夜を越えて 7

 理久は隊列に従い森を歩いていった。やがて前方から、部隊長の声がした。


「おい、血が落ちてるぞ! さっきの木こりが云っていた場所に、近いぞ」


 すると守護たちは口々に、


「何だと?」「血だとよ」


 と口走り、駆け寄った。



 血は点々と続いており、たどってゆくと小川に出た。


「あっちに、村があるみたいだぞ」


 と、一人の守護が西の方を指さした。


「よし、行ってみよう」


 そう部隊長は受け合った。




 ◇



「頼もう! 人探しだ」


 荒々しい声に、未命は目覚めた。もう一度声が響いてきた。


「すまぬが、開けてくれい」


 未命は体を起こし、声の方に顔を向けた。――そこは、菊太郎の家の中だった。


 男の声がしたのは外からだ。どうやら、隣の家の方からのようだ。家の戸が開く音がして、声が聞こえた。


「白ノ宮から、巫女が逃げ出したのだ。中背の者なのだが……」


 すると、こんどは縫衣の声がした。


「いけない。――追いつかれた」




 ◇



 理久は部隊長が、家人と話をするのを見ていた。家から出てきたのは、白髪を頭頂に結った老人だった。


「いえ、とんと知れませぬなあ。巫女、とは」

「もしくは、変装などしておるかも知れぬ。どうだ? 心当たりは……」

「いえ、どうですかな。わかりませんな」

「なれば、家の中を見せてくれ」

「はあ、それならば、よしなに……」


 それから、部隊長と二人の守護が家の中を覗いた。部隊長は家から出てくると、


「――ふむ。これは邪魔をいたした。許されよ」


 すると、ぴしりと戸が閉ざされた。


「よし、次の家だ。全部調べるぞ!」



 そんな中で理久は、胸騒ぎと共に焦燥を感じていた。


(未命。――もしきみが見つかったら、俺はどうすりゃいいんだ! こいつらを斬って、一緒に逃げるのか? それとも、知らん顔をして、きみを連行するか、あるいは部隊長のやつが、きみを斬るのを、見届けるか。――なあ、どこか遠くに、逃げていてくれよ。無事に。未命……。そうでなけりゃ、俺はやはり、こいつらを全員、殺してでも、きみを…………)


「おい、大丈夫かよ」とは護杜。理久ははっと顔を上げた。

「な……。ああ。何でもない。大丈夫だ」

「顔が青いぜ……。しっかりしろよ」

「わかってる。何でもない」


 すると、部隊長は次の家を指さした。



 ――日月ノ長神ひつきのながかみの神話がある。


 両頭の大蛇たる長神は、神々を統べる主神であり、天の彼方にある巨大な白花の中に棲むとされる。


 銀色の体は常に照り輝き、その先にある東の頭で太陽を噛む。また、西の頭で月を噛むとされる。


 そんな長神の美しい鱗からは、人々や世界の運命が敷布として産み出されるという。


 目も綾な色とりどりの色彩の敷布は、抗い難い縁と運命を形作る。


 縦糸に悲哀と皮肉を。横糸に喜びを。


 ――そうして編まれた敷布の模様の上を、人々はよろめきながら歩くのだ。どこにたどり着くかも知れず、運命の皮肉に恐れおののきながら。



 部隊長はついに、その家の前に立った。未命たちが逃げ込んだその家の前に。守護たちもそぞろついてゆく。


「御免つかまつる! 尋ねたいことがある。開けてもらおう!」


 理久は己の運命を知らない。――ましてや、その家に未命が潜んでいる、などということも。ただ、訳のわからぬ怖気と予感に、妙な緊張を覚えていた。


 左腰の刀を意識する。


(もし、きみがいたら……。未命。俺は、こいつらを全員、斬ってやる。そうして、どこまでも逃げよう。俺は……)


 そう思えば思うほど、足が震えてくる。部隊長をはじめ、屈強な男たちだ。いったいどうやって、切り抜けるというのか。


 理久は唾を飲み、密かに荒い呼吸を堪える。身体中から汗が噴き出す。右手が無意識に、左腰の刀に近づいていた。


 家の戸がごとり、と鳴り、少し開いた。


 ついで細い女の手が出てくると、さらに戸を押し開いていった。



 果たしてそこから現れたのは、暗緑色の着物を帯びた若い女だった。左腰には白鞘と白柄の刀が見える。暗緑色の鉢巻に長い黒髪を後ろに束ねている。


 それに、女の眼差しは妙に透き通り、まっすぐだった。


 ふと理久の脳裏に、『銀狼衆』の名が浮かぶ。――暗緑色の装束に身を包んだ、瘴魔退治専門の侍集団。


 戸の前にいた部隊長は、戸惑うような声を上げた。


「な……。その……」

「ここに、何の用?」と女が云った。

「いや、我々は、脱走した巫女を探しておるのだが」

「そう」

「ああ。この家の中を、あらためさせてもらおう」


 すると女は左腕を上げて、塞ぐように戸に突っ張った。


「名だたる白ノ宮の守護が、猟犬の真似をするようになったの?」


 部隊長は唸るような、低い声で続ける。


「何だと? 白ノ宮の、何がわかる。お前こそ、狼の真似か? 小娘が」

「そうね。白ノ宮にはしばらく行っていないから、そちらのことは、よくわからないけれど」


 そこで部隊長は右手を口元に当てて、ふとよろめくように後ろに退がる。


「銀狼衆の娘……。白ノ宮……まさか」


 部隊長は何を思ったか、直立して兜を脱いで左手に持った。頭をぐいと下げると、


「し、――縫衣殿とお見受けいたすが、如何に……」


 理久は唖然として、部隊長の背中を、それから女の姿を見つめた。女は当然のように、


「わたしが、白花ノ剣を名乗ったことはない。でも、たしかに相違はないよ」


 守護たちはざわつき、部隊長に続いて兜を脱いだ。


「おい、白花ノ剣だとよ」「あの、縫衣殿だ……」「何だと……」


 理久も噂には聞いたことがあった。かつて、太陽が未だかつてない日蝕に欠けたとき、危機を救った女剣士がいると。その名は、白花ノ剣、縫衣と知られていると。


 部隊長は云った。


「あの戦いの場に、それがしも、加わっておりました」

「過去のことだよ」

「ごもっともです。しかし、白ノ宮に、我々の心に、あの戦いが深く刻まれているのです」

「そう……」


 縫衣は遠くを見る目をした。


「それでも」


 と、部隊長は続ける。


「我々は、秩序を求めます。――先刻、ある木こりより聞いたのです。女の銀狼衆の剣士と、もう一人、細身の、笠をかむった剣士が森にいたと。――縫衣殿。あなた様を疑うわけではないのです。されど、これを確認せねば、ゆくゆくは、それがしの首が飛びかねませぬ。それに、白ノ宮、引いては馬稚国の治安を乱す事態になりかねぬのです」

「そう……」


 そこで部隊長は顔を上げて、


「左様でございます。ゆえに、やはりどうか、家の中をあらためさせていただきとう、存じます」


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