第6話 サイコメトラと生徒会長

 X大付属学園高等学校の学園長室は少し重苦しい空気が漂った。

 仁が今回巻き込まれた事件の一部始終を話したからなのは明白だった。


 アルバイト中に爆発事故に巻き込まれ、その犯人に仕立て上げられたという一連の流れだ。そしてその中で未登録の超能力者に出会い、念動力を譲り受けた。


「その話に嘘偽りはないと信じてよろしいですか」

 タイトなスーツに身を包んだ女性は言った。弁護士で仁の保釈手続きを行った高橋紗菜である。センターテーブルを挟んで対面する仁の表情を注意深く観察していた。


「はい」

 と仁は応えた。おそらく嘘をついたり、状況を濁すことにあまり意味がない。


 高橋紗菜にはもう一つ気になることがあった。これは専門家の意見が必要なところである。高橋紗菜は横に座っている学園長のアラン・ホイルの方に目を遣った。


「仁君、ちょっとこのカップを浮かせてみて貰えるかな。自動力(テレキネシス)で」

 学園長のアラン・ホイルは興味深そうに言った。

 彼は自分の飲みかけであるコーヒーの入った陶器のカップを指さした。距離的に仁が物理的に届かない。中身の量からして、センターテーブルを無理に揺らしたりすると溢れてしまう。


「はい」仁はカップを浮かそうとした。左手をカップの方に向ける。

 能動的にテレキネシスを使おうとするのは仁もこれが初めてだった。

 慣れた念動力能力者ほど、こういった予備動作が小さく済むが、能力に目覚めたばかりの仁は大ぶりな動作が必要だった。


 カップはふわふわと浮いた。拙い力だ。カップと中身のコーヒーが一体となっているのでなんとかテレキネシスと判断できるていどの能力だった。

 これが慣れた能力者ならこんな風に浮いた様にはならない。そこに台座でもあるかのようにカップは固定され、留まらせることが可能である。


「なるほど、ちなみにどこまで並列動作ができますか」

 学園長のアラン・ホイルは言った。

 彼くらいになると浮いているカップを見れば、おおよそどのくらいの出力が可能なのかをかなりの精度で把握できる。それは専門家や研究者だからというより、職人に近かった。


「え、と」

 並列動作、という仁には聞き慣れない言葉に対してもサイコメトリは働く。

 もっともこの言葉の投げかた自体にアラン・ホイルの思惑があった。


「そうですね。こんな事も出来ます」

 そう言って仁が左掌をくるっと捻るような動作をした。するとカップの中のコーヒーを取り出して球体状に分離した。


「うん。自動力だけでなく、他動力も備わってますね。動作としては二つ、いや三つか」

 と、アラン・ホイルは感心する。

「自動力、他動力、サイコメトリ。と言うことですが」仁は言った。

「そういうことです」アラン・ホイルはにっこりと笑った。


「……これ以上はツラいですね」

 仁はカップに球体状のコーヒーを入れ、そのままテーブルの元あった位置にカップを戻そうとした。カップはふらふらとしながらカタカタ音を立てて着地した。

 コーヒーがすこしテーブルに零れてしまう。

「すみません」

 と、仁が零れたコーヒーを拭こうとティッシュを取り出すと、アランホイルは右掌を見せて制止した。


「なるほど……」

 アラン・ホイルはハンカチでコーヒーを拭き取りながら考える。――いくらか才能に恵まれ、そもそもの感覚が鋭いとはいえ、この短期間でここまでというのは――やはり仁の資質を疑うことはできない。


