第36話 期待




 === 視点:三島春人 ===




 目が覚めて、ちょうど病室にいた看護師が僕に気付いた。


 一言二言声をかけたあとに部屋を出ていって、それから貫禄のある医師がやって来た。


 記憶があるかどうか聞かれたり、健康状態の確認があった。


 それらを軽く行ったあと、意外なことに、次に病室へ駆けつけたのは僕の両親だった。


 日付の表示されたデジタル時計が部屋にあり、平日の昼間だと分かった僕は、その出来事に驚いた。



「今、昼だけど。仕事は?」


「春人、あんたねぇ、そんなの抜けて来たわよ」



 にわかに信じられなかった。


 僕の両親は、他者からの評価を何よりも重んじる人間だったから。


 仕事の途中で抜けてしまえば、評価が落ちるはずなのに、どうして?


 少し考えて、一つの考えが浮かんだ。


 そうか、周囲の人たちに対して、自分を『子どもを大切に思う良き親』だと知らしめるために仕事を投げ出し、こうして今も『子を心配する親』を演じているのか。


 なるほどな、と思ったが、やけに違和感があった。


 両親が向ける眼差しが、純粋に僕を案じているものだった。


 心の内側がじんわりと温まって、それがなんだか、むず痒い。


 もしかして、僕は今、本当に心配されているのか?


