第2話 招待状

「バタやん、今、暇か?」


 と、西暦202X年12月初旬の日の夜8時に、中学校時代のかってのクラスメートの森本寛から電話があった。


「ああ、今、ユーチューブを見ている途中で、暇でしょうが無いがいけど、何かあったがかいや?森本から電話が掛かるとは、1年ぶりやさかいな?びっくりするやないか」


「いや、バタやんのところにも、例の招待状が来ているかと思って聞いてみたんや?」


 招待状?


 それは、かってのクラスメートで、現在は詩人や小説家として文壇で大活躍している神田裕一郎からの、自宅を会場とした小説の「発行記念」と自分の「婚約の披露宴」を兼ねた招待状の事であったのだ。


「ああ、確かに、俺の所にも来ているけど、それが何かあったんか?

 俺は、行く気などサラサラ無いからなあ。そのまま放ってあるがいけどのう……」


「多分、バタやんならきっとそう言うと思って安心したがいけど、実は、この招待状の件で、少し変な話を耳にしたので、バタやんにも忠告しておこうと思ってなあ」


「それはありがとう。でも、一体、変な話とはどういう事なんや」


「うん、それが、とても奇妙と言うか、何や胡散(うさん)臭い話なんや。何しろあの神田の事や、何を企んでいるか分からんさかいの」


「うん、うん、それは確かに言えるな」


 ここで、あの神田と名指しされた人物、そもそも、その神田裕一郎と、バタやんこと田端稔彦(としひこ)つまりこの私と、電話をくれた森本寛は、中学校の同期であり、中学3年生の時には3人とも同じクラスであった。つまり、かっての同級生同士だったのだ。


 三人共に、昭和35年生まれ。


 そして全校生徒約400名近くの中、中学3年生の1学期時代に、神田は学年で1番、森本と私がそれに続くぐらいの成績順を競っていたのだが、このように10クラスもある中で、全校のトップクラスの生徒が1クラスに集中するのは前例の無い事であった。


 しかしそれには理由があった。そこには神田一流の一大パフォーマンスがあったからである。


 つまり、中学の1年生から2年生の時は、神田はわざとテストで点数を落として目立つ事を避け、中学3年生になると同時に最初の校内模試でいきなり学年トップに躍り出たのである。しかも全教科満点と言う、離れ業をやってのけたのだった。


 ちなみに、神田は小学生時代まで東京に住んでいた。それが、不動産投資で財を成した両親が、祖父の故郷であるこの北陸の地に豪邸を建てた事により一緒に両親とともに引っ越して来たと言うのである。


 そんな事情から、通っていた小学校が他の同級生達と全く違うため、神田裕一郎と言う人間がそれほど頭が良かったとは、中学3年生の時になるまで、実は、学校内の誰もが全く分からなかったのだった。


 神田は、この快挙で一躍全校の注目を浴びるようになった。引き続き行われた県内一斉の模試でも県内トップであった。そのため、今まで校内でコツコツと地道にトップ争いをしていた私や森本は、大変大きなショックを受けたのを記憶している。


 そして、悔しい事に、これが結果的には体の弱かった私に一番大きな負担が掛かる事となってしまったのである。


 私には、神田が新たなライバルとして出現したのだ。ただ、私と森本は2人ともコツコツと勉強して点数を取るタイプ。はっきり言えば「ガリ勉」型であるのに対し、神田は、「天才」型で、ほとんど勉強らしい勉強もせずに、悠々と校内トップ、更には県内トップを取ったのである。


 私は、必然的に、今までよりハードな勉強を強いられる事になった。

 生来、体が弱かったのに、森本のみならず神田という新たなライバルの出現に驚愕し、1学期の中間試験勉強の時に風邪をこじらせているにもかかわらず無理して勉強を続け、その時医者に行かなかった事が災いし、結局、腎臓を壊して約3ケ月の長期入院を強いられる事となってしまった。


 これは、中学3年生の人間にとっては大変に大きな出来事であった。体力に完全に自信を無くした私は、泣く泣く志望校のレベルを数段落とし、自宅から歩いて5分で着く近くの高校の普通科に通う事としたのだ。


 私とは逆に、神田と森本は、そのまま県内有数の有名進学校に進み、神田は東京の超一流大学の法学部に進み、森本も国立大学の医学部に進んだ。


 私は、自宅近くの高校に通いながら、捲土重来を期そうと考えていたものの、入学後は先輩達からの徹底的なイジメや校内暴力に遭い、結局ほとんど勉強もできないまま卒業。何とか二流の私立大学に進学するのが精一杯であった。


 ともかく、「生きて無事に高校を卒業する事」。これが、私の高校生時代の悲願であったのである。如何に悲惨な地獄のような高校生活を送っていたのか、この目標からだけでも想像して頂けるであろう。


 今でも私の左手の甲には、+(クロス) 形の黒い痣(あざ)が残っているが、これは先輩達に脅されて、いわゆる「根性焼」を強いられた時の跡である。それも相手から、煙草の火を押しつけられてできたのではない。真夏の炎天下、この私が自分自身で凸レンズを持って太陽の光で左手の甲を焼いたのだ。


 ジリジリと肌の焦げる音や、臭い。おお、その何とおぞましい光景よ!


 そして私の周囲には、映える太陽にギラついた8月の高校のグランドの砂の乱反射。それは今でもトラウマ(精神的外傷)となって、昨日の事のように思い出されて来るのだ。私の高校生時代とは一言で言えば、まあこんな暗い暗い青春時代であったのだ。


 その後神田は国の高級官僚になり、森本は地元の大きな総合病院に医師として就職し、私は、都会の某民間企業半年の勤務を経て、故郷の福祉施設に就職したのである。


 ところで私と森本は、小中学生時代から何故か妙に気があった。現在、森本は、先程の大病院の副院長まで出世しており、私は、生来の人嫌いから、福祉施設の一係長にしかなれなかったが、森本は別に人を見下すような事も無く、今でも私と対等な付き合いをしてくれていたのである。


 そう言えば、私が中学3年生の時、風邪をこじらせ結局入院するハメになった時、一番心配してくれて、よく病院に見舞いに来てくれたのも、森本だけであった。


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