「この能力が警察にバレる訳にはいかなかったので。隠し通せすのが大変でした」

 仁は疲れた様子で深呼吸する。

 実際、サイコメトリと違い念動力系は物が勝手に動いたりするので基範人にも簡単に感づかれる。

 無意識に何かを動かしてしまわないように、意識を集中させていた。その過程で能力制御の仕方をあるていど覚える事が出来たのは不幸中の幸いだった。


「もし、仁君の話が本当なら能力の譲渡および譲受になります。その場合、良く見積もっても、終身刑ですよ」

 弁護士の高橋紗菜は顔を強張らせていた。

「いまのところその嫌疑は掛けられていないから、無視しましょう。仮に増えた能力についてバレて問われても、発現した時間や場所はどうにでもなりますから」

 アラン・ホイルは笑いながらとんでもないこと言う。

 しかし、ある意味それは正しかった。

 例えば、超能力者の心身に危険が差し迫ったとき、能力が備わると言うことはよくある話なのだ。その場合による法的な罰則はない。

 そもそも譲渡かどうかなど、誰にも分からないのだ。だから能力の受け渡しがあった記録さえなければ問題ない。


「さすがにそれを聞いておいそれと見過ごす訳には」

 高橋紗菜は嫌そうな顔をして言った。

 彼女もそれなりに倫理観を持ち合わせている。職業柄というのもあるが、そもそも正義感が強い方だ。


「大丈夫です。口止め料は今、あなたの口座に振り込んでおきました。頭金ですが、これからは学園の顧問として、役員報酬という形で」

 アランは携帯端末を操作しながら言った。


 高梨紗菜は慌てて自分の端末を確認すると、プライベートな口座にまとまった金が振り込まれていた。――というか、なぜ彼が私的な口座を知っているのか謎だが、超能力者相手ではあまり意味がないことだと、紗菜も諦めた。

