第35話 これから
目を開けると、白い天井があった。
すぐ右隣に人の気配を感じる。
「先輩!」
顔を横に倒してみると、そこにはゆずがいた。
安堵と、喜びに満ちた眼差し。
そんな目で見られるのが、苦しかった。
「さっき三島先輩も目を覚ましたらしくて、えっと、それよりこういうときってどうすれば!? まずはお医者さん呼んだ方がいいですよね!?」
慌てふためいたゆずを落ち着かせて、医者を呼んでから健康状態の確認をする流れになった。
どうやら俺は、3日ほど目を覚まさなかったらしい。
一段落して、改めてゆずと2人きりで話をした。
これまでの行い、そのすべてを包み隠さずに伝えた。
「今まで騙してきて、悪かった」
絶望されると思った。
今までこんな人間を好きでいたことに後悔し、どんな形で復讐されても仕方がないと思っていた。
様子を窺ってみると、ゆずはまるで動揺していなかった。
いつか来る未来が、今来たのかと受け入れるように言う。
「多分ですけど、利用してるんだろうなぁ、とは思ってました。理由は分からなかったんですけど、私のこと好きじゃないって、気付いてました」
驚かされたのは、まさかの俺の方だった。
夏祭りも2人でいたらフラッと帰られそうで春人を離さなかったことや、校庭アートの確認も違和感を持たれていたことなどを明かされた。
付き合うことを承諾したときから、俺が何かしら企んでいると怪しまれていたのか。
「それでも、信じてはいましたから、やっぱりショックは受けてるんですけどね」
「……謝って許されようとは思ってない。償えることがあるなら何でもするし、二度と顔を見たくなければ、ゆずの前にはもう現れないと約束する」
俺のしたことは、ちゃんと罪だから。
俺なりの贖罪を果たすつもりでいたが、ゆずは呆れたように大きな溜め息を吐いて一蹴する。
「私のことは、もういいです」
「……いや、いいわけないだろ」
「いいんですよ。それより大事なのは、駿矢先輩がこれからどうしていきたいか、です!」
「…………俺が?」
「はい、そうです。先輩、私に償いたいんですよね? 私のお願い、聞いてくれるんですよね?」
「……そう、だけど」
「なら私は、駿矢先輩に笑って生きてほしいです」
それが当たり前のことのように、はっきりと言われてしまう。
俺は後ろめたくて、あまりに眩しくて、顔を伏せようとした。
「目、逸らさないでください」
すかさずそう言われ、俺は前を向いた。
ゆずがまっすぐに俺を見つめていた。
ふと、思った。
こんな風に向けられた瞳を、俺は今まで何度見逃してきたのだろう。
「俺は…………」
過去を顧みようと、思った。
これまでの人生、俺のことを見てくれていた人が一体どれだけいたのか。
思い出せ。
いつ、どこで、誰に、どんな優しさを俺は与えられてもらった?
日々ずっと支えてきてくれた人は、もしかしたらいなかったのかもしれない。
けれどユリ姉の言う通り、その瞬間ごとで、俺を大切にしてくれていた人たちがいたはずだ。
ちゃんと、振り返るんだ。
恥ずかしくも、恐ろしくもあるけれど、ちゃんと人生を読み返すんだ。
これまで関わりのあった人たち。
親、友達、親戚。
小学校のときの同級生。
中学校のときの同級生。
当時の先生、先輩、後輩。
そして今、俺の周りで生きている人たち。
自由奔放に過ごしてきたから、決して味方が多かったとは言えない。
けれど、確かに存在していた。
あのとき、俺は優しくしてもらえた。
あのとき、俺は助けられた。
あのとき、俺は小さな絆を感じた。
本当は、いたんだ。
俺にもユリ姉以外の味方がいたんだ。
俺がその繋がりを大切にできなくて、ないがしろにして、特別だと気付けなくて、別になくなってもいいと思っていた。
だけど、もっと向き合わなきゃいけなかった。
もっと言葉を交わさなきゃいけなかった。
心が少しでも温かく感じたなら、ありがとうを伝えなきゃいけなかった。
今からでも、遅くはないだろうか。
間に合ってくれるだろうか。
こんな俺にも、まだ向き合うチャンスが残っているだろうか。
分からないけど、確かなことがある。
まずは、目の前にいるゆずと向き合わないと、始まらない。
「……あのさ、ゆず」
「はい!」
「ゆずって、俺のどこが好きだったんだ?」
「…………ふぇ?」
ゆずが目を丸くする。
「いっ、いやっ、話の流れ的にその質問おかしくないですかっ?」
ゆずの慌てた様子を確認してから、一瞬だけ、俺は目を閉じた。
『ちょっと関心を向けてさ、ちょっと会話を増やしてさ、ちょっと弱音を吐いたりしてみるの』
ユリ姉の声で、そんな言葉が再生された。
「ゆずの話、聞かせてくれよ」
「あぁーもうっ、分かりましたよ! その代わり、私が満足するまで全部聞いてもらいますからね!」
これから、ゆっくり話をしようと思った。
ゆずの話を聞きたいと思った。
そしたら次は、俺のことも語ろうと思った。
そんな会話の先で、互いを知り、歩み寄ることができたらいい。
そう、願った。
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