遺書
文学少女
二〇二五年二月十三日、昼下がり
二〇二五年二月十三日、昼下がり、私はベランダでたばこを吸っていた。私は家でたばこを吸うことを親に禁じられているので、ベランダに出て、座ってたばこを吸うようにしていた。近頃は大きな寒波が来ていたことから、凍てつくような寒さに凍えながらベランダでたばこを吸っていたのだが、今日は日が出ていることもあってか、穏やかな温かさが感じられ、ベランダの床も冷たくなく、人肌のような温かさを感じた。見上げると、黒い電線の奥にしっとりとした水色の空が広がっていて、そこにまだらに雲が浮かび、日の光を浴びて輪郭を黄金色に輝かせていた。美しい空だった。ヘリコプターのプロペラの音が、どくどくと鼓膜を揺らしていた。私は考え事をしながら、ベランダの床、室外機、多くの吸い殻が溜まっている灰皿を眺め、たばこを吸っていた。穏やかで温かい天気の中でたばこを吸うのは、とても心地のよいものだった。私の心には優しい平穏が訪れていて、常日頃戦慄している私の精神に、温かい平和がそっと訪れているように感じた。私は幸福だった。そこで、私は遺書を書こうと考えた。遺書というものは、もっと緊迫した状況の下で書かれると、この遺書を読んでいるあなたは考え(実際、私もそうであった)、こんな私を不思議に思うだろうが、少なくとも私の場合、緊迫した状況ではなく、その末にある平和が、私に遺書を書かせたのだった。先人たちが書き残した多くの遺書も、このように書かれたのかもしれないと、私は思った。
私はこの遺書を一人の人間に宛てて書いている。その一人は明確に述べなくても、その人自身がわかるであろうから、わざわざここに書き記さない。一人の人間に宛てていると言ったが、私はそれと同時にあらゆる人に向けて書いている。これは矛盾ではない。時として、小説などでは、一人の人間に向けて書いたものが、多くの人の心に届くという現象が起こる。全として個。個として全。私のこの遺書も、そんなものではないかと考えている。このような前置きや、本筋に関係のない話が長くなることを許してもらいたい。これから私が死ぬ上で、何かを書き残そうと思うと、漏れがないようにと神経質になってしまうのだ。この遺書が誰かに読まれる頃には私は死んでいるので、漏れや誤解がないように、多くの言葉を尽くそうとしてしまう。それでこそ私、とも言えるかもしれない。
私を語ろうと思うと、私の頭に浮かんでくるのは、一人で積み木遊びをしている光景である。周りの人たちがみな友達と楽しそうに遊んでいる中、私は、緑色の長方形の積み木の上に赤色の三角錐の積み木を重ね、積み木の城を熱心に築き、私の世界に没頭していた。今でも私というものを貫いているのは、この積木の城の記憶であり、閉鎖的な私の世界である。私は、私の世界という殻の中に閉じこもり、城を築いていた。私の世界とはボルヘスの「バベルの図書館」であり、ダンテの「神曲」の九階層の地獄であり、カポーティの「夜の樹」の列車であり、カフカの「変身」の部屋であり、安倍公房の「箱男」の箱であった。私にとって小説を書くというのは、幼い頃の積み木遊びように、私の城を築くことに他ならなかった。私の中にいる幼い頃の私は、今でも熱心に積み木で城を築いている。私だけの世界。安らぎの世界。真っ暗で、確かに塞がれているのだが、闇はどこまでも無限に続いていて、一歩の蝋燭が、朱色の光をさみしく灯している。私は、私の城を破壊することが出来なかった。破壊したいと望み、破壊されたいと望み、私はひとりでただ一本の蝋燭を眺めていた。
私はよく自殺について考えていた。自殺という現象に対して、幼い頃から、私は興味を抱き、惹かれていた。生存し、子孫を残すことを目的としている生物にとって、自ら命を絶つという行為は、大きな矛盾を抱えており、それゆえに私は興味を抱いた。ここに、かつて私が書いた自殺に関する文章を載せる。「自殺を美しいと感じるのは、僕だけだろうか。自ら、自分の命を絶つ。これは、生物の摂理、自然の摂理、世界の摂理に背いているように思う。そこが魅力的だ。自殺するその瞬間、人は世界の理から抜け出し、本当の意味で自由になれる。生きることを目的とする生命が、自らの意志によって死を選ぶ。不思議で、魅力的だ。惹かれずにはいられない。三島由紀夫の最後を知ったとき、なんて美しいのだろうと思った。演説をし、主張を叫び、切腹をして、生涯に幕を閉じる。こんなに美しい死に方が、他にあるだろうか。夫婦が力強く心中を遂げる「憂国」を読んだとき、夫婦の死にざまに、僕は感動を覚えた。」私の問題は、ただ一つ、自殺だった。
