かぐや姫に求婚する”サクラ”になったけど、なぜか俺にだけ無理難題を出してこない

チドリ正明

KAGUYA

 竹林の奥に、かぐや姫が住まう館がある。

 

 白砂の敷かれた庭には月光が落ち、風がそっと撫でるたび、枝葉が鈴の音のように揺れる。

 都じゅうの貴族が憧れ、天女のようだと噂される姫。そのもとへと、今宵、六人目の求婚者である俺は足を運んでいた。


 もとより、俺のような町人がこの場にいるのはおかしな話だ。


 名家の御曹司でもなければ、武勇に優れた武士でもない。商いで財を成した成金ですらない。

 ただの町の若者が、貴族たちに交じって求婚者に選ばれたのは——要するに、体のいい賑やかし。

 民草の代表として見せ物にされる役割だった。


 “姫に一瞥すらされなかった町人の話”をアテに酒を飲み、嘲笑うために、選ばれただけだった。



「月よりも美しき姫よ」


 そう口上を述べるのは、帝にも重用される右大臣の若公。彼の膝元には、すでに姫からの「試練」が言い渡されている。

 その名も、蓬莱の玉の枝。異国の地に生えるという、金銀瑠璃を宿す神木。


 次いで、左大臣の嫡子には仏の御石の鉢。

 大納言の公達には火鼠のかわごろも。

 中納言には龍の首の珠。

 少将には燕の産んだ子安貝。

 

 それぞれ、この世には存在しないとされる宝物を持ち帰るようにとの無理難題。


 まったく、とんでもない話だ。


 かぐや姫は決して誰とも結ばれぬよう、手に入らぬ品を望む。

 求婚する側にとっては理不尽極まりないが、これが噂に聞く姫のやり方だ。


(さて、俺はどんな無理難題を言いつけられるのやら……)


 覚悟を決め、畏まる。だが、次の瞬間、かぐや姫はふと目を伏せ、静かにこう言った。


「あなたは……私に歌を詠んではくれませんか?」


 俺は息をのんだ。


(……は?)


 なぜだ。なぜ俺にだけ、これほど簡単な願い事なのか。


 貴族たちは困惑した顔でこちらを見ている。もちろん俺も訳が分からない。だが、何より不可解なのは——


 姫が、どこか懐かしげに俺を見つめていることだった。





 かぐや姫の言葉が、夜の静寂に溶けていく。


 歌を詠むだけでよいなど、到底信じられない。

 隣に座す右大臣の若公が、眉をひそめて俺を見た。


「姫、どういうことでしょう? この男にだけ、そのような——」


「私がそう望むからです」


 かぐや姫の声音は穏やかで、しかし決して揺るがぬものだった。


 貴族たちは口には出さぬものの、誰もが納得していない顔をしていた。

 無理もない。彼らは血筋や権勢を誇り、姫の心を射止めようと、それぞれに叶いもしない難題を課されている。

 それなのに、俺だけが「歌を詠むだけ」などという扱いを受ければ、面白くないのは当然だ。


 俺自身も、不審に思わないわけにはいかなかった。


(なぜ、俺にだけ……)


 かぐや姫と会うのは、今夜が初めてのはずだ。


 俺はどこにでもいる町の青年であり、特別な身分でもなければ、華やかな学識を持つわけでもない。

 幼いころに姫と出会った記憶も——


 ……いや。待て。


 何かが、喉元までこみ上げる感覚があった。


 胸の奥に、霞のようにぼんやりとした、懐かしい気配。



 ——誰かと、月の下で言葉を交わした記憶。


 ——それは、いつのことだったか。



 その正体を掴むより先に、かぐや姫は静かに微笑んだ。


「あなたは、私の願いを叶えてくれますか?」


 俺はしばし言葉を失ったあと、ゆっくりと口を開いた。


「……俺のような者の歌でよろしいのですか」


「ええ」


 かぐや姫の瞳が、ひそやかに揺れる。


 まるで、長い時を越えてこの時を待っていたかのように。


 俺は、胸の内にわずかに残る違和感を振り払うように、ひとつ息をつくと——


 月の光を浴びながら、静かに歌を詠み始めた。


 夜風が庭の白砂をかすめ、竹の葉をさやさやと鳴らす。


 俺は目を閉じ、そっと言葉を紡いだ。


「かげさへや 昔の色に 変はらまし

 月の光の しるき夜なれば」


 貴族たちが、息をのむのがわかった。

 それも当然だ。この歌は、よく知られたもの。

 

 意味はこうだ——


 もしも影までが、昔と同じ色に戻るなら、

 あなたはきっと私を思い出してくれるでしょう。

 今宵は月の光があまりに明るいのだから——


 詠んでから、自分でも驚いた。


 なぜこの歌を選んだのか。


 それは、俺にもわからなかった。ただ、かぐや姫の言葉を聞いた瞬間、迷いなくこの歌が口をついて出た。まるで、ずっと前から心の奥に刻まれていたかのように。


 かぐや姫は、その場に立ち尽くしていた。


 長い睫毛がわずかに震え、夜の闇よりもなお深い瞳が俺を映す。


「……あなたは、覚えていないのですね」


 静かに囁かれた言葉が、胸の奥に落ちる。


 覚えていない?


