ある豪傑の死

えりぞ

ある豪傑の死

 俺が29歳のときに、母親は死んだ。54歳だった。意識を失う前の日の夜に、もう足もおぼつかない母の手を取って、トイレの前まで連れて行った。終わったら二人で手を握って洗面所まで連れて行って、歯磨きをさせ、ベッドに寝かせた。昔、幼いころ、母が俺にしてくれたことを、自分の母にしていた。


 俺の人生は、母親が俺を産んだ意味は、あの夜にあったのではないかと、時々思う。意識を失う前、曖昧な中で、母は俺に「おやすみ」といって寝た。幼いころ、なんども、そういって、俺を寝かしていた。俺が、母親が最後に話をした人間になった。


 自分と最期に「おやすみ」という人間を、産んで、育てた。思うようにはいかなかった。苦しかったことを、俺は知っている。俺が、苦しみを与えていたことを、俺は知っている。俺は母親に、喜びよりも、苦しみを与えたことの方が多いことを、俺は知っている。それは、誤魔化せない。


 もし俺が、23歳の母親に会えたら、結婚すること、子どもを産むことも勧めない。後年になれば、別の人生のほうが向いていたことを、俺も、母親も父親も知っていた。しかし23歳の母はそれを知る由もなかった。「結婚をして、子どもを産む以外の人生があるなんて知らなかった」と話したのは50歳の頃か。


 母親は俺か弟を産むときに出血して、血液製剤でウイルスに感染した。肝炎には気づかず、気づいたら余命が決まっていた。悪かったよ、俺たちが死なせた。まぎれもなく、俺が死なせた。


 死ぬ2週間前に家で倒れて、ホスピスに入った。肝性脳症は進んでいて、もう少し曖昧だったが、俺が病室に入ると先に駆けつけていた弟と俺を手招きし両手で抱いて「産んでよかった」と言った。果たして自然に産んでよかったと思っている人間が、そういうことをするのか、俺にはわからないままだ。


 何年かたち、どうやらあれは俺と弟に「産んでよかったと考えている」と、伝えたかったのではないかと思ようになった。本当のところ母親がどう考えていたのかはわからない。しかし少なくとも、俺たちにはそう思って貰いたかったのだろう。


 以前はよくみていた母親の夢を見ることはめっきりと減った。あれから俺には娘が2人現れ、彼女と同じ親になった。彼女のほんとうの気持ちや、ほんとうに望んでいた人生について、今もときどき考える。それと同時に、娘たちの人生を考える。


 なにかがつながっている。彼女がいて、俺がいて、娘たちがいる。母親の夢は今もたまに見る。笑顔で、まだ生きていて、元気だ。「生きてたのかよ」と俺は話しかけることがある。夢の中の母親は曖昧に笑う。


 起きると消えている。いつか俺が消えたとき、ふたたび会えたりするのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ある豪傑の死 えりぞ @erizomu

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る