第23話 少女の部屋と、残された匂いと
―― 2309時 ニュー○○マンション前 ――
「――誰なんだ!! 答えろ!!」
再び闇を裂く怒声。
次の瞬間、目を焼くような強烈なライトの光が襲い掛かる。
反射的に腕で顔を庇うが、瞼の裏まで光が突き刺さってきた。もう片方の手は拳銃のホルスターにかかる。
耳の奥で自分の心音が暴れている。
敵か――味方か。
判断を誤れば、この場で終わる。
クソ、これだから、同じ言語を話す敵が嫌だ。どっちかわからない……
まだ、英語やら外国語を話す傭兵共を相手してる方が楽だった。それで敵が判別できた。そんな新潟戦線でのことを、こんな時に思い出した。
相手は二人……もし敵ならば、隙があれば、すぐに撃てる……
頭の中でそう考えながら、数秒の沈黙が、やけに長く感じられた。
しかし、その沈黙はすぐに破られた。
光の向こうから、もう一つの声が飛んできた。
「合言葉を!」
合言葉――それを聞いて、咄嗟に叫んだ。
「生きる!」
「「谷川○太郎!」」
答えた瞬間、向こうも俺達だけしか通じない”符丁”を答えてきた。
それは、敵ではないという証明。
つまり、味方だった。
”潔白”を晴らした後、ライトの光がゆっくりと下がり、若い顔が二つ浮かび上がった。
俺たちと同じ制服姿で、同じ銃を持つ、まだ頬があどけない二名の学徒兵。
少し前に、斥候として送った俺の部下だった。
――緊迫した状況は、あっけなく終わった。
――――――
――――
――
「ごめんなさい、同志大尉。まさか大尉達だとは思いも知らず……」
「いや、こっちこそ連絡せずに来て、すまんな。状況は?」
「異常無しです。静かすぎるのが気になりますが」
「そうか」
マンションの入口前で、哨戒中だった学徒兵二人と話す俺たち。
聞けば、俺たち以外に誰も来ないという……
その事に、安心しながらも――
「――ところで、どうしてここへ?」
「え、ああ……」
言葉が詰まった。
私的な理由だった為、即座に答えられなかった。
長年、”国”と”仲間”のために行動してきた自分には、ここで私的なことを話すのが、無意識に拒絶観を生んでいたようだった。
それが、仇になる。
「同志大尉?」
そんな曖昧な返事に、疑い始める二人の学徒兵。一人が銃を構え始める。
無理もない……
最近、制服姿の『ターミネーター』も出没し、潜入して殺戮されるケースが増えている。その為、疑わしいことは疑えと徹底的に命令していた。
……もし、迂闊なことを言えば、殺される……
少し緊張感が漂ってきた。
だから――少し嘘をついた。
「まあ、その……気分転換に、曹長と二人だけになりたくてな」
「気分転換に、ですか?」
ああ、と言った後、山田曹長が少し顔を赤くしながら、割り込んで言った。
「少し前に、大尉の周りで不幸があって……精神的に参っているのです。だから、大尉を慰める為に、ここへ……」
そう言った後、体をモジモジする山田曹長。それ見た学徒兵は何か察したようで、
「――あっ、ああ、なるほど……そうだったのですねっ」
「? どういうことなの?」
気づいた相方が、ぱっと顔を赤らめた。
そして、「ちょ馬鹿っ」と言いながら、わかってない相方に耳打ちした後、
「……はっ、はわっ、はわわわわわわわわわっ!!?」
そんな変な声を出しながら、相方と同じように顔を赤くして、敬礼しやがった。
「ここは私たちが見張っていますのでっ、大尉たちは、ゆっくりしていってください!」
「お、お気をつけて……!」
二人共、声を裏返しながら、道を開けてくれた。
直立不動のまま敬礼し、少し赤くなった顔を隠すように目を逸らしながら……
……事態は無事に済んだ。
だが、どうやら、とんでもない誤解を生んでしまったようだ……
マンションの階段を昇りながら、あの二人が聞いていないであろう距離で、ふとため息をついた。
「……誤解されてるな、俺たち」
「……そうですね」
隣で、山田曹長が少し頬を赤くしながら、微妙に苦笑しているように見えた。
その階下で、二人の黄色い話声が聞こえてくる。
うーん……なんで、女子たちって、そんなことで恥ずかしがるのだろう……と思ったが、すぐにそれがどうでもよくなった。
期待が胸を高鳴らせながら、階段を登っていく――
――――――
――――
――
そして――
「ここだな……」
「ええ……301号室、ですね」
階段を上がり、目的の三階に到達した俺たち。
すぐ左側の端っこに、その部屋はあった。
周囲を見渡す。
廊下は暗く、空気が重い。戦争前の生活の名残がかすかに残る廊下の壁に、月明かりが冷たく指し込み、薄い影を作っていた。
そんな中、301号室――そう書かれたドアの前に立つ俺たち。
『ニュー○○マンションの301』
今日の昼、あの職員が最後に言った場所、その場所は、確かにあった。
その部屋のドアは木目調であしらわれ、郵便受けには束になった新聞が突き刺さっている。
手を伸ばせば簡単に取れる距離にあるのに、誰もそれを取ろうとはしなかったのだろう。
紙面には雨に濡れて波打った跡が残っている。
ふと胸の奥に、遅すぎたかもしれないという嫌な予感がよぎった。
表札すら、なかったから……
……いや、ひょっとすれば、ブービートラップがあるかもしれない。