 何を——


「姫、どういうことですか?」


 俺の疑念を遮るようにして、右大臣の若公が訝しげに問いかける。


 しかし、かぐや姫は答えなかった。ただ庭の片隅に目を向けるだけだった。


 彼女の視線の先には、小さな一本の竹が生えていた。


 他の竹よりも幹が細く、どこか儚げなその竹は、月明かりを浴びてかすかに光をまとっていた。


 俺はその竹を見た瞬間——


 頭の奥が、がらんと音を立てた。



 ——知っている。


 ——この竹を。



 この庭に生えているはずのない、この一本の竹を——俺は、知っている。


 どうして? いつ? 


 だが、答えを出すより先に、かぐや姫が静かに口を開いた。


「今は、まだ言いません」


 その言葉は、柔らかく、それでいてどこか寂しげだった。


 同時に月が雲に隠れ、庭の白砂が仄暗く沈む。

 静寂が広がり、竹の葉の擦れる音だけが響いた。


 かぐや姫は俺から視線を外し、ゆっくりと袖を揺らす。

 貴族たちも、もはや口を挟むことができずにいた。


「では、皆さま——」


 かぐや姫は一歩後ろに下がると、そっと頭を下げる。


「今宵はこれにて、お引き取りくださいませ」


 貴族たちは互いに顔を見合わせると、若干居心地が悪そうに肩をすくめた。


「……姫」


 右大臣の若公が、何か言いたげに口を開く。しかし、それ以上は言えなかった。


 彼らはそれぞれ、姫に与えられた無理難題を抱えている。今ここで詮索しても仕方がない。

 何より、かぐや姫がその気ならば、誰も逆らうことはできないのだ。


 それから数十秒の沈黙を挟んでから、貴族たちは一礼し、ゆっくりと館を後にした。


 だが、俺はその場を動けなかった。

 そんな俺をみて、かぐや姫がわずかに微笑む。


「あなたも、お帰りなさいませ」


「……本当に、俺には何もないのですか?」


 思わず、問いかけていた。


 貴族たちが課されたのは、決して手に入らない品々。

 しかし、俺は違った。

 求められたのは、ただの歌——それだけ。


 なぜ、俺だけが?


 かぐや姫は、答えなかった。ただ、もう一度、あの竹に視線を向ける。


「——あの竹を、よく覚えていてください」


「……?」


「あなたは特別なのです」


 それだけを言い残し、かぐや姫は静かに館の奥へと消えていった。


 俺は、しばらく動けなかった。


 月はまだ、雲の向こう。


 薄暗い庭に立ち尽くしたまま、俺は一本の竹を見つめ続けていた。




◇◆◇◆◇




 数分の時が流れると、月が雲間から顔を出した。

 淡い光が庭に降り注ぎ、白砂がぼんやりと輝く。


 俺は、ただ一本、かぐや姫が示した竹を見つめていた。


 何かが引っかかる。


 この竹を知っている——そんなはずはないのに。

 だって俺はこんな場所に来たのは初めてだから。

 竹林で竹の伐採をした経験はあるが、それでもかぐや姫と邂逅した記憶はない。


 しかし、どうしても頭によぎる。そう思えてしまう。あの竹を、俺は知っている。


「……覚えていてください、か」


 俺は、かぐや姫が残した言葉を反芻する。


 彼女は何を知っているのか。


 俺が忘れているだけで、本当は——


 俺とかぐや姫は、どこかで会ったことがあるのか?


 あるいは、この竹が、その記憶の鍵になるのか?


 考えれば考えるほど、霧がかかったように答えが遠ざかる。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 もし、この問いの答えがあるとしたら——

 それは、無理難題を出されなかった俺だけが、たどり着けるものなのかもしれない。


 夜風が吹き、竹の葉を揺らした。


 俺はそっと、一本の竹に手を伸ばす。


 指先が触れた瞬間——

 なぜか、ひどく懐かしい気持ちになった。

 その理由を俺はまだ知らない。

 けれど、それを知るのは俺自身なのだろう。

 月は再び、雲の向こうへ隠れた。


 俺は静かに踵を返し、竹取の館を後にしたのだっま。

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