 本当に問題なのはこのお金(の履歴)をどうするかだ。


「これがバレると、弁護士の経歴とか、仕事の信用とか、どうなることか」

 アラン・ホイルは悪そうな笑みを浮かべた。

「うーん」

 高橋紗菜は悩んだ。もちろんこの金銭を突き返せば問題はない、はず。

 誤って振り込まれたので返金したといえばそれで事なきをえるはずだ。個人的に後ろ暗いところがなければ問題ない。

 ただ疑い、その経歴があること自体が致命的なのである。仕事を含め現代社会ではその信用を失うことはほぼ死を意味する。

 特に高梨紗菜のような超能力者のことを擁護する立場の弁護士にとって、このお金の流れがあっただけで問題だ。

 高橋紗菜は顔を引き攣らせる。

 選択を迫られていた。


 アラン・ホイルと一緒に仕事を続けるかどうか。彼は若いときは研究者かつ起業家で、いまは資産家である。だからいろいろな筋にコネクションもある。

 実際に羽振りも良かった。いま振り込まれた大金を見てもそれは明らかだ。それにいまの高梨紗菜の仕事は彼からの紹介によるものもかなり多い。


 彼女は本質的に正義感が強い。


「役員報酬とは、どのくらいで」高橋紗菜は言った。

 正義感とは別に彼女は天秤の扱いも上手かった。

 片方の皿に仕事の責任感が、もう片方の皿には個人的な正義感が乗っていた。


「年間でこのくらいの用意はあります」

 アラン・ホイルは自分の端末を高橋紗菜に見せた。


「あとで契約に関する書面を用意しましょう。実際問題、現代において超能力の譲受が本当に可能なのかも分からない部分が多いですから」

 高橋紗菜は言った。嘘である。専門家であるアラン・ホイルが能力の譲渡と譲受に関して否定的な発言がない以上、能力の譲渡は可能であると考えるのが普通だ。


「これからは独立して頑張ります」高橋紗菜は言った。

「助かります」アラン・ホイルは微笑して言った。


「それで……」仁が話を戻すように言った。大人達が悪そうな顔で話し合っているが原因が自分なので何も言えずにいた。

「ああ仁君、もう少し君の出会った幼女について詳しく聞かせていただけないか――」

 学園長室がノックされた。

「どうぞ。かまいません」アラン・ホイルは言った。

「失礼します」

 と、学園の生徒が一人で入ってきた。

「あっ」

 高橋紗菜が静止する前にドアが開いてしまった。――仁の立場は何かと危ういのだ。保釈中の身と言うのもあるが、なにかと隠さないといけない秘密が多すぎる。

 不用意に他人と接触するのはあまり良くない状況なのだ。


「ああ、彼女はこの高校の生徒会長でして――」

 と、アラン・ホイルが紹介する前にその少女は扉の前から姿を消していた。

 次の瞬間には、仁の背後まで移動していた。

「仁君、久しぶり。大変だったねー」

 甘ったるい声で仁に抱きついた少女は彼の頭を撫でていた。彼女の腰くらいまである長い黒髪が舞うように靡いている。

 彼女が空間跳躍系の能力者であることは明らかだった。


「ひっ」と今まで大人びて見えていた仁が歳相応の表情で悲鳴を上げた。

「ええと、まあ。その彼女はこの学園の生徒会長で河北摩耶さんで、ここに呼んだのは確かに私なのですが……、流石に他人が話できるくらいの間髪は入れなさい」

 アラン・ホイルは苛ついた様子で河北摩耶に拳骨を喰らわせた。


「いたー。ぼーりょく反対」と河北摩耶は叫ぶ。

「この子が、生徒会長? ですか」

 高橋紗菜はあっけにとられて簡単な情報から聞き返してしまう。アラン・ホイルの拳骨にも驚いたが、河北摩耶のたった数秒の行いも大概おかしい。

「残念ながら」

「誠に遺憾ながら」

 仁とアラン・ホイルは口々に言った。


「彼女は、えっと、いろいろ大丈夫でしょうか」

 高橋紗菜は頭を押さえて「ううっ」とうめき声を上げる河北摩耶を見ながら言った。


「失礼しました。気にしないでください、いろいろと。流石に取り乱してしまいました。問題児をみると昔の癖でカッとなる事がありまして……お恥ずかしい」

 アラン・ホイルはばつの悪そうな顔をして言った。そもそも彼がこんな直接的なやり方で生徒を制裁するのは珍しい。

「はあ」高橋紗菜はあっけにとられた。どことなく、熱血教師を思い浮かべる。今の学園長の印象とは真逆だ。

「そういえば一時期は教鞭をとったこともあるとか」

 高橋紗菜はアラン・ホイルの経歴を思い出し、クスッと笑った。


「まあ、それはいいとして。河北さん、資料の方はできましたか」

 アラン・ホイルは態とらしく咳払いした。

「はい。さっき資料はここに、データは学園長の端末にも送りました。この前、仁君が巻き込まれた事件と、あと、仁君の検査の結果ですが、弱い出力ですが念動力に目覚めている様です」

 河北摩耶は手元の用箋鋏に目を落とすことなく、すらすらと報告を済ました。ただその理知的な喋り方とは裏腹に、性懲りもなく仁に抱きついている。


「河北先輩はまたどうしてここに」仁は聞いた。

「呼ばれたからだよー」

 河北摩耶はヘッドロックしたまま頭をなでるという高等技術を見せていた。

 まともに仁の質問に応える気はないらしい。


 仁はどうしてあんたがこの件に首を突っ込んでるんだと聞いたのだが、表面的なことしか言わない。彼女の頭の良さからして、仁の言葉の意図に気付かないはずがない。

 仁も初めこそ抵抗を見せていたが、彼女のふくよかな胸部に後頭部を埋められていて、途中から照れて頬を染めている。


「気は済みましたか」

 アラン・ホイルはあきれたように右手をぶらぶらさせている。そろそろ本題に入りたいのですが……と、もういちど窘めるように言う。

 普段、柔和な表情を浮かべている彼にしては珍しく威圧感があった。

 ――いつものことらしい、と部外者の高橋紗菜も理解した。困ったなと思いながらも、彼女の処遇は一旦、保留することにした。

 まだ別に話さないといけないことが多いし、空間跳躍系の能力者に物理的な壁はあまり意味がない。

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