本心 9話〜10話

9話


 次の日は今日と同じようなスケジュールで過ごした。


 違うことといえば、体育の授業があったくらい。


 だが、うちの高校は珍しいことに体育の授業で男女が分かれることはない。


 過保護すぎるかも知れないが、夕咲を1人にするのはまだ少し心配だ。


 そんなこんなで水曜日、木曜日の授業を乗り越え、今はその放課後。


 勉強会のために俺の家に移動している最中だ。


 夕咲とハルの間にはまだ距離があるが、秋川とはそこそこ話せるようになった。


 ハルも時期になれるだろうし、これなら遠足も楽しく回れそうだ。


 俺はここ最近の生活の順調っぷりにもう少し浸っていたかったのだが、ハルが俺を現実に引き戻す。


「夜凪って苦手教科とかあんのか?」


「え、あぁ……特にこれと言ってはないけど、強いて挙げるなら国語かな」


「だけかよ、せこいぞー」


「別に、せこくない」


「けどなんで? 国語ってなんとなくでも解けるくない?」


「秋川みたいに俺は天才じゃないから」


 というのも、秋川は普段の態度からは考えられないがかなり賢い。


 評定も今まで4以下は取ったことがないらしい。


 なので、今回の勉強会は、主に秋川がハルに、俺が夕咲に教えることになっている。


 まあ、夕咲は少し教えるだけですぐに問題を解いてしまうので、俺はほとんど提出物と睨めっこするだけになるだろう。


「おっじゃましまーす!」


「ご近所トラブルは避けたいから、あまり騒がないでよ」


「わかってるって」


 と言いながらドタドタと走る秋川。


(何もわかってないじゃないか)


「ハル、しっかり見といてよ」


「ハハハ、ワカッテルッテ」


「なんでカタコト? 頼むよ、ほんと」


 最初はバタバタしたが、少し時間が経てば、かなり静かに進んでいく。


 夕咲はわかっていたが、意外にも秋川やハルもこういう時は集中するタイプらしい。


 秋川に関しては本当に意外だ。


 話しながらしたい、とかいうタイプかと思っていたのだけど、どうやら違ったらしい。


 だが、はじまって2時間ほどした頃、


「あーー、もう無理だ。集中できん!」


「うるさい、ハル」


「でも、流石に疲れてきたねー」


「そうですね。私も少し眠く……ふぁ〜」


「そう? ならコーヒー入れるよ。砂糖の量どうする?」


「俺は多めで」


「私もー」


「夕咲は?」


「私は少なめでお願いします。眠気を覚ましたいので」


「わかった」


(俺も少なめにしとくか。眠いし)


