タクシーワンメーターが黒歴史の後の話。

逢坂 純(おうさかあつし)

タクシーに乗れるほど、お金がない今の僕です。

タクシを1メーターだけで乗っていた大学生の僕はあまりにも非常識で、あまりにもお金の無駄遣いをしていたなと、あの頃の自分を内省して今では反省と後悔をしています。

僕は統合失調症という精神障がいになって、お金もなく今ではタクシーに乗ることなど全くありません。

病院への通院も親の送迎で行っています。

車の免許も持っていない、車も持っていない僕には親の支援がかなり必要な今の生活です。

しかし、両親はもう歳も歳だし、両親共に緑内障を患っており、親に頼ることもじきできなくなります。

僕の友人らは自分で車を運転して、もしくは電車やバスを利用して通院などを行っている人たちが多くいます。

そんな友人たちは、それなりに自立できているのだと思います。

僕は未だにそのような生活は送れず、まだまだ両親を頼みにした生活を送っています。

僕の父親は中古の軽トラで市で借りた畑に行って、我が家の野菜くらいは自給自足できるようにと畑仕事に勤しんでいましたが、それも時期体調の面なども考えて畑もやめてしまうということを言っていました。

だからと言って、僕が畑仕事をやるには畑へ行く足もありません。

父が畑を借りて畑仕事をやるようになってから、もう15年以上経ちますがそれまでに父はNHKで放送されていた農業の番組を観たり自分で本を図書館で借りたり書店で買ったりして勉強してきました。

父が採って来た農作物を母が料理して、僕はその食事を食べるばかりの役でしたが、畑を父がやめることになったことで、今までの自分はどんなに恵まれた生活を送れていたのかと、父に感謝してもしきれないことだと思っています。

これから先、自分の足でちゃんと自立して歩いていかなければいけないことは、十分承知の筈なのですが、僕は未だに両親を頼っていて、両親は文句を言いながらも僕を支援していてくれます。

最近、友人の父親が介護を必要になったことを友人から聞きました。

僕の両親もそれを考えたら、十分介護の必要な歳なのですが、あそこが痛いここが痛いと言いながらも両親共未だ健在です。

親の介護というのは、介護鬱になるほどに大変なことのようです。

僕は親が実際に介護を必要となった時、ちゃんと親を看てあげることができるのでしょうか。

僕の母方の祖父は、朝は元気だったのにその夜、突然ぽっくりと逝ってしまったと母からいつもその話を聞かされます。

母も自分が死ぬときはそういう死に方が苦しまずに死ねて理想だといつも言っています。

しかし、その後に残された僕はどうなるのでしょうか。

経済的自立、精神的自立もできていない僕は、一人で生きていくことをより深く考えなければいけない時期に来ているのかも知れません。

そしてその考えに至ることが、遅すぎるのかも知れません。

しっかり自立できていれば、親の介護も親亡き後の生活も自分で乗り越えられるのに、僕は未だ親がかりの生活を送っているのです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タクシーワンメーターが黒歴史の後の話。 逢坂 純(おうさかあつし) @ousaka0808

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