だが、例え罠でも進まなきゃならない。
「……開けるぞ」
「了解……」
お互い所持しているライトを点け、前を照らす。
そして、俺はあの鍵を取り出し、ゆっくりと差し込む。
鍵がゆっくり回る音が、やけに大きく響いた。
その瞬間――金属の擦れる感触と同時に、背筋を冷たいものが走る。
――ここに、奴がいた。
その確信が、理由もなく湧き上がる。途端にあの時の場面を頭に過ぎる。
……もし奴がいたなら、いや、それでも――
――カチリ。
「……開いた」
錠はあっさりと開いた。
……やはり、この鍵は、確かにこの部屋のものだった。
では――ここに……ここに……
期待感が一気に押し寄せるのを我慢しながら、ゆっくりと少しずつドアを開ける。
念の為、力加減に気を付けながら罠が張られていないか、隙間からワイヤーらしきものを探す。
……見つからない。そのままゆっくりと扉を押し開けると、そこには――
「……随分やられてるな」
「ええ……」
荒れ果てた室内だった。
割れた窓から吹き込む夜風が、焦げと鉄の匂いを運んでくる。
壁には弾痕が散りばめられ、床には砕けたガラスと木片が散乱していた。
その有様は、時間が経ってもなお、戦場の熱を閉じ込めているかのようだった。
その瞬間、少し、心がざわついた。
もしかしたら、”無い”のではないかと……
「……大尉」
「……行こう」
靴を履いたまま、ライトを点けて慎重に歩く。
元の住民には悪いが、廃墟で靴を脱いで入るのは危険だ。
こんな風に、割れたガラスの破片や、鋭利な木材の破片で怪我をする。
今、衛生兵がいない現状では、怪我はあまりしたくないのだが……
……やはりというか、リビングの中も、かなり荒れ果てていた。
煤にまみれ、家具はほとんどが倒れ、壁には複数の弾痕が残っている。
窓ガラスは当然割れていて、月光と夜風が無遠慮に吹き込んでいた。
そして……聞こえるのは、自分たちの足音のみ。
誰も居なかった。
その証拠に、壁に掛けられたカレンダーの日付は、前月のままであった。
何もないな……そう思って周りをもっと探索しようと思った時、割れたベランダの先が見えた。
……前線基地が見えた。
そして、その左側に小さな窓のその先には、市役所が見えた。
ふと、テーブルを見て異変を感じた。
……そのテーブルは、周りに比べて、妙に綺麗に片付けられている……
明らかに煤がある所と無い所の差がおかしいと想い、テーブルに近づいた時――
足元に、なにか光るものが落ちていた。
それを拾い上げ、確認した。
「……これは――薬莢?」
それは、確かに4発の使用済み薬莢だった。それが、無造作に転がっている。
窓のそば……外の狙撃地点――市役所と前線基地が良く見える位置。
「……やっぱり、ここに”赤殺し”がいたのか……」
山田曹長は黙って頷いた。
その無言が、事実をより確かなものに変える。
――ここから、あの狙撃が行われたのだろう……
ふと、バーンと銃声が鳴り響く。
反射的にそちらの方に振り向いた。しかし、そこには何もなかった。
それは頭の中で鳴り響いたモノだった。
父を殺した、あの銃声が、無意識にリフレインする……
「大尉?」
「あ、いや、何でもない……何も無いみたいだな」
「はい、住民も……先ほど、全ての部屋を確認しました」
「そうか……」
……やはり、いない……
そう思った瞬間、なぜか胸の奥が少しだけ軽くなった。安堵なのか、落胆なのか、自分でも分からない。
「山田曹長、女の子の部屋はあったか?」
「いえ、子ども部屋らしき部屋は確認できませんでした」
――ハズレか。
そう思いながら、リビングを見渡す。
その時、目に留まったのは、何も置かれていない本棚だった。妙に不自然だ。まるで何かを隠しているかのように――
気づけば、俺の足は本棚へと向かっていた。
「手伝います」
「頼む」
二人で力を合わせて本棚を動かす。すると、その裏に――ドアがあった。
埃をかぶりながらも、傷ひとつない扉。
それを見た瞬間、抑え込んでいた感情がせり上がる。
俺はドアノブに手をかけ、そのまま一気に開いた。
「――大尉っ」
”誰か”の声が耳に届いた気がした。
だが次の瞬間、視界が真っ白に弾け、呼吸すら止まった。
やがて目が慣れてきた時――そこに広がっていたのは。
少女の部屋だった。
花柄のカーテン。
薄いピンクの壁紙。
ベッドの上では、見慣れたぬいぐるみが倒れたまま、静かに時間を重ねている。
埃をかぶった本棚には、児童小説と色あせた絵本。
机の上の鉛筆立てには、芯の折れた鉛筆が数本刺さっている。
「……ここ、は……」
ふと、甘い石けんの匂いが鼻をかすめた。
鼻先をくすぐる、懐かしい匂い――
遠い記憶が、音もなく胸の奥に浮かび上がる。
――放課後、照れくさそうに手渡した数学のノート。
――夕暮れの帰り道で、並んで歩いた日。
――風に混じって聞こえる、笑い声。
――夕陽に染まる、あの綺麗な髪。
そして、あの大好きだった笑顔を――
胸の奥で何かが静かに鳴った。
――ああ、ここだ。
「……ここが、みーちゃんの部屋だ……」
確信が、静かに心の底で鳴り響いた。
だが――そこに、彼女の姿はなかった。
※続く
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