第九話:やっと会えたね
「───ずっと、あの時のお礼を言いたかったの。
尾田さんが注意を引いてくれたおかげで、わたしが絡まれることは殆どなくなったし、なにより……。
尾田さんみたいなカッコイイ人が、わたしの味方になってくれたことが、それだけで凄く、嬉しかったから。」
「でも結局、勇気、出なくて。
まごまごしてる内に、尾田さんの転校が決まっちゃって。
連絡先知らなかったから、環境が変わったら、なにも分からなくなっちゃって。」
「このままずっと、ありがとうもごめんねも言えないまま、二度と会えないのかなって後悔してたら。
このあいだ、地元に帰省した時に、今の尾田さんがどこにいるか知ってるよって人と、たまたま会って。
大人になった尾田さんが、わたしのすぐ近くにいるってことを、知ったの。」
今から二年ほど前のこと。
暮れに帰省した折、中学のクラスメイトと再会した黒石は、そのクラスメイトから私の現状を又聞きしたそうだ。
今は札幌に住んでいること、相変わらず派手な見た目をしていること。
噂によると、親の借金を肩代わりさせられて、返済に追われているらしいこと。
現住所だけならともかく、借金の件まで把握しているヤツがいたとは驚きだが、まあいい。
こっちの親戚か誰かが口を滑らせて、知らず知らずと噂を広げてしまったに違いない。
妙なのは、黒石の行動の方だ。
へえそうなんだで済むところを食い下がった黒石は、今度こそ私に会いに行く決心をしたのだという。
自分を助けてくれたヒーローと憧れていた人物が、身売りで稼ぐような卑しい生き物に成り下がっているなどとは、夢にも思わずに。
「ただ、こうらしいよ、ああらしいよって、噂を知ってる人はいても、尾田さんと直に関わりがあるって人は、誰もいなくて。
だからわたしは、そこからは一人で、自分の力で、尾田さんを探すことにしたの。
同じ街に住んでるなら、いつかはどこかでぶつかるだろうって、信じて。」
「逆を言えば、同じ街に住んでるってことくらいしか、情報も共通点もなかったのに。
我ながら無鉄砲で、ほんと、笑っちゃうんだけど。」
「そんな時にね、最初に情報をくれたのとは、また別の同級生と会ってね。
深夜の
そこは、キャバクラとかバーとか、いわゆる水商売のお店がたくさんあるところで……。
もしかしたらって、そういう系統のお店を、片っ端から漁ってみたの。」
「それで、最後に。
きゃらめるしんどろーむに、行き着いたの。」
私の居所を探り始めた黒石は、同じく札幌在住だという別の同級生から、私に関する新情報を教えてもらった。
"仕事帰りに同僚とキャバクラ街を回っていたら、尾田晴子に面影のよく似た女が、キャバクラ街の更に奥へ向かって歩いていった"、と。
たぶん、私が事務所に出向いた時に擦れ違ったんだろう。
接点のなかった相手にさえ感付かれるとは、私はよほど印象に残りやすい見た目をしているらしい。
ヤンキーからギャルにマイナーチェンジしただけで、フォルムは当時と殆ど変わっていないので、当然といえば当然かもしれない。
そこで黒石は、借金の件も鑑みた上で、若い女が高収入を得られそうな職業について深堀りしていった。
そして最後に、辿り着いてしまった。
きゃらめるしんどろーむ公式サイトにて、ひときわガラの悪い笑みを携えた、
「最初、ユリアちゃんの写真を見た時、他人の空似だと思った。
目元の辺りが近い気がしたけど、わたしが知ってるのは、あくまで中学生の尾田さんだから。」
「でも、左目の泣き黒子と、耳の形が、あの頃のまんまで。
髪型が、お化粧の仕方が変わっても、顔つきが、名前が違ってても、やっぱりこの人は尾田さんなんだなって、思った。」
キャバクラでもガールズバーでもなく、よりにもよってデリヘルを生業に選ぶだなんて。
ショックのあまり、黒石は暫く身動きをとれなかったという。
けれど、一瞬の動揺が確固な決心まで揺らがせることはなかった。
「あんなに強くて、気高かった人が、わたしを救ってくれたヒーローが、今はこんなことになってるなんて、って。
正直言って、すごくショックだったし、可哀相で悲しかった。」
「だからこそ、余計に、会いたくなった。
今の尾田さんに、今のわたしが、お礼を言いに行きたいって、思ったの。」
デリヘルとは。性風俗とは。
きゃらめるしんどろーむのユリアとは。
徹底的に調べ上げた黒石は、ユリアを自分のもとへ呼び寄せる計画を立てた。
同級生との再会としてではなく、あくまで私の売り買いとして。
「そうならそうと、言ってくれれば良かったのに。
最初に名乗ってくれれば───、いや。そもそも普通に連絡くれれば、普通に、会えたのに。
なんで、あんなやり方したの。なんでわざわざ、あんな嘘ついてまで───」
「嘘じゃないよ。
人付き合いが苦手なのも、話し相手が欲しかったのも本当。
ただ、全部を白状するのは、まだ早いなって……。」
「じゃあ……。
じゃあ、最初にぜんぶ言わなかったのは、どうして?
