部屋
小狸
短編
私の家には、私を閉じ込めるための部屋があった。
大きな語弊があるな、訂正しよう。
しかしこれ以外の表現の仕方となると、難しい。
物置を物置として利用していなかった、とでも言おうか。
私の家には、階段の真下に、物置があった。映画『ハリー・ポッター』に登場するほど広くはないけれど、まあ人一人なら普通に入ることができるくらいの空間である。
そこに日常的に閉じ込められていた。
誰に?
母は、私が気に食わないことを起こすと、すぐに
きっと母は、親に向いていなかったのだろうと思う。
誰にだって向き不向きはある――仕方ない、と部外者ならばそう言って誤魔化せるだろうが、当事者であり、その腹から生まれた私からすれば、大迷惑この上ないことである。
親に向きとか不向きとか、言っている場合じゃないだろ。
生んだんならせめて真っ当な教育させろよ。
――と、今なら思ったりもするのだが、当時はそんなことを言える雰囲気ではなかったし、何より令和の今ほどに、多様性あふれる、寛容な社会でもなかった。
だから、言われたら、そのまま物置に入るしかなかった。
最初の頃は、首根っこを引っ張られて物置に閉じ込められて「そこで反省していなさい」なんて言われて物置の扉を蹴られたりしたものだけれど、小三くらいからは、癇癪を起こしそうになったら、自主的に物置に入るようになった。
調子に乗って外に居続けて殴られるよりは、まだ密室に入った方がマシである。
例えば、テストで満点を逃した時とか。
例えば、絵が選ばれたけれど県まで行けなかった時とか。
例えば、書道で母が勝手にライバル視している同級生が私より良い成績を取った時とか。
例えば、運動会の徒競走で私が転んだ時とか。
例えば、母の好きな野球の球団が負けた時とか。
例えば、母がイライラしている中で話しかけた時とか。
理由なんて何でも良いのだ。
我が家は、母の機嫌によって世界が決まる。
物置の中は、外気と遮断されているからか少ししっとりしていた。
冬は寒いが夏は居心地が良かった。
大体1時間から2時間ほどで母の癇癪は収まり、出て来なさい、とか、出てきて良いよ、とか――甘ったるい声で言って、その後抱き締めてくるのである。
ごめんね、とか言って。
正直そのぬくもりが、気持ち悪くてたまらなかった。
だったらずっと物置に入っている方が楽だった。
そんな風に思っていた、夏休み――真夏のある日のこと。
決定的なことが起こった。
小学5年生くらいの時である。
いつものように食事中に母が癇癪を起こし、私はおずおずと物置へと入った。
それを見た母が、悪戯心か何かで、物置の鍵を閉めたのである。
鍵は、外側からしか開けることができない。
いくら多少涼しいとはいえども、夏は夏である。
私は、熱中症になった。
外に助けを呼ぼうとしたけれど、鍵が閉まっているから、どうしようもない。
その間、母は食卓を片付けて、テレビのお笑い番組を大音量でずっと眺めていたのだそうだ。
やがて一定時間が経過し、もういいだろうと思って、物置の鍵を開けると。
そこには、脱水症状でぐったりとした私が、物置の床に倒れていた。
最初は、ふざけて倒れていると思ったらしいが、私がかなりの熱を帯びていることを知り、母は動揺した。
母は救急車を呼び、私は近くの病院に搬送された。
ここまで父が登場しなかったことを不審に思っている方もいるだろうが、父は仕事人間であった。悪く言えば、あまり家庭を顧みないタイプの男性であった。これもまた時代背景ということもあるのだろうが、今回ばかりは、父の関知するところとなった。
父は激怒した。
「あなたが家庭のことを考えたことがあった!?」
「娘を物置に閉じ込めるとは一体どういう教育をしているんだ!」
私のベッドの横では、怒号に怒号が交雑していた。
医師も私も呆れていた。
結果、父は離婚することを決めた。
どっちについていく、と聞かれた。
私が、
「物置に閉じ込めない方についていく」
と言った時の、母の表情は、未だに忘れられない。
協議離婚が成立し、私は父と共に、生きることになった。
母はずっと、弁護士に引きずられて、姿が見えなくなるまで癇癪を起こしていた。
「あんたをここまで育ててやったのは誰だと思っている!」
「あんたを生んでやったのは私だ!」
「あんたは親不孝者だ!」
「あんたなんて、産まなきゃ良かった!」
その言葉は。
それから父と過ごし、大人になった今でも、私の心の奥底に塞がれている。
(「部屋」――了)
部屋 小狸 @segen_gen
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