第34話 凍てつく世界、音無き世界

 8月14日 23時35分 保馬市沿岸部


「……おい、何だよこれは」


 保馬市の沿岸部にある村にやって来た銅金ゴロは、そのあまりに異常な様相に立ち尽くしていた。

 おとね達に成敗されて、日出出版社を追放されたゴロ。だが彼は、再び会社に復帰するために特大のネタを探し続けていた。

 そしてその末にようやく掴んだ、星野コハクの死の真相に大きく近づくヒント。異能犯罪者特別刑務所の元看守によれば、コハクを殺した男は今、そこに厳重に捉えられているという。


 だがしかし、彼の目の前に広がる惨状は、そんな事さえどうでも良くなってしまう程に異常だった。


「オイオイオイ……『世界の地獄』の刑務所はまだ先だろ。なんで既にここから地獄になってんだよ……!?」


 刑務所から少し離れた場所に位置する村。そこは悉く氷漬けにされていた。建物は倒壊し、植物は死滅し、人間も全身が凍って動かなくなっている。

 だが、この地獄をより狂気じみた物にしているのは、響き渡る不気味な歌だった。

 まだ息のある凍り付いた人々は、皆一様に歌を歌っていた。あまりにも独特で、狂気さえ感じるメロディだ。既に死んでいてもおかしくない程に氷漬けにされた者でさえ、ひたすらにその歌を歌い続けている。その様はまるで、操り人形の合唱団。その歌を歌う事以外の生きる意義を、何者かに悉く奪われているように感じられた。


「チッ、気味が悪い……。だが、俺の求める真実まであと少しなんだよ。こんな所で止まる訳にはいかねぇんだ。『ブーン・ブーム』」


 ゴロはカナブンに変身してこの場所を抜け出そうとするが、その瞬間に体から力が抜けた。何もできずに、そのまま地面に倒れ込む。


「……は?」


 気付けばゴロの体も凍り始めていた。物凄い勢いで体温が奪われ、全身から力が抜けて行くのを感じる。

 ここに来て、ゴロはようやく理解できた。なぜ囚人番号0番が、世界から存在を秘匿されていたのか。

 恐らくこれは全て、奴の能力だ。ゴロがずっと追い求めてきた物——それは文字通り、世界を壊しかねない存在だったのだ。


「ハハハハハッ。やっぱり楽しいなァ、俺の歌は」


 力なく倒れるゴロの元に、一人の男が近寄って来た。

 生気の感じられない真っ白な髪。服はボロボロで、所々凍り付いている。その貧弱そうな体は、この状況下では真っ先に死んでいそうだというのに、ここにいる人間の中で最も生き生きとしている。

 男は真っ黒な目でゴロを見下ろした。


「ウイルスの進行がまだまだだ。新しく来てくれた人か? ようこそ、俺の合唱会へ」


「……お前だな。8年前に星野コハクを殺した男、殊音メノウ。どうして脱獄してやがる……!?」


「チッ、お前もかよ。どいつもこいつも星野星野……しつけぇんだよクソが! この俺を見ろ! この俺の歌を聴け! 誰も見向きもしなくても! 俺は今! 確かにここにいるんだよ!」


 メノウは途中から、ゴロの方を向いていなかった。まるで虚空に漂う、コハクの幻影に話しかけているようだ。


「……お前の事もちゃんと調べたよ。一応元記者なんで。大学時代の友人だったんだろ? お前らさ。なんで殺したんだ?」


「俺を見ろ。俺を聴け。俺に捧げろ。それ以外は全て無駄だ。俺に振り向かない人間に存在する価値は無い。お前はどうだ? 元記者。お前は俺の名を世界に轟かせるための手助けをしてくれるのか?」


「生憎、俺は誰かを上げる記事とか興味ないんだよね。誰かを下げて世間をかき回す、それが俺の記者としてのやりがいなんで」


 厄災が目の前まで迫っているにも関わらず、ゴロはいつもの調子を崩さなかった。クズのような持論を掲げながら、メノウ相手にほくそ笑んでいる。

 その返事を聞いたメノウは、凍りかけている彼の頭を蹴りつけた。そして彼の頭を掴み、耳元で何かを唱える。


「『       』」


「……え?」


 だがしかし、ゴロにはそれが聞こえなかった。確かにメノウの口は開いていたが、何を言っているのか全く分からなかった。

 いや違う。おかしくなったのはメノウではなくゴロの方だった。いつの間にか、彼の世界から音が消失していた。


「何だ、これは……?」


「  。   。    」


 またもメノウが何か言ったが、やはりゴロは認識できなかった。それどころか、今度は世界の匂いが消失した。続けざまに口の中に広がった血の味が感じられなくなり、そして体に力が入らなくなる。


(お前、何をした……?)


 メノウにそう言おうとしたが、できなかった。口が勝手に、何か違うものを口ずさんでいる。恐らくは、凍り付いた人々が歌っていたあの歌だ。聞こえもしないし、口を動かしている実感も無いが、そのメロディだけが頭に強く響き続けていた。

 ゴロがもがき苦しんでいる間に、メノウはどこかへと去っていた。氷漬けの終末の村の中で、ゴロは一人苦しみ続ける。

 だが、彼は笑っていた。


(ハ、ハ……。最悪の犯罪者の、脱獄。俺は今、最高のスクープの瞬間に立ち会っているぞ……ッ! 円城寺のバカめ、俺をクビにしたのは……間違いだったな。こんな特ネタ、掴んだんだからよ……!)


 何も感じない腕を何とか動かして、スマホを取り出そうとする。だが、感覚が無くなった上に氷漬けになった体がまともに動くはずもなく、みっともなくその場でもがくだけだった。

 やがて、ゴロの目に映る世界までもが消失した。彼に残ったのは、苦しみに悶える意識と、頭の中で響き続ける呪いの歌だけ。苦しみから逃れるために自死することさえできず、彼はただ終わる時を待った。



 異能犯罪者特別刑務所に収容された囚人50名、及び看守10名と警備員10名、全員死亡。

 その近くにあった保馬市沿岸部の村も完全壊滅。その一帯の気温は、真夏だというのにマイナス5度を記録していた。


 解き放たれた狂人・殊音メノウは進み続ける。湧き続ける世界への憎悪を、狂気の歌に乗せて伝播させながら。

 その進む先は、やすまスーパースタジアム。今夏最大の熱狂の地に、史上最悪の極寒が動き出していた。

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