第9話
突然、目の前の緑が開け、キラキラした表面が見えた。
水だ。
本でしか見たことのない風景。小さな湖がそこにはあった。
「うわぁ……素敵な場所ね」
ベリーは疲れも忘れ、駆け寄った。
湖に近づくと、その透明度に驚かされた。ベリーは、ひたすら感動していた。頭の中で比べているのが屋敷にある噴水のたまり水であったり、クレイスの水たまりであったり、なのだから。
「触ってもいいかしら?」
「ええ。もちろんです」
ベリーは、ほとりにしゃがみ、優しく両手で水をすくった。掌がくっきり見える透明感。指の隙間からこぼれ落ちる水のやわらかさ。何回、同じ動作をしても飽きなかった。
「我々はみな、あそこで生まれます」
ハリーが、湖の中央を指差し言う。
指の先には小さな浮島があった。さらにその浮島の中央には大きくドーム状に枝を伸ばした低木があった。
よく目を凝らしてみると、女性が一人座っていた。
「彼女は、現在、唯一の卵守りです」
「卵守り?」
樹に寄りかかるようにして座っている女性は、黒く長い髪の毛を大地に這わせていた。その髪に囲まれた場所に白く丸いものが二つ見えた。
「卵……?」
「はい。我々は卵から生まれます。卵がどこから来るのかは、卵守りしか知りません。卵は生まれるまでの約二年間、彼女の子守唄を聴いて過ごします。内容は様々なもので、言語や歴史、人との付き合い方、夢物語などなど、この世の全てです」
「彼女一人でずっと……?」
「はい」
「…………」
何と言えばいいのだろう。彼女の存在は、リザノイドにとって母親以上のものなのだろう。そう思うが、上手く言葉にならない。
「卵はいつ生まれるんだ? 二年の間、ずっと二つだけなのか?」
ランディが問う。
「ええ。通常は同じ時期に現れて、同じ時期に孵ります。一つの時もありますし、卵自体がない時もあります」
「じゃあ、あの二人は兄弟なのね」
「……兄弟、ですか? あぁ、なるほど。確かにそうですね。長年生きてきましたが、思いもしませんでした」
ハリーは手をポンッと打つと、嬉しそうにベリーを見た。
「私にも兄弟がいるという事ですね」
「卵がどこから来てるかわからないんだから、全部の卵が兄弟って事もあるだろうに」
「……ああ!」
ランディのボソッと言った一言に、ハリーはまた納得していた。
「この世の全ての人が兄弟であるように、我らも兄弟という訳ですね」
「さっき、通常と言ったが、例外もあるのか?」
「予定より早く生まれる子がいるのですよ。彼らは、ハーフノイドと呼ばれ、生まれながらにして、ただ一人の主を決めているのです。いえ、主の為に生まれてくると言った方がいいですね。寿命がリザノイドよりも短くなりますが、うらやましいことです」
コアースにも、当たり前だが夜は来る。
「さぁさぁ、これも食べなさい」
「ありがとう」
火を囲んだ人々は、コアースの住人。昼には一人も見なかったのだから、誰も住んでいないのではないかと思っていた。ざっと、五十人強。こんなに人がいたなんて。
その彼らが代わる代わる声をかけてくる。アレも食べろ、これも食べろ。お腹一杯ですとは何故か言えず、山盛りになる皿の上を、ちょっとずつ口に入れていた。
パンらしきもの、肉っぽいもの、果物じゃないかなと思えるもの。辛いような、酸っぱいような、甘いような……初めての面白い味。
量に参っていると、隣に腰かけているキースが、さりげなく皿の上を自分のにうつしていた。
「あらあら、甘いのね」
ミラがキースとは反対隣りに腰を下ろす。
「星の一族の話をするように言われたんだけど」
「お願い」
ミラは盛り上がっている仲間たちを見ながら、話し始めた。
「この世界が出来た時に息づいた一族の末裔。リザノイドはこの星を守る者。私たちはこの星に仕える者。私たちはその使命に誇りを持っているの。
リザノイドは私たちより能力的には優れているわ。でも、彼らは変わっているから、人の世に出た時に違和感が出てしまう。私たちがそれを補っているのね。いろいろと役割はあるんだけど、私は資格を持つ者を探しに旅をしてるわ」
「資格って、星のペンダントが見える事?」
「ええ。特別な結界で覆われているこれ。コアースを覆っているのと同じようなものよ。それがある限り、普通の人には見えないの」
「それが見えて、ここに連れてきて、それからどうするの?」
ベリーも、ただ、遊びに来いと誘われたのだ。
「資格ってね。ハーフノイドの主になる素質があるっていうことなの。だから、ここに連れてきて、卵に逢わせるわけ」
「わたしもなる可能性があるのね?」
「そうよ。なってくれたら嬉しいわ。久しぶりの資格者だもの」
「資格がある人はみんな主になるの?」
「いいえ。みなではないわ。けど、不思議な事に資格がある人で主にならなかった人は、私たちには無い特技を持っている人たちばかりなの。このコアースで暮らすようになってるのよ。不思議でしょう? たとえばあの人」
指差した先には、年を重ねた男性がいた。
