第32話 終わりへの準備
ユリ姉が死んだ事実を、俺は受け止めることができなかった。
虚無感と一緒に、どうしようもない怒りがこみ上げた。
一週間前の会話を振り返る。
そこで初めて、自分の言ったことがあまりに愚かな発言だったと気付いた。
俺のせいでユリ姉が死んだ。
自分自身を、殺してやりたいと思った。
ユリ姉が自分から飛び降りたのではなく、もし事故や誰かによって落とされたなら、怒りの矛先を自分じゃないものにぶつけられるから。
けれどそれは醜い足掻きでしかなく、本当は俺のせいなんだと自覚していた。
もう、俺に生きる意味なんてない。
ユリ姉が死んでから、俺はどこともなくほっつき歩いた。
脳みそを空にして、無心で歩き続ける。
そうしていないと、どうかしてしまいそうだった。
朝も昼も夜も、寝ずに、食べずに、ひたすら
それが続いたある日、変な輩に絡まれて迷惑そうにしている女子生徒を見つけた。
制服を見るに、俺と同じ西高の生徒。
大変そうだな、とそれだけ思ってスルーしようとした。
だけど、やっぱりやめた。
もしここにいるのが俺じゃなくユリ姉だったら、絶対に助けている。
ここで行動を起こしたら、ユリ姉の気持ちが少しはわかるのかもしれない。
「おい」
俺は引き返していた。
「あ? てめぇ誰だよ」
「……お前みたいな奴が一番死ぬべきなんだよ」
お前みたいな、俺と同類。
人に迷惑かけるだけの奴。
男が胸ぐらを掴んできた。
どうしようか、俺は迷う。
ユリ姉なら暴力で解決はしない。
でも、他のやり方が思い浮かばなかった。
一つ蹴りを食らって、これなら正当防衛が成立する、と安心した。
「何をされても、文句はないよな」
溜まっていた鬱憤を晴らすつもりで、相手に拳を打ち込もうと構えた。
だが、残念なことにそいつは怯えるようにして逃げた。
面倒だし、追う気にはなれなかった。
「あのっ、ありがとうございます!」
絡まれていた女子生徒が上体を90℃に曲げて謝辞を述べたが、俺は無視して立ち去る。
意味がなかった。
何一つ感情が湧かなかった。
人助けをしたところで、ユリ姉の気持ちを1ミリも理解できない。
まだ、足りないから?
俺がもっと、人から期待をされて、人望のある人間になって、人を笑顔にするための行動をとり続ければ、ユリ姉の気持ちがわかるのだろうか。
そうしたら、あのときに本当はなんて言うのが正解だったのか、分かるのかもしれない。
ここで俺は決断した。
ユリ姉のような人間に近づこう。
そして、ユリ姉の気持ちを知ろう。
罪滅ぼしにもならない、ただ自己満足するための行動。
どうせ死ぬ以外にやることもないし、やってみようと思った。
学校にも復帰し、優等生らしい振る舞いをしていた。信頼を勝ち取るのは面倒で疲れるけど、案外難しくはない。
話を聞いて、合わせて、機嫌を取るだけ。
こっち側は死ぬほどつまらないが、そのポイントを押さえるだけで人を笑顔にできる。
簡単すぎて拍子抜けした。
それから亜嘉都喜の調査結果を聞くために春人を誘った。
幼少期から、いとこという繋がりで俺とユリ姉と春人は三人でよく遊んでいた。
だから春人も連帯責任だ、とまでは言わない。
だけどさ、物心ついたときからユリ姉と一緒にいたのに、俺たちは何も気付いてあげられなかったんだぜ。
俺は八つ当たりするように春人に言ってしまった。
「ユリ姉の死んだことについて、もっと考えるべきだと思ってる。俺も、お前も」
この言葉が、春人に影響を与えてしまったのかもしれない。
二人で亜嘉都喜のアジトに行き、やはり自殺だったと聞かされた。
分かっているつもりだったが、自分への怒りが収まらなかった。
帰り道に、ユリ姉の気持ちがわかるか春人に聞いた。
わかるわけがない、と言われ、そうだよな、と思った。
少し経って、春人から怒られた。
あのとき助けた女子生徒、水野ゆずには素で接しろ、とのことだ。
後輩のために行動を起こす春人が珍しく、久しぶりにユリ姉が無関係のことに興味が湧いた。
ゆずとの関係を聞いたが、春人は答えない。
春人が離席したタイミングでスマホを勝手に見た。
パスワードかけろよ、と理不尽なことを思いながら、ゆずとの関係性を探る。
すると、一つのアプリが目についた。
