第2話 桜の花びら

新学期が始まって数日が経った。


桜はすぐにクラスに馴染んだわけではなかったけれど、それでも周囲の子たちと少しずつ話せるようになっていった。

俺とはというと、相変わらず奇妙な感覚を抱えたままだった。


「陽向くん、これ」


ある昼休み、桜が俺の机の上に何かを置いた。

それは、小さな桜の花びらを押し花にしたしおりだった。


「……これ?」

「作ったの。綺麗だったから」


桜の花びらのしおり。

透明なフィルムに挟まれたその花は、まるで時間が止まったかのように色を残していた。


「桜、好きなの?」

「うん。……でも、なんで好きなのか、分からないの」


桜は微笑んだ。

それはどこか、懐かしいような、切ない笑顔だった。


「昔から、春になるとすごく寂しくなるの。理由は分からないけど、桜の花を見ると、涙が出そうになる」


「……」


俺も、それに似た感覚を持っていた。

春が来るたびに感じる「思い出さなきゃいけない何か」。


そして――桜の顔を見ていると、ふと、脳裏に奇妙な映像が浮かんだ。


夢の中の光景。


桜並木の道を、一人の少女が歩いている。

振り返ったその顔は――今、目の前にいる桜とそっくりだった。


「春にまた会おう――」


どこかで聞いたことがある声が、静かに響く。


「――っ!」


意識が現実に戻る。


(今のは……?)


今まで見たこともない記憶が、なぜか心の奥から浮かび上がった。


俺は、目の前の桜をじっと見た。

彼女もまた、不思議そうな顔をしていた。


「陽向くん……?」


「いや、なんでもない……」


でも、胸の奥で、確信が芽生え始めていた。


(俺は、この子を知っている)


(前世で、きっと――)


風が吹いた。

桜の花びらが、二人の間を舞い落ちる。


昼休み、桜から渡されたしおりをじっと見つめる。

透明なフィルムの中に閉じ込められた桜の花びらは、今この瞬間にも散ってしまいそうな儚さを持っていた。


「……ありがとう」

「うん。陽向くん、本読むの好きでしょ? だから」


桜はふわりと微笑んだ。

彼女の笑顔を見ていると、不思議な気持ちになる。


(どこかで見たことがある気がする)


初めて会ったはずなのに。

なぜか、何度もこの顔を見たことがある気がする。


「桜、前の学校では、どこに住んでたの?」


何気なく尋ねると、桜は少し考えてから答えた。


「……ちょっと遠いところ。私、小さい頃から転校が多くて」


「そうなんだ」


「でもね、不思議なの。ここに来たとき、すごく懐かしい感じがしたの」


「懐かしい?」


「うん。道を歩いてても、なんとなく“知ってる”気がするの。初めて来た場所のはずなのに」


俺は息を呑んだ。

それは、俺がずっと春の季節に感じていたことと、どこか似ている。


桜は、小さく首を傾げた。


「ねえ、陽向くんは……こういう経験、ない?」


「……あるよ」


驚いた顔をする桜。

俺は続けた。


「春になると、いつも何かを思い出しそうになる。でも、それが何か分からない」


「それって……」


桜は言葉を切り、じっと俺を見つめた。


「ねえ、陽向くん。私たち、前にも会ったことがあるのかな?」


その言葉が、胸の奥に突き刺さる。


(もし、それが本当なら……)


(俺たちは、一体どこで? いつ?)


答えは分からない。

でも、確かに何かが繋がりかけている気がした。


ある日の放課後――


その日、俺は桜と一緒に帰っていた。


春の風が吹く中、俺たちは学校近くの公園を歩いていた。

桜の木が並ぶその道を歩きながら、桜がふと立ち止まる。


「この場所……」


「どうした?」


桜は、どこか遠くを見るような目をしていた。


「ここ、知ってる気がする」


俺も同じだった。

この公園には何度も来たことがあるはずなのに、今日に限って違う感覚があった。


まるで、ここで何か大切なことがあったような気がする。


「……なんでだろうね」


「分かんない。でも、なんかさ……ここで、何か話した気がするんだ」


そう言った瞬間、俺の頭の中で何かがよみがえった。


――白い着物を着た少女が、桜の木の下で微笑んでいる。


「春にまた会おう」


その声は、誰のものだったんだろう。

けれど、俺はそれを知っている気がする。


「……陽向くん?」


桜の声に、意識が引き戻される。


「いや……なんでもない」


「そっか」


桜はもう一度公園を見回し、目を細めた。


「……ねえ、陽向くん」


「ん?」


「私たち、本当に……前にも会ったことがあるのかもしれないね」


俺たちは、春風に吹かれながら、そっと桜の花びらを見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る