる。


 教科書の匂い

 チョークの粉

 古い木造校舎の軋み

 教室の隅に置かれたダルマ


 どれもこれもが、俺の記憶の奥底に眠っていた風景だった。

 いま俺は小学六年生……


「ああ、どれだ?」


 自然と体が動き、級友たちの元に歩み寄った。


『目指せJリーグ!』


 机に掘られた文言に、野寺がサッカーが得意だったことを思い出した。それが呼び水になったかのように忘れ去っていた思い出が次々に蘇ってくる。

 気づけばあの当時と同じように四人でくだらない話をして笑いあっていた。まるで時間が巻き戻ったよう――いや、もともと大人になったのが夢で、そのまま小学生の時を過ごしているかのように感じていた。


 楽しい。このままいつまでも四人で遊んでいたい。

 でも――何かが引っかかる。脳裏の奥に、黒い靄のようなものが渦巻いている。

 俺は……何を忘れている?


 ふと、宮本が椅子を蹴って立ち上がった。


「おい、鬼ごっこでもしようぜ!」

「いいな、それ! 教室から出るのは無しな!」

「じゃあ、林が鬼ね!」


 俺が抗議する間もなく、三人は笑いながら教室内を駆け回る。

 俺も仕方なく立ち上がり、追いかける。

 そうして、何も考えずに笑いながら鬼ごっこを続けていたが――


 ガシャン!


 足を滑らせた宮本が、教室の隅にあるストーブへと突っ込んだ。

 次の瞬間、鈍い音とともに、ストーブが倒れる。


 赤い炎がゆらりと立ち上り――宮本の服に燃え移る。

 冬の化繊を含んだセーターが一瞬で炎に包まれ、坂本が苦しげに叫ぶ。


「ああ、熱い!」


 その光景を見て、封じられていた記憶が一気に蘇った。


 知ってる、俺はこの光景を知っている――


 俺の脳裏に、三十二年前のあの冬の日の記憶が鮮明に蘇った。そうだ、あの日も、俺たちは放課後こうして教室で遊んでいて……


「宮本!」

「大丈夫か!」


 野寺と坂井が慌てて宮本に駆け寄る。


 ダメだ! 行っちゃだめだ!!


 俺は知っている。この後何が起こるかを。慌てて手を伸ばし叫ぼうとしたが――


 ボン!


 漏れ出ていた灯油に火がついて、爆発的な燃焼が起こった。今までとは比べられないほど大きな炎が教室の天井を焼く。それに巻き込まれる野寺と坂井。


「ああっ!」

「熱ーいっ!」


 級友たちの悲鳴が重なる。

 しかし俺は動けない。そう、あの日と同じ、恐怖で身動きできなかった。


 炎にのまれる三人。


 ああ、あああぁ、やめてくれ、思い出させないでくれ――!


 廊下にいた人間が騒ぎに気付き教室を覗いた時は全て手遅れだった。立ちすくむ俺を引っ張り出すだけで、三人はそのまま炎の中に取り残された。

 その後の記憶は俺にはない。ないものは思い出せない。ただ、消防車と救急車の赤色灯が薄暗くなった校庭を赤くキラキラと照らし出していたのを覚えている。校庭の隅には雪が残っていたっけ。その白にも赤い光が反射して、やけに綺麗だった……


「あ、ああ、あああぁぁ……」


 忘れていた。全て、忘れていた。友人を助けられなかったその悔恨の念に心が押しつぶされないように、すべての記憶に封をした。

 卒業を前に転校したのは親の都合ではなく俺の為だった。そんなことすら覚えていなかった。


 燃える、燃える、教室が燃える――


 これはあの日の光景? いや、こんなに火が回る前に俺は助けられた。こんなのは記憶にない。


「ああ、助けてくれぇ、林ぃ……」


 赤い炎の中から手が伸びてくる。黒い人影。誰だか分からない。燃え上がり黒炭のようになった人の姿。更にもう一つ、続けてもう一人。黒く煤けた人影が炎をまといながら近づいてくる。


「あ、ああ、すまない…、本当にすまない。助けられなかった、俺一人だけ、生き残った――」


 涙があふれる。恐怖というより後悔の念で、その場にひざまずいた。いつの間にか大人の姿に戻っていた。白髪が目立つ頭を深々と下げる。


「宮本、野寺、坂井――、すまなかった。本当に……」


 床に涙がぼたぼたと落ちる。俺はどうすればいい。どうすればよかった?

 答えなど出ようはずはない。これは過去。もう起きてしまった出来事。変えることなどできない――


「頭を上げろよ、林」


 宮本のかすれ声に顔を上げる。すると、室内の炎が消え去り、普通の姿の級友三人が目前に立っていた。


「え……」


「思い出してくれたんだな、俺たちのこと」

「別にお前を責めちゃいないさ、事故だったんだから」

「ただ、忘れたままってのが寂しくてな……」


 宮本が、野寺が、坂井が、ニッコリとほほ笑む。


「もう忘れないでくれよ、俺たちのことも、この学校のことも――、じゃあな、林」


 その言葉と共に三人姿が空気に溶け込むように消え去り、静寂が戻った。先程までの記憶にある教室とは違う古びた室内。壁紙ははがれ、床は薄汚れ、机や椅子は乱雑に散らばっていた。


「みんな……」

 どんな言葉をかければいいのかわからずに、ただ目を閉じた。瞼の裏に映る三人の姿。


 忘れない、もう二度と忘れない。俺の大切な親友たち――


 ああ、そういえば今日だ。彼らの命日は。あれから三十二年――そうか丁度三十三回忌だ。

 俺はそっと手を合わせ、亡き級友たちの冥福を祈った。



おわり


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廃校になった母校を訪れてみたら よし ひろし @dai_dai_kichi

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