春人が連絡用途以外でSNSアプリをやっているのが意外で、ついアプリを開いてしまった。
『自殺しようと考えている人の声を集めてます』
なんだこれ、と一瞬思ったが、すぐに察した。
春人は無意味にこんなアカウントを作ったりしない。
春人も春人なりに、ユリ姉の気持ちに触れようとしている。
本当なら春人は、ユリ姉の死とまだ向き合いたくなかったのかもしれない。
しかし、行動を起こしてしまった。
これは俺が焚きつけた可能性が高いな。
素直に悪いことをしたと思う。
そしてそのとき、不思議な感情に襲われた。
春人の答えを知りたい。
そんな衝動に駆られたのだ。
人の死と向き合った春人の答えを俺は知りたい。
春人は自身の理念上、取り繕うことをしない奴だ。
綺麗事で濁さずに、思いを正直に伝えてくれる。
もし、ユリ姉が身を投げようとしたあの場面、俺じゃなくて春人だったらどうしていた?
ユリ姉がこの世から消えてしまうのが怖くて、深く考えもせずに否定だけした俺とは全く違う答えを、春人なら出してくれる気がした。
どうにか、その答えを知ることができないだろうか。
ちょうど、春人が贔屓にしている後輩、水野ゆずとの連絡のやり取りを見つけた。
これは利用できるな。
一つの作戦を思い付いて、帰宅してから俺は亜嘉都喜に通話をかけた。
『つまり、この私に自殺志願者の振りをしたアカウントを作って、三島春人とのやり取りをすればいい、と?』
「ああ」
『難しいねぇ。私はさ、私こそが世界の中心だと思っているからね。死にたいなんて微塵も思ったことはないが、一体どうすればいいんだい?』
「文面とかは亜嘉都喜の裁量に任せる。あとそれから、西高の屋上の鍵を作ってくれ。お前こういうの得意だろ」
『勿論、お安い御用さ。しかし随分と手の込んだことをするね』
「最終的な展開としては、春人にとって親しい人間が自殺をしようとする場面に、春人を鉢合わせる」
『なるほど。そこで三島春人の気にかけている後輩が登場する訳か。君がその子と交際して、彼女の精神を自殺寸前まで追い込もうという策略だね』
「んなことするわけねぇだろ。関係を失わないために付き合う可能性はあるだろうが、とりあえず俺が上手いようにやって、屋上の端に寄らせるよ。そこに春人を誘い出す」
『そして、三島春人がどんな行動を起こし、どんな言葉をかけるか観察する、という流れか』
「……そんな感じだな」
『いやぁ、素晴らしいよ八木駿矢。そうまでして三島春人の出す答えが知りたいだなんて、やはり君は最高にイカれている。ぜひ私』
通話を切り、ひとまずこれで準備の第一段階は整った。
もう一度、この計画について見直す。
噛み合わない部分はあるだろうが、なんとかなるだろう。
ただ、最低だな…………。
溜め息をついて、舌打ちする。
もう何をしても許されることはない。
また俺は、自分のために行動している。
何よりこれは、春人とゆずを最大限に傷付ける行為だ。
春人の答えを知ったら、ちゃんと死のう。
償いにもならないが、もう死ぬ以外の選択肢がない気がした。
月日は流れ、亜嘉都喜のイニシャルそのままに作ったアカウント『A.S.』に初めて春人からメッセージが送られた。
俺はそれを、春人が答えを出した合図だと判断した。
そうして作戦決行当日。
文化祭準備期間が始まり、校舎内で人がごった返す隙を見計って、俺はゆずを呼び出した。
「ゆず、今からこの鍵で屋上に行ってくれないか? 見下ろして、校庭アートの出来栄えを確認して欲しい」
「分かりましたけど、先輩がどうして鍵を?」
「ちょっと生徒会の奴に頼まれてな。俺も今から他にやることあってさ」
「なるほど、じゃあ私に任せてください!」
西高の伝統だという校庭アート。
それは第二駐車場に描かれる二次元アートだった。
本来なら屋上を開放して眺めるものだが、今年は屋上封鎖に伴い、ドローンで撮影を行うらしい。
その出来を一度人の目で確かめてほしい、という名目でゆずを屋上へ誘導することができた。
あとは春人を呼ぶだけ。
亜嘉都喜に指示し、春人が屋上へ来るよう仕向ける。
ゆずが屋上へ着いてから、屋上の入り口前にあるロッカーの中に俺はひとまず身を隠した。
そして自分でも驚くほどに、緊張していた。
春人は一体どうする?