 4人分のコーヒーを入れ机に戻る。


「入れたよ。ハル、起きろー」


「ありがとうございます」


「ありがとー」


「サンキュー、夜凪……って苦っ!」


「眠そうだったから、サービス」


「くっそ、まあ、目覚ましにはちょうどいいか」


「夕咲、苦くない?」


「大丈夫です」


「そっか。ならよかった」


「……すみません。やっぱりもう少し砂糖をいただいてもよろしいですか」


 結局苦いのか。


 いや、俺基準の砂糖の量だと流石に少なすぎたか。


 俺が中学の時の眠気覚ましに飲んでいたのは、大体ブラックか、砂糖を入れてもごく少量しか入れないもの。


 なので、普通の人からしたら苦すぎるかもしれない。


 コーヒーを少し口に含んでから立ち上がり、キッチンから砂糖の入れ物を取ってくる。


「置いとくから、自由に入れて」


「ありがとうございます。ですが、どれくらい入れたらいいかわからないので、お願いしてもいいですか?」


「そう? わかった」


 俺は砂糖用のスプーンに半分ほどすくいコップに入れる。


「へ〜……夕咲ちゃんって結構甘えん坊さんなんだ〜」


「甘えん坊、ですか?」


「いらないことは言わなくていい。ハルがまた寝る前に再開しないと」


「はいはい。わかってまーす」


 絶対わかってない。


 が、ハルがそろそろ限界なので早く再開しないと眠ってしまう。


 夕咲も教えて欲しいと目で訴えかけてきている。


「夕咲、わからないとこは?」


「! ここです」


 それからも秋川からの茶化しは続き、その度切り抜けるのは苦労した。


 外もかなり暗くなり時間は8時をすぎた頃、


「くぅー、流石に疲れたな」


 久々に勉強するにしては時間設定が長すぎたかも知れない。


 夕咲も先ほどからうとうとしており、今にも眠ってしまいそうだ。


「私はそろそろ帰らないとなー。潤ー、そろそろ帰ろー」


「んあ? は〜〜、もうこんな時間か」


「寝すぎでしょ。なんのための勉強会なんだか」


「ハハハ、なんも言えねー」


 2人をエントランスまで送り届け、ついでに夕食も買いに行く。


 夕咲は眠そうだったので部屋で待ってもらっている。


 部屋に戻り、リビングまで行くと、


「すぅー……すぅー……」


 気持ちよさそうに寝息を立てている夕咲の姿が。


 起こすのは可哀想だが、


「夕咲、ご飯買ってきたけど、一緒に食べる?」


「んー? あ、すみません。食べます」


「あはは、起こさないほうがよかった?」


「いえ、そんな。ありがとうございます」


 2人で手を合わせて食べ始める。


 いつもはすぐに食べ終わる夕咲だが、今日は疲れているのか、俺が食べ終わってもまだ食べていた。


「結構疲れてるっぽいね」


「はい。すみません」


「謝ることじゃないよ。俺も結構眠いし」


「そうなのですか? あまりそうは見えませんが」


「まあ、多少は慣れてるから」


「慣れている、とは?」


「夕咲が来る前は、結構夜更かししてたから」


「夜更かしとはなんですか?」


「夜遅くまで起きてること」


「月曜日みたいなことでしょうか?」


「ああ、そう。あれみたいなこと」


 少し会話をして目が覚めたのか、夕咲は食べるスピードを上げ、すぐに完食した。


「夕咲、眠いなら先にお風呂入る?」


「夜凪さんがいいのでしたら」


「うん、じゃあお風呂洗ってくる。今日は食器洗いはしなくてもいいよ」


「い、いえ。それくらいはできます」


「そう? 止めはしないけど、気をつけてね」


 ついさっきまでうとうとしていたので少々心配だ。


 しかし、できると言うなら信じてみよう。


 だが、風呂掃除を終え、洗面所のドアを開けると同時にでキッチンから


 パリン


 そんな音が聞こえてきた。


 俺は濡れた手も拭かずにリビングに向かう。


 すると、そこには地面に落ちて割れてしまったコップの前にしゃがみ込む夕咲が。


 その顔はまるで、幽霊でも見たのかというくらいに青ざめてしまっていた。


10話


「す、すみません! 少しぼーっとしてしまって。本当にすみません!」


 夕咲の声は震えており、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。


「夕咲、怪我はない? どっか切れたりとかしてない?」


「い、いえ、私はなんともありません。ですがコップが……」


「コップなんかどうだっていいよ。本当に怪我はない?」


「え? 怒らないのですか? というより怒ってください! じゃないと……」


「こんなことで怒らないよ。コップはまだ何個かあるし、夕咲に怪我がないならそれでよかったよ」


「そんな……」


「いいからいいから、お風呂もすぐに沸くし、入ってきていいよ。破片は俺が片付けとくからさ」


 そう言ってもなかなか動こうとしないので、背中を押して洗面所まで行ってもらう。


 そして、割れたコップの破片を片付けながら考える。


 先ほどの夕咲からは申し訳ないという気持ちはもちろん感じ取れたが、それ以上に怯えているようだった。


 コップ1個割られたくらいで怒るほど、俺の心は狭くないのだが。


 まだまだ信頼が足りないようだ。


 破片を新聞で包み、夕咲が洗ってくれた食器類を棚に片付ける。


 ここまでで20分くらい経ったが夕咲はまだお風呂から上がっていない。


 いつもならもっと早いのだが。


 秋川に普通ならどれくらいかかるのか聞いといた方がよかった。


 いや、それは流石にキモいか。


 少し心配だが、洗面所から話しかけるくらいなら問題はないのだろうか。


 だが、今話しかけたら、急かしているように感じるかも知れない。


 と、そんなことを考えている間に洗面所のドアが開いた。


「! 夕咲、もう少し髪吹かないと!」


 洗面所から出てきた夕咲は心ここに在らずと言った感じで、髪の毛からは水が滴り落ちていた。


 俺は夕咲が持っていたタオルを使い夕咲の髪の水気をとる。


「夕咲、本当に怒ってないからさ。そんな気にしないでいいよ」


「……ありがとうございます。ですが今は一人で反省させてください」


 正直、わかってもらえるまで話し合いたい気分だが、ここで無理やり会話を続けるのはあまり良くないと思った。


 もちろんこんな経験は初めてなので、正しいかどうかはわからない。


 だが、今は夕咲の意思を尊重するべきだと思った。


 こういう時に1人で考えたくなるというのは俺だって理解できる。


「……わかった。じゃあ、俺はお風呂入ってくるから」


 風呂の中でもゆっくり考えてみたが、夕咲を元気にする方法は全く思いつかない。


 こういう時に人はどういうことをして欲しいのだろう。


(俺なら……どうして欲しい?)


 これまでの人との関わりの少なかったせいなのか、この問いに対する答えは全然思い浮かばない。


 俺も夕咲と同じで今みたいな時は1人にして欲しいと思うし、実際、これまでだってそうしてきた。


 お風呂から上がると、すでに夕咲は自分の部屋に戻っていた。


 結局、俺はかける言葉を見つけられないままだった。


 もう夜も遅いからという言い訳を自分に言い聞かせ、眠りにつく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る