猫と奪い与える者の話 2

この幼い神様はきまぐれだ。


一緒に旅をするようになって、何度もそう思う機会に恵まれて、今では諦めてしまった。

「うーん」

珍しく幼い神様が悩んでいるが、ボクはその悩みがどうでもよくて、変わった形の雲を探して、夏の青空を眺めていた。

(お、あの雲はカニに似てる。そういえばお腹すいたな。マグロもイワシもこの間初めて食べたイカというのも、変な食感だったけど醤油をかけてあると美味しかったんだよなぁ)

「…魚食べたい」

思わずこぼれた独り言に幼い神様がすぐに反応した。


「お魚!!いいね、私もお魚食べたい」

幼い神様は大きく広げられた地図を覗き込み、現在地から海の方へと指をなぞらせる。

幼い神様が先ほどまで悩んでいたのは、今後の行き先をどうするか?ということだった。

南下して砂漠を目指すのか、西に移動して小国家が乱立する人の坩堝に向かうのか、といった猫の身にしてみればどうでもいいことだった。

「なによ、猫君。要望があるならちゃんと言ってよ」

「別にどうしてもってわけじゃなかったし」

くるくると大きな羊皮紙でできた地図をまとめた少女は、西の方角を差して、

「さぁ行こう!目指すは東の海だよ」

疲れを知らない幼い神様は、楽しそうに歩き始めた。



幼い神様が神様と呼ばれる理由は、一緒に旅をしているとすぐにわかった。

まず不老不死であり、幼い神様のことを誰も傷つけることができない。

戦場を訪れても矢玉は剣槍は少女を避け、草木一つ生きられない標高の高い山の上であろうと、大地すら燃える灼熱の土地も、雪と氷で覆われた地ですらも、幼い神様には何も影響がない。

気が向けば空を舞い、自慢するように水の上を歩き、指先一つで誰かの願いを叶える幼い神様は、まさに神様であった。


しかし、幼い神様が願いを叶える時、対価が必要となる。

「この子は神に魅入られた」

力を与えられた人に対して、人々が口々に口にする言葉は、その対価の重さを物語っていた。




彼もまたその『神に魅入られた』一人だ。


海の見える街で出会った少年。

下級貴族の三男坊だった少年は、一人で笛を吹いていた時に幼い神様と出会い音楽の才能を開花させる。

それは少年が幼い神様に願ったからだった。

『音楽の世界で生きたい』と。




「どうやったらできるんです?」

ボクはずっと思っていた疑問を聞いてみた。

幼い神様が願いを叶える時、その手が光、一瞬世界が白い光に包まれる。

そうすると、その者の願いが叶うようになるのだ。

「どう、って、こうだよ」

幼い神様は手をボクの方にかざす。

「えい!」

まるで気功かエネルギー弾を発射するような感じで、気合の入った声をあげたが、その手からは何も出てはこなかった。


「何もおきませんね」

「あれ?おかしいな」

幼い神様は自分の手の平をみて、また「えい!」と気合と共にただただ手のひらをボクに見せることを何度が繰り返す。

そして。

「あっ、そっか。私、猫君の願いをもう叶えちゃってるからダメなんだ」

失敬失敬と舌を出して笑う少女だが、ボクには願いを叶えてもらった覚えがない。

「願い?ボクは何かお願いをしたの?」

「そうだよ、覚えてないの?」

逆に聞き返されてしまったが、何も覚えていない。

「ぜんぜん。ボクは何をお願いしたのかな?」

「さぁ?私も忘れちゃった」

そう言ってはぐらかした幼い神様は、トンとステップを踏むとふわりと空へと舞い上がり、それを追いかけて、ボクも助走をつけて空へと舞い上がった。


薄い雲を突き抜けると、空にただただ丸い大きな月がある。

「猫君もその内、私と同じことができるようになるよ」

ふわふわと夜空を漂いながら幼い神様が言った。

「私と同じように、誰かの願いを叶えることができるようになる」

「ボクが?」

「そう、君が」

「嫌だよ。誰かの願いを叶えるなんて。ボクに何もいいことないじゃん」

「そうかな?誰かが喜んでくれるのって嬉しくない?」

「別に。知らない相手だし、人の願いなんて独りよがりのものばっかりじゃないか」

「そうかもね。でも、時々自分以外のことを願う人がいるから、私はこの力があってよかったと思ってるよ」

幼い神様はなぜか少し悲しい表情を浮かべた。

「ただ、その対価を求めてしまうのだけは、−−−−−−」

強い風が吹いて、その続きの言葉をボクは聞き取れなかった。

風の音がうるさいから、ボクは空を飛ぶのが嫌いだ。

聞き返そうとするボクの声も、風がどこかへと連れて行ってしまう。


「おっきな街だね」

次に幼い神様の声が聞こえた時には、もう話題は別のものに変わっていた。

眼下に広がる街では、街をあげての祭りの真っ最中だ。

東西に伸びる大通りには通りを彩る提灯が連なり、露天が立ち並び行き交う人々の列は途切れることはない。

「祭りに行かなくていいんですか?」

「うん、今回はいいや」

幼い神様は少し悲しい表情を浮かべ、ボクは失言だったと後悔する。

幼い神様が見つめる街の祭り。

華やかな提灯の灯りと仮装をする人々、はるか上空に漂うボクたちにも、人々の笑い声や大通りを包む音楽が聞こえてきそうだった。


幼い神様はその音楽を聴きたくなくて、こんな空高くに逃げたのだ。


「あの子の願いは叶ったよね?」

幼い神様の独白を今度は風が遮らない。

「叶いましたよ。だから、あの街はこんなにも楽しそうなんじゃないですか」

少年だった下級貴族の三男坊。

今ではもうおっさんといってもいい年齢となった男は、音楽を貴族の嗜みの域から解放し、民衆の娯楽の一つへと昇華させた。

それまでただ叩き・鳴らすだけだった音を整理して、旋律という音色に彩り、練習をすれば誰でも一つの芸として親しまれる音楽へと変えたのだ。

きっと今も、あの祭り場では、色とりどりの音色が溢れているだろう。


三男坊は街に音楽が溢れるよりも少し前に、己の聴力を失ってしまっていた。

自身が育てた音楽を聴けず、その音色を目にすることしかできない三男坊。

三男坊の願いは叶ったが、なんとも酷なことだ。

ただ、三男坊が聴力を失ったのは決して幼い神様のせいではない。

対価とは、そんな残酷なものではないからだ。


それなのに。


音楽を大成させ、聴力を失った三男坊に誰もが口々に言った言葉。

『あの子は神様に魅入られたから、音を失った』

『あいつは神様と契約したから才能を与えられ失った』

彼が聴力を失ったのは、決して幼い神様のせいではない。

願いにはそれ相応の対価だか、こんな天邪鬼のような対価なはずがないだろう。


「そうだよね。あの子もきっと満足してるはず」

そう言って、幼い神様は街へ背を向けた。

ふわふわとまるで風に舞う花弁のように、風の吹くまま気の向くまま。

目を瞑ってどこか違う場所に勝手に連れてってと、幼い神様は風に身を任せて流されていく。

ボクは離されないように、幼い神様の腕にしがみついた。

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