クレオメ

 カメラには真実が映る。どんなに早く羽ばたく鳥も、カメラの前ではその動きを封じられる。フィルムの中に閉じ込められ、それは写真として永遠に機械の中で保存される。ゆえに、シャッターを切るタイミングはカメラマンにとって一番の見せどころであり、撮影において最も重要な場面ともいえる。

 僕が写真部に入ってもう3か月ぐらいだろうか。先輩たちは夏のコンテストのことすら忘れ、今も優雅に友人と遊んでいるのだろう。毎日、部室にいるのは僕一人。当然、部活に対するモチベーションも下がってくる。

 不穏な雲が地上へと姿を現しはじめる。最上栄太もがみえいたは首にかけていたカメラを手に取り、椅子に座りながら過去に撮った写真を懐かしむように見返していた。

 退屈だ。部室に来ても誰もいないし、外に出たところで登校時の景色が再び目に映るだけ。学校も退屈な授業と休み時間を繰り返すだけで、何の面白みもない日々だけが続いている。なにか、刺激的な出来事が起こればいいのにな。僕がカメラを向ける価値があるほどの。

 過去の写真を見ながら、栄太は大きくため息を吐いた。その時、外からピシャリという雨音が聞こえた。次第にそれはけたたましい音へと変わり、やがて激しい豪雨へと姿を変えた。

 今日はひどい天気だ。天気予報でも、ここまでひどい雨は報道されていなかったというのに。……まぁいい。幸いにも、折り畳み傘は持ってきている。きっと、午後には止んでいるだろう。

 そうは思いながらも、栄太は雨音へ惹かれるように、静かに窓ガラスへ手を当てた。外には激しい雨に耐えながらも、懸命に咲き続ける花々の姿があった。

 今日は、少しだけ面白い日になりそうだ。代り映えの無い退屈な毎日に、雨という要素が加わる。騒音が少し煩わしく感じるが、それでもいつもよりは断然楽しい。もっと、刺激が欲しい。いつもと違う景色を写真に収めたい。

 部室の窓を開き、カメラを構える。パシャン、という音とともに先ほど見た風景が一瞬にして凍結される。栄太は保存した写真を見返し、小さく笑みをこぼした。

 やはり写真は面白い。零れ落ちる水滴、アサガオが水滴をはじく瞬間、そのすべてが一枚の写真の中に集約されている。些細な時の流れすらも掌握し、そのすべてを僕に見せてくれる。カメラは、なんてすばらしい機械なのだろう。

 自分の手にしているものの素晴らしさを改めて感じ、栄太は自分が写真部であることを感慨深く思っていた。しかし同時に、栄太の心に宿っていた本音が徐々に表立っていく。

 ……でもやっぱり、物足りないな。本当にこのままでいいのだろうか。ありふれた風景の一時を写真に保存し、それを永遠と繰り返すだけ。そんな写真部の活動に、果たして意味などあるのだろうか。

 遠くの本校舎でチャイムの音が鳴る。栄太は窓ガラスから目をそらし、ゆっくりと部室のドアの方へと向き直った。

 景色は色即是空であり、時間の経過とともに風景は移り変わる。春に植えた種も時間を経るごとに成長を遂げ、最後には可憐な花を咲かせる。けれど、開花に至るまでには多大な時間と努力が必要であり、種を埋めてすぐに美しい花びらを眼前にできるわけではない。

 けれど、僕は「今」新たなものを欲している。僕の熱が冷めないうちに、何かを記録として残しておきたいのである。なんでもいい、何か僕の好奇心を揺さぶるようなものはないだろうか。

 悶着する気持ちを抱えたまま栄太は近くの荷物を手に取り、部室の外へ出た。木造の天井にはいまだに激しい雨が降り注いでいる。

 部室に鍵をかけ、鉄骨階段を滑らないよう一段ずつ慎重に降りていく。階段を下り終え、栄太は手に持っていた折り畳み傘を勢いよく開いた。

 部室棟から本校舎まではわずかな距離ではあるが、なるべく濡れるのは避けたい。カメラにもしものことがあったら、なんて考えたくないからな。

 水たまりを避け、舗装された道を進んでいく。学生たちの話し声は雨音でかき消され、傘が雨をはじく音だけが響き渡っている。昇降口へとたどり着き、栄太は傘をたたんで自分の下駄箱へと手をかけた。


「えっ……」


 思わず声を漏らしてしまうほどに、栄太は驚きを隠せなかった。下駄箱の中には、心当たりのない一通の茶色い封筒が入っていた。


「なんだこれ……」


 栄太は悶々としながらも目の前の封筒を手に取った。おそるおそる封筒を開けると、中には丁寧に畳まれた1枚の紙が入っていた。栄太は不気味に感じながらも、不思議な力のいざなうままに紙を広げ、その内容を目にした。


「今日の昼休み、屋上で面白いものが見れるよ」


 なんだこれ……。栄太はその内容の異常さに、一歩足を退しりぞいた。

 誰かが僕の下駄箱にこの封筒をいれたのは間違いないが、この文はなんだ。今日の昼休み……? そこで何かあるのだろうか……? これを入れた奴は、一体僕に何を伝えようとしているのだろう。

 たった20字の文章ではあるものの、栄太は紙に書かれた文字に謎の威圧感を感じていた。まるで、「来い」とでもいうかのように。

 ……ばかばかしい。誰かのいたずらに決まっている。きっと今もどこかで、僕が戸惑っている姿を見て楽しんでいるに違いない。

 考えを振り払うかのように、栄太は手に取った紙を無理やり鞄の中へと敷き詰めた。しかしその眼には、数々の場数をくぐったベテラン記者のような、燦爛さんらんたる探求心が宿っていた。



クレオメ 花言葉は「秘密のひととき」

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