「あの人もすごいの。海の上に出たら、どんな波も敵ではないわ。何回、何十回と嵐に遭っているのに、難なく乗り越えられる人なの。私たちには無い能力よ。海に強くなかったみたいね、私たち」
ミラは笑っていた。
海すら知らないベリーには、嵐がどういうものかわからなかったけど、なんかすごいんだろうなという感覚はあった。
「長と一緒にいるであろう人も、なかなかのものよ? 男にも女にもなれるんだから」
ふふふと笑う。
「?」
「一番便利だと思うわ、彼。そう、実際には男なんだけどね」
頭の中に、男にも女にもなれる人なんていう想像ができずに、すごさというものは全く伝わって来なかった。
歓迎の宴も終わり、用意された部屋で休むように言われたが、静かすぎるこの地の夜は自分のため息さえ大きく聴こえ、眠りの世界に導かれることはなかった。
「星は見えるのかしら?」
部屋を出て、空を見上げる。
空が目に入る前に、広がっていたはずの樹々の枝が、姿勢を正しているのが見えた。葉っぱもそれに倣い、まっすぐ枝に張り付いていた。樹々の間から漏れていた太陽光の印象が嘘みたいになく、星を見るために邪魔をしないという樹の心遣いなのではないかと思えるほど。
「星のふるさと……」
空を改めて見上げ、つぶやく。
「もう、眠れなくてもいいや」
星を見ながら夜を過ごそう。そう気分を変えていたら、闇に慣れた目に映るのは、音もなく動く物体だった。
「……ランディ?」
ベリーは、そうっと後をつけた。物陰はたくさんある。気をつけないといけないのは、音だけ。
昼間にたどった道。憶えてないけど勘でそう思った。
やっぱり、あの綺麗な湖。ランディが躊躇なく入って行った。ベリーもすぐに後を追う。夜の水中は少し心許なく、冷たいものであったが、彼を止めなければならないという、どこからくるのかわからない想いが足を進ませていた。
草の音がする。ハリー達が追ってきている。だけど、ランディが浮島に上陸するほうが早いだろう。
そして、現実に早かった。
「あなたと卵を人質にさせてもらう」
卵守りは不思議そうにランディを見上げるだけで、声を出すことも、姿勢が変わることもなかった。
ランディが卵を一つ手に取った。
「何をするの!」
ベリーは胸まで水につかった状態で叫んだ。
「ハリー、俺はリザノイドが欲しい」
「欲しいと言われましても。では、一体プレゼントしますというわけにはまいりません」
ベリーのすぐ後ろにいたハリーは、あくまで冷静に告げた。この時初めて、ベリーは自分の足が宙に浮いていることを知った。水の中で、ハリーが支えてくれていたのだ。
「プレゼントされたいわけではない。無理矢理にでも連れて帰る」
「困りましたねぇ」
卵守りは、こんな状況でも淡々と唄を、話を卵に向けてしている。
「この場所は、安全で、一度も襲われたことはなかったですから」
ベリーの気持ちを知ってか、ハリーが言う。
「なんとかしなきゃ……」
ベリーはポケットを探り、手に触れた物をギュッと握った。来るなと言われながらも、足をかければ浮島に上がれる場所まで一人で、顎まで浸かった水の中を必死に進み、呼吸を整えると、手に取った物を指で弾いた。
「うわぁ」
ランディに当たったのは王冠。イナに教えてもらった技だ。闇が有り難い。
ベリーは一目散に駆け上り、ランディが持っている卵を奪い取った。が、体勢を戻したランディに吹っ飛ばされた。
とっさに、割れないようにと卵を胸に抱きしめた。ベリーは卵ともども、湖に沈んで行った。
透き通った水を通して、キースが湖に潜ったのが見えたし、ハリーがランディを抑えるのも見えた。
「よかった。……なんとか、卵を彼女に戻さなきゃ」
そう頭で思っていても、身体が言う事を聞かない。手も足も動かしているのに、水面が遠くなる。だんだん息が苦しくなる。
「ごめんね。もう……だめ……」
ゴポッと空気の泡が大きく波打つ。泡が水面にたどり着くと同時に、黄金の光が湖を覆い尽くした。
「世界にいらっしゃい。その人を大事にね」
薄れ行く意識の中で聴こえて来た声は、はかないが、喜びにあふれていた。
卵が閃光を放ち、人型をとる。手が触れる。ベリーはその手を取った。
ベリーは気が付くと、浮島にいた。せき込み、涙目になっていたが、少し落ち着くと、卵守りが嬉しそうに目を細めているのが一番に目に入った。
さっきの声は彼女のもの。
全ての視線が自分に集まるのを感じて、ベリーは首をかしげる。
「名前をつけてあげて」
「……名前?」
「あなたのために生まれた命よ」
彼女はそう言うと、目の前の卵に再び唄いだした。ベリーは、二つあったうちのもう一つの卵の行方をハリーに尋ねた。
「そこにいますよ」
となりに視線を移すと、ツンツン髪の少年が立っていた。
「生まれたの……?」
「ハーフノイドの誕生です。あなたと共に生きる子です。名前を」
「……わたしの……ハーフノイド」
ベリーは考え込んで、それでも、生まれて来た命の碧い瞳をジッと見て、口を開いた。
「……ユール。今日はあなたの日よ」
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