箱庭に響くオルゴール——記憶のない私は、優しい嘘に囚われる

フミくんとわたし

序章: 無音の世界に、ひとしずく

 世界は、静かだった。

 ひどく、痛いほどに。


 朝が来て、夜が訪れ、人々は言葉を交わし、感情を揺らす。

 けれど、僕の中には何ひとつ響かない。


 僕は、水槽の中に閉じ込められた魚だ。

 遠い世界を眺めながら、それでもどこへも行けず、ただそこにいるだけの存在。


 味気ない日々。実感のない時間。

 誰かの笑い声も、風に揺れる木々のざわめきも、僕にとってはただのノイズでしかなかった。


 ——けれど、あの瞬間。


 「ふふっ」


 その音が、静寂を破った。

 それは、彼女の笑い声。


 あまりにもささやかで、何の意味もないはずの、ただの微笑みの欠片。

 なのに、それは確かに僕の世界を揺るがせた。


 耳ではなく、心の奥深くで、確かに響いた。

 まるで、長い間閉ざされていたオルゴールの蓋が開き、最初の一音がこぼれ落ちたように。


 その音を聞いた瞬間、僕は悟った。

 これは、ただの始まりだ。


 この旋律の続きを聞かなければならない。

 彼女という音楽を、すべて知り尽くすまで、決して止めてはいけない。


 何がなんでも、彼女を手に入れなければ——

 そうでなければ、僕はまた音のない世界に戻ってしまうのだから。

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