 落ち着かず、何ともいえない不思議な気分になる。


 それから三人で他愛のない会話をした。


 嫌な期待を感じず、こんなにも軽い感覚で親と話をするのは久しぶりで、とても懐かしい気持ちになる。



「春人のクラスメイトの椎名さん? 昨日も一昨日もお見舞いに来てたから、ちゃんとお礼を言っておきなさい」



 僕は3日ほど目を覚まさなかったらしく、今回の件は色んな人に迷惑をかけてしまった。


 中でも、梓桜には謝らなきゃいけないことがいっぱいあるな。


 梓桜と話し合う機会は割とすぐに訪れた。






 両親が帰って、3時間後。

 太陽が西に傾むきかけた頃、梓桜が三度ノックをしてから部屋に入室した。



「本当に、生きてて良かった」



 梓桜の顔は安心しつつも、どこかやつれていた。



「来てくれてありがとう。今日だけじゃなく、昨日や一昨日も来てたって聞いたから」


「ううん。実は、私のおばあちゃんもここの病院に入院してるの。だから気にしなくて大丈夫だよ」



 前に少し聞いた、梓桜のおばあさんか。


 さすがに、僕だけのために毎日は来ないよな。


 納得はしたけれど、気にしなくていい理由にはならない。


 それに僕は、ただ梓桜に感謝を受け取って欲しかった。



「それでも、ありがとう」



 だからもう一度、目を見て感謝を伝えた。


 梓桜は少し照れたように笑い、僕のすぐ右隣に置かれたパイプ椅子に座った。


 それから、梓桜に対して気になっていたことがあったことを思い出し、僕は尋ねる。



「あのさ」



 僕と駿矢が屋上にいたとき、どうしてあの場にいたのか。



「……あぁ、それはね」



 当時を振り返るように、梓桜は語り出した。


 どうやら閉会式前、僕が体育館を出ていくとき、無茶を働こうとしていたのが勘付かれたらしい。


 梓桜は閉会式の役割を他の人に任せ、僕を探しに出た。校舎内に僕の姿は見当たらず、校庭を探しに行ったところで、屋上に人影を見つけた。


 屋上の柵手前まで近づいた駿矢をどう止めるべきかパニックになり咄嗟にあのような行動に出た、もし落ちたときには本気で受け止めるつもりだった、と梓桜は語った。



「無茶がすぎるだろ」


「春人くんほどじゃないよ」



 どうしてか、梓桜は哀しそうな目をした。


 一呼吸置いてから、僕に問いかける。



「私じゃ、力不足だと思った?」



 心配をかけたこととは、また別の罪悪感。


 梓桜にあれだけ無理をするなと言っておきながら、自分は命の懸かった局面で、何一つ頼ろうとはしなかった。


 まったくもって、人のことを言えた口じゃない。


 情けなくなって、一瞬言葉に詰まる。



「……そういうつもりじゃ、なかった。駿矢とのことだけは梓桜だけじゃなく、他の誰も巻き込みたくなかった。勝手だけど、僕が一人で解決しなきゃいけないと思ってたから」



 しかし結果は、あのザマだ。


 駿矢と自分の身を危険に晒し、梓桜や親にも心配をかけた。


 一人じゃなかったら、もっと安全で確実な方法があったのかもしれないのに。



「いつも迷惑ばかりかけて、ごめん」



 こんな謝罪を梓桜は求めていないと分かっていても、無意識に頭を下げていた。


 そのせいで、二人とも無言になり、幾ばくかの沈黙が流れる。


 やがて布団の上へ無造作に置いていた右手に、人の温かさを感じた。


 梓桜が包みこむように、僕の右手を握っていた。



「……私も一緒。ごめん」


「そんな気休め、言われても」


「気休めじゃないよ」



 また強く、ぎゅっと握られる。



「私ね、意味わかんないんだ」



 梓桜の表情は怯えているように見えた。



「私、ここ最近ずっと、春人くんに期待されたかったの」



 なんだか、涙をこらえているようにも見えた。



「春人くんに『私ならできる』って期待してほしかった」



 強く、訴えかけている瞳だった。


 そしてその左目から、一筋の涙がゆっくりと頬をつたっていた。



「馬鹿みたいだと思う。ずっと期待されるのが苦しくて仕方なかったのに……。意味わかんないよね。本当に、ごめんね」



 自分を責めるような梓桜を前に、僕はいたたまれない気持ちになった。


 どうしたらこの顔を、笑顔に変えることができるだろう。


 ボロボロの体は言うことを聞かず、涙を拭ってあげることさえできない。


 今すぐにでも救いたいのに、かける言葉が見つからない。


 それでも、しばらく悩んで、考えて、ようやく自分なりの言葉を見つけたが、まずは説明が必要だと感じた。



「……これは、持論なんだけどさ。期待っていうのは、その人をずっと近くで見てきた人間だけの権利だと思ってる」



 百合恵さんや梓桜が、その努力を知らない人たちから勝手に期待される姿を、ずっと見てきた。


 それが、不愉快に感じて仕方なかった。



「僕は、梓桜をずっと見てきたなんて言えない。頼みごとを断れない優しい一面も、期待を裏切らないために我慢して努力を重ねる一面も、家族を大切にしてる思いやりに溢れた一面も、どれも尊敬していて……。だけどそれは、僕が勝手に知ったつもりになってるだけで、梓桜のことをわかってるなんて、自信を持って言うことができなくて……」



 僕には、人を決めつけて判断していた経験がある。


 駿矢や百合恵さんを、自分の中でそういう人間だと完結させていた。


 さっき親が来たときも、自分が思い込んでいた親と明確な違いがあった。


 自分から見る相手の姿と、実際の相手の本質には、大きな隔たりがあることを強く実感した。


 だから僕は今、恐れている。


 やっぱり、人はわかりあえないから。


 わかりもしないくせに、勝手な期待を押しつけることなんて、したくないから。


 梓桜に期待する資格が、僕にあるのか分からなくて怖い。



「……だけど」



 同時に思うことがある。


 叶えたい。

 梓桜の頼みなら、叶えてあげたい。


 今はまだ、無理なのかもしれないけど。



「いつか、梓桜に期待したい」



 なんとか、力を込めて上体を起こす。


 梓桜と、視線の高さを揃えたかったからだ。



「だから、これからずっと、梓桜の隣りにいさせてほしい。梓桜をもっと知って、梓桜のことをわかってるって、言えるようになりたい」



 ずっと握られていた手を、僕もそっと握り返した。



「そうして、いつか梓桜のこと、心の底から期待してるって伝えるから」



 これが、今の僕に言える精一杯の言葉だ。


 僕の想いを聞いて、梓桜の心がほんの少しでも晴れたらいい、と思った。


 だけど、梓桜はさっき以上にポロポロと涙を零し始める。


 また間違えたのかと不安になった。



「ごめん、悲しませるつもりは」


「春人くん、違うよ……。本当に私のこと、わかってないみたいだから、教えてあげる。私ね、悲しくなんかないよ」



 梓桜は泣きながら笑っていた。



「むしろ、嬉しいの」


「嬉しい?」


「うん……。だって春人くん、私のことすごい大好きじゃん」


「……悪いか?」


「ううん。ありがと」



 梓桜は頬を赤らめて照れていた。


 その顔を見て、僕の胸の奥で何かが跳ねた。


 弾けるように、溢れるように。


 甘くて温かい感情に満たされる。


 梓桜のことが、どうしようもなく愛おしく思えて、しょうがなかった。

















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る