欲望 3
白ノ宮にほど近い修練場には、まだ朝の気配が残っていた。
小鳥の鳴き声が響き、低い太陽の白んだ光が森を照らしている。
修練場の裏手の少し開けた所で、未命は空を見上げた。横には縫衣もいる。空からは老人の頭の怪鳥――刹が降下してきていた。
――朝餉を終えたとき、白ノ宮の上空に刹が現れ、騒ぎになったのだ。それから、縫衣は誘導するように外に出て、ここまでやってきた。
未命は天をかき分ける、その大きく張った翼を見た。がさり、がさりと小気味よい音をたてて降下する。巨大な鉤爪が脚の先に光っている。大きな顔はやはり、禍々しいと云うべき、白髪に白髭の、因業そうな老人のものだ。
「ケェェェェェ! やはりィィ!
刹はどさりと着地すると、覆い被さるように顔を近づけてきた。日が遮られ薄暗くなった。
「ちょ、ちょっと。これは……」
と、未命はのけぞりながら縫衣を見る。――どこか、おもしろそうに、目の奥が輝いているようだ。気のせいかも知れないが。縫衣は云った。
「刹は……。蒼玉の仲間で、一番の家来だった。わたしの、友達でね」
「そ、そんなことより。何? どうしたらいいの?」
「ゲッゲッゲッ……。何ぞォ。姫様なのか? 違うのか? 何ぞォォ」
刹がまた、顔を擦り寄せ匂いを嗅いできた。縫衣はその頭に触れて、
「待ってよ刹。落ち着いてよ……。この人は未命さん。蒼玉が、たしかに同居してる……みたいな状態」
すると、刹は首を引いて見下ろしてきた。
「何ィ。――それでは、かつての、縫衣と同じと云うかァ……。あのころの! なぜだァ! 取り出せェェ! 姫様を!」
そうして刹は大きな翼を羽ばたかせる。縫衣は制するように、
「そうじゃなくてさ……。ごめん。そのうち、きちんと説明するよ! 今は……まだ。もう少し。――でさ」
そこで縫衣は懐に手を入れて、白い巾着袋を取り出した。
「おおォ」
と刹は目を広げる。縫衣が左手に巾着袋をひっくり返すと、茶色く平たいかけら――黒糖焼きがこぼれてきた。
「白ノ宮の、客間から持ってきたんだ。ね、好きだよね?」
「おォォ! 悪うない。悪うないぞォ!」
刹はがばりと口を開けて涎をどろり垂らし、詰め寄ってくる。縫衣は左手の菓子を右手で摘み、一つずつ大口に放る。
刹は目を細めて口を動かし、満足そうに唸る。
「ゲフゥ。佳き舌触りぞォ! 味も一級ゥ」
縫衣は少しほっとしたように、
「ね、もう少し待ってよ。落ち着いてさ。――あと、お願いがあるんだけど……」
「何ぞォ。うまいィ……」
翼をばたつかせ菓子に夢中な刹は、横目で縫衣を見る。
「ね、刹……。もしかしたら、未命さんや白ノ宮を狙って、敵するものが、やってくるかもしれない。だからさ、見張っていて欲しいの……。空から」
「ううむ……。なにゆえ、この儂がァ」
「蒼玉が、困っちゃうよ」
「何ぞォ。姫様が……。それはならぬゥ!」
「だからさ……」
刹はまさに、鳥のように首を何度か傾がせ、目を見開いた。
「ぬゥ。なれば、菓子を所望するぞォ! 黒蜜焼きも、柚飴も、白花糖もォ! 山の如く持って参れェ。ゲッゲッゲッ……」
◇
理久は陽射しの下、峠の道を捜索隊の仲間と共に進んでいた。まもなく白ノ宮にたどり着く。
背後から
「もうじきだな、やっと。――しかしよ。かの烈賀王も、仰天の報せだったな。まさか、未命とは別の巫女が下手人だったとは……。それに、未命も白ノ宮に、戻ってやがるとは」
理久は歩きながら返す。
「ああ。わかってたさ。未命が巫女殺しなんか、するわけがないよ……絶対に……」
「そうかよ。――まあいいや。早く帰って、酒をかっ喰らって、休みたいもんだぜ。牛蒡漬けでも肴によォ」
「そうだな……」
理久は思わず足早に、前の兵にぶつかりそうになりながら進んだ。
峠の頂上にくると、青空を背景に白ノ宮の本宮が見えた。
(未命……。きみが、戻ってきた……)
理久は白ノ宮に連なる建物を見つめ、峠を下っていった。未命の艶やかな黒髪や仄紅い頬の色、甘い唇を思い出して。
(しかし……。大丈夫なのか? 未命。きみの渇きは……。あの、きみの中の魔性は……?)
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