「真に重大な哲学上の問題は一つしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。」
私の頭には、ちらちらと、カミュのこの言葉が浮かんでくるのだった。自殺する生物は異常だろうか。しかし、異常というには、あまりにも多くの人が自殺という手段を選んでいる。キリスト教では、自殺は罪とされているし、それに限らず、自殺を罪と考える人は少なくないだろう。だが、私にとっての自殺は、寺山修司の「青少年のための自殺学入門」にある次の言葉でしかなかった。
「自殺は、あくまでも人生を虚構化する儀式であり、ドラマツルギーに支えられた祭りであり、自己表現であり、そして聖なる一回性であり、快楽である。」
私の頭に初めて自殺という文字がよぎったのは、十三歳のことだった。その頃、私は理不尽という壁に取り囲まれていて、その壁が私の心を押しつぶし、疲弊し、私の頭が黒い憂鬱に侵食された。そして、私の視界に、半透明の三日月が浮かぶようになった。その三日月は、視界の隅に浮かび、微生物のように輪郭をうねうねと動かし、ちかちかときらめく。これは芥川が「歯車」と呼んでいたものであって、激しい頭痛と吐き気の前兆だった。頭を締め付けるような波打つ頭痛と喉に込み上げてくる吐き気が周期的に訪れる恐怖が、私に自殺という選択肢を与えた。「歯車」の最後の一文は、私を殴るようであった。
「だれか僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」
私にとって、生きるということは、精神を削り疲弊するということであり、私はそれから解放されたかった。だが、不思議なことに、私は苦しいから死ぬのではない。私がこの遺書を書き始めた動機のように、私の心に温かい平和が訪れ、胸に幸福が広がったから死ぬのである。寺山修司によれば、ノイローゼで首を吊るのは病死であり、貧乏に追いつめられてガス管をくわえて死ぬのは政治的他殺であるという。私は今、そのどちらでもない。私は自殺のライセンスを得たことになる。私は、私が最も愛する小説「ハイライトは蒼く燃やして」の、池野の言葉を思い出さずにはいられない。
「実はチベットにいたとき、旅の途中でギターをもらったんだ。もう何十年も前のアコースティックギターだ。使わないからあげると言われてね。今も背中に背負ってるよ。それで、そのときにおまえの言葉を思い出したんだ。何か形にしろって。ひらめいたよ、俺は音楽を作ろうと思ったんだ。そしてさっき、曲ができた。
イーストボーンの崖にいると言ったよな? 実はその崖の前には、広い芝生が広がってるんだ。俺はそこでギターを広げて、自然の語りかけるままに音楽をつづった。俺の知りうる限りのコードや、ペンタトニックで。適当にな。そうしたら、今まで聞いた中でもっとも美しい曲ができたんだ。俺は不思議に涙が出ていたし、通りすがりの親子が笑ってくれた。そうしたらな、もう俺の人生はここで終わってもいいような気がしたんだ。いままで悩んだことや、苦痛に抗おうとしていたこと、そのすべてがどうでもいいように思えたんだ。すべてが赦されたように思えた。俺はこの瞬間、この音を出力するために生きていたんだと思えたんだ。……だから、死のうと思う」
私はこの池野が言っていた、すべてが赦されたと思える「音」を求めて生きていた。そういう小説を書くために私の人生はあり、そのために小説を書き、生きていた。しかし、私を赦したのはたった一本のたばこだった。私の人生とは、その程度のものなのかもしれない。私は「音」を見つけることが出来なかった。いや、この遺書が、その「音」ということになるのかもしれない。
私はどのような手段で死ぬのか、それはまだ決めていない。焦らずゆっくりと考えるつもりである。遺書を書いたからといって、今すぐ死ななければいけないということはないのだから。とりあえず、ベランダでたばこを吸いながら考えてみようと思う。
遺書 文学少女 @asao22
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