逆にいつなら、言ってくれるつもりだったの?」
「……尾田さんの借金が、なくなったら。」
ベッドに隣り合わせで二人。
私が少し姿勢をずらすと、心とスプリングが軋む音がした。
「大きな借金がある人が、そういう仕事をするのは、お金を稼ぐために仕方なくなんだなって、考えなくても分かった。
だから、少しでもその助けになりたくて、知らないお客さんとして、ユリアちゃんとしての尾田さんに、恩返ししようって決めたの。」
「……間接的に貢いでやろう、ってこと?」
「だって、正直に自分の正体明かして、返済の足しにって札束渡しても、尾田さんは絶対、受け取ってくれなかったでしょう?
……もっと他に、賢いやり方もあったのかもしれないけど。
わたしの頭では、あれが、最短で最善の方法だった。」
「なんで、そこまで、」
「こっちの台詞だよ。
あの頃、わたし達、ほとんど話したこともなかったのに、尾田さんは身を呈して守ってくれた。
一度だけじゃない。
それからもずっと、率先して喧嘩買って、わたしの方に目がいかなくなるようにって、庇い続けてくれた。」
「………。」
「尾田さんだって、みんなから無視されたり、蹴られたりするの、辛くないはずなかったのに。
わたしのせいでこうなったとは、一度も言わなかった。
むしろ、全然へっちゃらみたいな顔して、いつも堂々としてた。
目元はしょっちゅう赤くしてたのに、いつも、大したことないみたいに、学校来てた。」
そう言うと黒石は、静かに顔を上げて、隣に座る私を見た。
「わたし、いじめを止めてもらった時に、言ったんだよ。
尾田さんって、本当はすごく優しい人なんだねって。
まずは、ありがとうって言うつもりだったのに。気付いたら、そっちが先に出ちゃってた。
そしたら尾田さん、なんて答えたと思う?」
「……ごめん。覚えてない。
なんて言ったの?そん時のワタシ。」
"バーカ。
ほんとに優しい人ってのは、あんたみたいなのを言うんだよ。"
次の瞬間、黒石の目から大粒の涙が溢れだした。
ぼろぼろと滴り落ちたそれは、真っ白なシーツに一つ二つと染みを作っていった。
その顔が、あの時の黒石の顔と、おんなじで。
どんなに背が伸びても、大人っぽくなっても、黒石の中身はあの頃のまんまなんだって、分かった。
「あの頃、わたし、本気で死のうかなって思ってた。
毎日なんにも楽しくないし、こんなに辛いことが続くなら、もう全部やめちゃおうかなって。」
「そんな時に、尾田さんが、助けに来てくれたの。
たった一人で、わたしのために、戦ってくれたの。」
「たった一人でも、味方になってくれる人がいるんだって、本当に本当に嬉しかった。
尾田さんはわたしの、命の恩人で、ヒーローで、神様だった。」
「ずっと、ちゃんと、お礼を言いたかった。
助けてくれて、ありがとう。騙すようなことして、ごめんね。」
「できれば、もう少しだけ。あともう少しだけでいいから。
わたしに、騙されたままでいて。
クリスマスの延長を、もう少しだけ、させて、尾田さん。」
震える声でしゃくり上げながら、最後には顔を覆って俯きながら、黒石は私に想いの丈を吐き出した。
そうしたら自然と、私は手を伸ばしていて。
黒石の強張った背中を、宝物みたいに抱き締めてしまっていた。
「いいよ。
黒石がそうしたいって言うなら、ワタシはなんでもいい。
そんな風にワタシのこと、思ってくれる人がいたなんて、知らなかった。」
あの頃の私たちは、学び舎という狭い箱庭が、この世界の全てだった。
一度でもそこから外れたら、人生すべてが終わるんだと思っていた。
でも、当時は命を絶とうとすらしていた少女が。
今ではこんなに綺麗になって、立派になっている。
あの頃の恩返しがしたいと、強く私の手を握っている。
もう、あの頃の私じゃないのに。
もう、黒石がヒーローだって言ってくれた手は、こんなに汚れてしまったのに。
なのに黒石は、その手を愛おしそうに撫でながら、何度もこう言うのだ。
この手が、一人の人間を救った手なのだと。
この手に、自分はずっと触れたかったのだと。
「話してくれてありがとう、黒石。
ワタシ、あのとき庇ったこと、後悔したこと一回もないよ。」
もっと早くに再会していれば。
父の転勤が決まっていなければ。
悔しい思いもあるけれど、今となっては構わない。
黒石と違って、すっかり落ちぶれてしまった私でも。
頑張って綺麗になって、立派になって強くなって、顔を上げて歩けるようになったなら。
あの時みたいに、考えるよりも先に、黒石に近付いていいだろうか。
黒石と並んで立つために、今からでも、努力をしてみていいだろうか。
心の中でそう問い掛けると、黒石はまるで返事をするように、小さく頷いた。
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