どんな言葉を届ける?
取り繕わず、言ってくれ。
刑事ドラマによくある、断崖絶壁で行われるシーンみたいなもの、俺は求めていない。
『みんな辛くても生きている』
『死んだところで何も解決しない』
『生きてさえいればいつか良いことがある』
そんなゴミ同然の綺麗事はいらない。
こう言えばユリ姉は生きていたかもしれない、そう感じさせる言葉を、俺に教えてくれ。
祈るような気持ちで、俺はそのときを待つ。
やがて階段を駆け上がる音が遠くから聞こえた。
ロッカーの中で息を潜めながら、穴の空いた隙間からその様子を伺う。
春人が、扉を開けた。
ゆずの姿を確認して、時が止まったように春人は硬直する。
驚く、というより、現実を受け止められないような様子だった。
ここから、どうする?
俺は、胸がはち切れんばかりの期待を抱いた。
俺がユリ姉に伝えるべきだった言葉とは……。
扉を開けてから、たったの数秒。
しかし永遠にも感じられるようなその時間が経過し、春人はついに答えを出した。
春人の出した解。それは―――
逃げ、だった。
一言述べることもなく、ゆずに近づくこともなく、春人は逃げた。
…………そうか、そうだよな。
ガッカリすることはなかった。
むしろ俺は、安堵していた。
これが最もリアルな答えなのだろう。
死ぬように見えない人が、死のうとしている。
そんな状況に立ち会って、冷静になり落ち着くことすら普通はできない。まして正しく救うことなんてできるはずがない。
そうだよな、無理なんだ。
人はどうしたって全てをわかりあえないから、これはもう仕方のないことなんだ。
最初から、正解なんてなかった。
あの状況でユリ姉を救う言葉は存在しなかった。
もし救うとしたら、もっと前。
ユリ姉にあんな気持ちを抱えさせてしまう前に、誰かが手を差し伸べられなかった時点で詰んでいた。
文化祭が始まって、1日目。
俺は春人と共に行動した。
確認をして欲しかった。
「ユリ姉のような人間に、俺は今なれているか?」
もし、なれていると言われたそのときは……
「大丈夫。ちゃんと百合恵さんのようになれてるよ」
「…………そうか」
俺はユリ姉のようになれても、ユリ姉の気持ちが全く理解できなかった。
自分を犠牲にして手に入れる他人の笑顔なんて、別に欲しいとは思わない。
期待されたとして、期待外れな結果に終わったって構わない。勝手に期待してきた奴が悪い。
誰かの笑顔が失われても、俺は心から悲しめない。
人を喜ばせるような選択を取り続けても、自分の意思はちゃんと持てる。
全部、真逆だ。
「…………わかってあげられなくて、ごめん」
もう、いいか。
俺もさっさと死のう。
もしも天国と地獄があるのなら、ユリ姉と同じところには逝けないけど。
それでも、十分生きた。
ユリ姉が死んでから約5ヶ月。
俺も今から、屋上から飛び降りて死ぬよ。
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