第2話 サイコメトラと幼女
斉藤仁が雑居ビルに着いた時には日が暮れかけていた。もともと辺りの治安はよくない。建物も古かったので、先ほど来たときより不気味な雰囲気が出ていた。
『四階まで階段をあがりながらでいいざっとサイコメトリで探ってくれ』
「わかりました」仁は言われたまま階段の方に向かおうとする。
――何かがおかしいと、仁は足取りを止めた。
金属同士がぶつかるような鈍い音がした。あるいは薄い金属が凹むような音だ。
——三階の飲食店の袖看板。
看板が壊れたことには気づけなかったが、落ち始めることは察知できる。
仁は咄嗟に後ろに飛び退いた。
重くて鈍い音が鳴った。先ほどまで仁がいた辺りに看板が地面と衝突して拉げていた。
『何があった』指示役が驚いた様子で言った。
「看板が落ちてきました」
仁は端的に言った。いつも冷静というか、こちらのことに無関心な指示役の慌てた声を聞いて笑いそうになった。
『そうか。さっき来たときに看板の劣化は聞いてなかったが』
指示役は平静を取り戻したようだった。
仁の職務怠慢ではないかと言及しているのだ。
ビルをサイコメトリで調査する許可の見返りとして、設備の劣化状況などを管理会社に報告することになっているのだ。
「いえ、さっき来たときは問題なかったです。見てください。看板のボルトが綺麗にスパッと切れています」
普通、経年劣化で割れたならここまで鮮やかな断面にはならない。どこかバリのような痕ができるのが自然である。
仁は実際にボトルを手に取ってサイコメトリを行使する。
厭な予想が仁の脳内に残る。さっきの野良の念動力と違い相当強い能力で壊されているのだ。
『……そう言われても、映像では経年劣化のものか能力で破壊されたものかはこちらですぐに判別できない』
指示役は言った。仁の証言を信じないようだ。
「相手方の警告かもしれませんよ」
『怯えすぎではないか。あくまで法律に則って調べるだけだ。もしものときは逃げればよろしい』
「だから、強力なサイキックからは逃げられないですって」
おそらく逃げれば罰則があるだろう。記録データは向こう持ちなので命令の改竄はお手のものだろう。
『つべこべ言わずに、行け』
偏頭痛がする。仁の身体が重かった。
階段を上る。特に異常はない。
人の気配はなかった。特に異常は感じない。
だからすこしの気が緩んだのか、さっきからの倦怠感の所為なのか、三階の踊り場をから四階に向かおうとしたとき、人がいた。
金髪の幼女が階段にちょこんと座ってこちらを見据えていた。
――おかしい。
いまのいままで仁は能力を使っているのに全くその存在を読み取れていなかった。それに本来なら仁の能力は彼女の年齢や意識のようなものをはっきりと認知できるのに彼女に対してそれが働かない。
彼女が看板を落としたのだろうか。
「やれやれ警告はしたのに」年齢に不相応なしっかりとした声だった。
そして仁の予想は確信に変わった。
この子が看板を落としたのだ。
「なぜそんなことを」仁は言った。なぜだろう、お互いに会話の主になる言葉は言っていないのに意味が伝わっている気がする。気味の悪い感覚である。
「はやくここから立ち去れ」
幼女は言った。長い金髪が威嚇するように広がる。獣が敵を威嚇するように、身体を大きく見せるように髪が逆立っていた。
『ジジ……、ジ、ズッ……』
急に電波が悪くなったようにスマートグラスからの声がノイズだらけになった。
これも彼女の仕業と考えるべきだろう。
「テレパスとエンパス」仁は言った。
本来は能力者同士の感覚を同期するような特殊な意思伝達を可能にする能力者だ。
特殊な事例だが、彼女のような能力者の中には物に作用する事が可能な例もある。通信を妨害したり、物を壊したり(看板のボトルを破壊したのもその芸当の一つだろう)は事例を知っている。
「いいのかい、そんなに物を考えて。私は他人の考えを盗視(ピーピング)するのが得意な種族だよ」
幼女は不適な笑みを浮かべていた。
「うっ」仁は言葉に詰まる。この建物に入る前からの頭痛が酷くなった。単純に指示役に辟易とした精神的な者だけが原因ではなかったらしい。
サイコメトラにとってエンバス能力は天敵の一種だ。サイコメトラ同士だと能力の重ね掛け(ハウリング)による暴走が起こるが、テレパスはそういう弊害なく能力を行使できる。
つまり一方的にこちらの考え、思惑を読み取られてしまう。
「いいから早く、ここから――」幼女が言いかけた時だ。
爆発音のようなものが四階から聞こえる。
「まずい」
と、幼女は仁に向かい飛びかかってくる。
仁も咄嗟のことで幼女を懐に入れてしまう。
耳をつんざくような爆発音がする。
——近い。
煙と炎が仁の方に流れてくる。それがまるでスローモーションのように見えた。
仁は咄嗟に幼女を抱える。身体を捻りながら重力に任せて階段を飛び降りる。
「てい」と、幼女が意味不明に叫んだ。
仁の能力と五感が、阻害物がなくなったように急にクリアになっていく。
そしてサイコメトリが戻ったところで、はっきりとこの爆発に間に合うわけがないことだけを認識させられる。
「仕方ない……。奥の手だ……」幼女がボソッと言う。
幼女の右手が仁の心臓付近を触れた。やたら熱いと感じる。その手が徐々にせり上がって行き、仁の頭を撫でる。
まるで慈しむように幼女は仁を抱きしめる。
――暖かい。力が漲るようだった。
それは比喩表現ではない。
念動力。
それは本来、仁には備わっていない能力である。
それがどんな物であるか、知識と体験で知っていた。
そして仁はそれらを感覚で理解することになる。
仁は自分の身を守る術を不思議なくらいしっかりと知覚できた。
ビルは爆発の影響で大部分が崩れてしまったが、仁とその幼女はビルの外で傷一つない状態で倒れていた。
「よかった。助かった」
腕の中にいる幼女に外傷がないことを仁は喜んだ。
サイコメトリが自分も幼女も大きな傷がないことを教えてくれた。
そう、ただ疲れただけだ。
すぐに仁の意識は刈り取られるように、眠ってしまう。
薄れゆく意識の中で幼女の惘れたような声が聞こえた気がした。
「やれやれ、やっかいなことを……」
謎の幼女は不敵に笑って消えた。
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