欲望 7
(理久……。縫衣さん……! どこにいるの? 早くきて。取り押さえるなら、今……)
そう未命が考えているとき、禅治が云った。
「さて、早速その包みを開いて、見せてくれますな? かずらの根を……」
「――ええ、も、もちろんです」
と、未命は行燈を地面に置いて、風呂敷包みを両手に持った。――無論、その中には布の塊しかない。もったいぶった手つきで、結び目に指をかける。
「おや、思ったよりも堅くて……。いけませぬ」
すると、禅治はとうとう苛立った様子で、
「焦らず……。どれ、私が見て差し上げましょうかな」
「いえ、じきにほどけます。――あ」
と、包みを落とすと、禅治は腰を屈めて、
「おおッ。お気をつけを……。大切なお品が」
「すみませぬ。す、すぐに取り出しますゆえ」
「いえ、私にお任せください。――そのようなお手つきでは、爪でも剥がしてしまうかも知れませんからな。ほほッ」
禅治は嗤いながらも、殺気立った目つきで風呂敷包みを拾い上げた。松明を地面に転がすと、風呂敷包みを両手に抱え、結び目を解きはじめた。
「くッ。一体この堅い結び目は、何事ですかッ! 親の仇とでも云うように」
「すみませぬ……。なくしてはならぬと、つい……」
「そりゃそうですけどね! ああ、もうこれは……」
未命はふと禅治の襟元に、黒光りする短刀らしき鞘が覗くのを見た。
(それはそうだ。こんな独り身の行商人が、丸腰のわけがない。短刀くらいは持つ。――いえ、行商人? 本当に、この人、何者なの……。それより……! 早く。早く、理久! もうだめだよ……)
禅治は鼻息を荒げ、ひいひい云って結び目と格闘している。
「――こういうときは、捩れば。くそッ……もうこれは」
やがて、晴れやかな声。
「おお、これは、いけますぞ……」
はっとして未命が見ると、ちょうど結び目は、観念したようにほどけていた。
「どれどれどれ……」
禅治は唾を音をたてて啜り、まるで乙女の衣を剥ぐような手つきで包みを開いていった。すると、茶色の麻布の包みが現れた。
「むッ。またですか……」
しかし、結び目はなく、麻布は何なく剥かれた。
最後に現れたのは、小ぶりの文鎮だった。――おそらく、未命が手紙を書くときに使ったものだ。
「な、何ですか……。これは。何と…………」
禅治は小刻みに震え、布と文鎮を地面に落とした。笑顔の皺に埋もれていた目が薄く開かれ、光を放っていた。松明の火を赤く映して、
「何の真似ですかな。――それよりッ」
禅治の右手が迫ると、未命の笠が奪われた。そこで禅治と、まじまじと目が合った。
「やはり! やはり、緋奈ではない!」
禅治は懐に手を伸ばし、短刀を抜いた。左手が伸びてきて、肩を掴まれた。ぐいと引かれ転がされた。闇が反転――松明の火と遠い星空。ごつごつした地面に背中がぶつかる。
眼前には、分厚い手に握られた短刀がぎらりと光る。
「誰ですかなァ。巫女様。あなた様は……ん。もしや……!」
そこで禅治は、短刀をぐいと近づけてきた。
未命が目をつむると、ぶつり、と頭の上で音がした。――何が起きたのかわからなかった。
目を開けると、禅治は左手に黒髪の束を手にしていた。じっとりとした、舐め回してくるような目つきで、
「未命ィ……。かの依代よ……」
そのとき、茂みから影が飛び出してきた。地面の松明の火に、暗緑色がはためいた。
「ぬ、縫衣さん……」
その影――縫衣は滑るように禅治へ迫ると、いきおい、脇腹に蹴りを入れた。禅治は「うぐゥ」と漏らして後ろに倒れ込み、杉に顔をぶつけた。――そこから崩れるように座り込み、杉に背をもたれた。口から血が流れている。
禅治はその血を左手の甲で拭う。――そして何を思ったか、右手の短刀の刃に血を擦りつけた。
「ほほほッ。取引不成立…………。なれば」
と、禅治は血のついた刃を逆手に持ち、地面に突き立てた。
「だめだッ……!」と、縫衣は禅治へと駆け寄る。
未命には理解ができなかった。いったい、何が起ころうとしているのか。
縫衣の足が禅治の右手を蹴り飛ばす――ように見えたが、その足は阻まれた。
地面から突き上がってきた木の根に。いや、
「
と、未命は声高に云った。蛇の頭をもたげた茶色い蔓が、縫衣の足を阻んだのだ。その蛇は口を開けて縫衣を睨んだ。
気がつくと、未命の周囲の土が盛り上がり、そこからも蛇の頭が現れた。
「いけない!」と縫衣の声。
いよいよ縫衣は左腰に右手を伸ばし、白柄を掴む。未命の脳裏に、『白花ノ剣』の二つ名がよぎる。
周囲のかずらたちが鎌首をもたげ、しゅうしゅうと唸り、牙を剥いて迫ってくる。縫衣は目を細めて、刀をゆらりと下方に動かした。
次の瞬間、一匹のかずらの首が落ちた。――どうやら目にも止まらぬ速さで、一匹を仕留めたようだ。
そこから縫衣は跳躍して――着地際にまた一匹のかずらの首を落とす。
かずらたちは刹那、身構えるように動きを止める。
禅治は体を起こし、かずらたちの蔓の向こうで声を上げた。
「まさか、白花ノ剣! お前が現れるとは……」
そう云って、禅治は左手の髪の束を――未命から切り取った髪の束に視線を落とす。
「まあよい。これがあれば、いつなりとも蒼玉を追える。どこまでもな。ほほほッ」
そうして禅治は松明を拾い上げて、背を向けた。地面には未命が持ってきた行燈が、か細く灯っている。
そのとき、縫衣が現れた茂みのあたりに人影――行燈を掲げた理久だ。
「理久……!」
思わず未命が声を上げる。理久は周囲を見回すも、かずらを目にしたせいか言葉を失った。
縫衣は左手を、禅治の消えていった方へ向けて、
「早く追って! やつを、禅治が逃げた。逃してはだめ!」
理久ははたと正気に戻ったように、未命を、それから縫衣を見た。
「禅治が……。そうか、あの、松明の火!」と理久。
正味、闇の中に禅治が掲げる火が、逃げ去るように漂っていた。
「必ず戻る! それまで、無事で! 二人とも」
理久は悲痛な声でそう云って、名残り押しそうに背を向けると、闇の中へと駆けていった。
かずらたちはしゅうしゅうと、苛立たしそうに声を上げ、取り囲んできていた。まだ、四匹の蛇の頭が揺らめいている。木の節のような、無機質な瞳を暗くぎらつかせ、牙を涎とも毒液ともつかぬ、粘質な体液に濡らして。
そこで縫衣は、ふいに視線を向けてきた。
「未命さん、これを」
と、縫衣は左手を懐に入れ、
「この、鳳嵐鈴を……。あなたに」
「何……。何よ! それを、どうしろっていうの?」
「いいから。蒼玉なら、使えるッ」
「まだ、蒼玉はわたしの中だよ! 追い出し方も、わからないよ!」
そのとき、縫衣は「あ……」と声を漏らす。一匹のかずらが、縫衣の肩に噛みついていた。鳳嵐鈴が地面に落ちる。
二匹目、三匹目が縫衣の体に喰いつく。――まるでかずらたちが、先に仕留めるべき獲物を、見極めたかのように。
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