第20話 才能




「つまり、その『A.S.』というアカウントの正体を、私に突き止めて欲しいということだね」



 不本意ながら僕は、亜嘉都喜あかときに一連の流れを説明してA.S.の特定を依頼した。


 僕が変なアカウントを作ったことも、西高の関係者に死にたがっている人がいることも、亜嘉都喜は特に何かを言うことはなく真顔で聞いていた。


 話を聞き終えると、亜嘉都喜が僕を見下すように言った。



「しかし意外だよ。君が私を頼りにやって来たこともそうだけど」



 視線を合わせたくなくて、僕は顔を伏せていた。



「素性が分からないときは何一つ助ける気なんてなかったにも関わらず、自分の関係者かもしれないと分かった途端、君は突然助けたいと思った訳だ」


「……いざ言葉にされると、嫌な奴でしかないな」


「いいや、別にそれを非難するつもりはないさ。ただ私は『三島春人という人間はそんな偽善者じみた考えをしない』と分析していたからねぇ。いやぁ、実に意外だよ」



 何も言い返せなかった。


 実際のところ、最近の僕は自分自身の思考について理解できていない。


 事情も知らない人が命を絶つほどに思い悩んでいたところで、僕なんかに救える訳がないと思っていた。


 だけど、もし少しでも僕に接点があるのなら救える可能性があるんじゃないか、と思ったのかもしれない。


 自分の感情なのに『かもしれない』と表現するのはおかしなことだけど、それが本心なのかが自分でもよく分かっていないから仕方ない。


 黙り込む僕に、亜嘉都喜が変わった質問をした。



「さて、依頼の件だけどね、君はいくらまで払うつもりでいるんだい?」



 その問いかけに僕は首を傾げる。


 亜嘉都喜にしては珍しい質問だった。


 というのも、亜嘉都喜はお金に興味がない。

 稼ごうと思えばいくらでも稼げる人間であり、依頼料を設けているのはあくまで上下関係をはっきりさせるため、らしい。


 額にこだわりはないはずだったから、妙に思った。



「そっちが好きに設定した金額でいいだろ」


「それでは困るな。たった今、君はいくら出せる?」



 この質問の意図もよく分からなかったが、とりあえず財布の中身を確認する。


 帰りの交通費を考えると、出せるのは……



「五千円だな」


「そうか。では、テーブルの上に依頼料を置いといてくれ」



 亜嘉都喜が左手でテーブルを指差す。


 これまた、珍しいことだった。


 亜嘉都喜が前払いを要求したケースを僕は知らない。


 立て続けに起こる亜嘉都喜の不可思議な言動に疑いながらも、素直に五千円札をテーブルの上に置いた。


 それを確認すると、亜嘉都喜が涼しい顔をして言う。



「金額に応じて解答を変えようと思ってね。では、今から五千円分の答えを君に教えてあげよう」



 何を言っているのか、僕には分からなかった。


 まるで、もう依頼は終えた、とでも言うような口ぶりだ。


 亜嘉都喜が僕を見据えて、語りかけるような声で言う。



「この『A.S.』の正体はね、実は私なんだ」


「…………つくなら、もっとマシな嘘をつけよ」



 眉間に皺を寄せ、僕は亜嘉都喜を睨み付けた。


 こいつは何を言っているんだろう。


 亜嘉都喜がなぜそんな訳の分からないことを口に出したのか、なんとか意味を読み取ろうと脳を稼働させてみた。


 しかし一向に理解できず、僕はテーブルの上に置いたお金を回収した。


 そうか。

 亜嘉都喜は、僕を馬鹿にしているのか。


 シンプルにイラッとした。


 亜嘉都喜に、じゃない。


 こんな奴を頼ってしまった自分に腹が立つ。


 紙幣を再び財布に収める僕の姿を、亜嘉都喜は呆れるようにして見ていた。



「困ったものだね、三島春人。君には見通す力が足りていない」


「人を馬鹿にするのも大概にしてくれ」


「馬鹿になんかしていないさ。ただ、こういうところで君は八木駿矢に及ばないのだろうね」


「……中学のときから思ってたけど、亜嘉都喜って駿矢のことを高く買ってるよな」



 表情は変えずに、僕は睨み続ける。


 亜嘉都喜は中学時代から何故か駿矢のことを気にかけていて、こんな奴に目を付けられている駿矢のことを気の毒に思っていた。


 いつもの不敵な笑みを浮かべた亜嘉都喜が、嬉々として答える。



「当たり前だろう。八木駿矢には常人を遥かに凌駕する才能がある。この私を脅かすであろうダイヤの原石なんだ」


「気持ち悪いな……。それに、こんなこと言ったらなんだけど、駿矢にそんな才能があるなら北高に受かってただろ」



 と僕が言ったところ、亜嘉都喜は何も分かっていないなとでも言いたげにクスクスと笑った。


 なにがおかしいのか、さっぱりだった。



「おやおや、君は知らないのか。八木駿矢は本来、北高に合格していたよ」



 また、亜嘉都喜が適当なことを言い出した。


 依然として笑っているが、その声にはどこか怒気が混ざっているように聞こえた。



「私たちの中学にいた松木庄造という教師を覚えているかい? 君たちの代の学年主任だった奴さ」


「あぁ、いたな、松木先生。なんか僕たちが卒業したあとに色々あったって聞いたけど」


「そう、そいつだよ。素行の悪かった八木駿矢が急激に学力を伸ばしていく様子を、奴は面白く思わなかったようでね。八木駿矢を酷く嫌っていた松木庄造は、北高の教員に掛け合って八木駿矢を不合格にしたのさ」


「………………は?」



 とてもじゃないけど、信じられない話だった。


 しかし、亜嘉都喜が嘘を吐いているようにも見えない。


 亜嘉都喜は冗談で憤りの感情を見せることはしないからだ。


 だとすると、今の発言が本当だとしたなら……。


 どうしようもなく、やりきれない。



「…………そんなの、いいのかよ」


「ダメに決まっているだろう。彼の不合格はおかしいと思ってね、私自ら調査したよ」



 それから、亜嘉都喜にしては珍しく、表情を歪めて、悔しそうに唇を噛み締めた。



「そのときは冷静でいられなくてね。真相を知った私は松木庄造とそれに加担した北高教師の社会的抹殺を優先してしまったんだ。本当なら、八木駿矢の不合格をひっくり返すことの方が先だったのに。実に恥ずべきことだよ」



 それから聞きたくもない制裁の話を聞かされた。


 どうやら亜嘉都喜は、その教師たち全員が家庭を持っていたことに着目し、若い女性を雇ってハニートラップを仕掛けたらしい。


 みな無様に引っかかり、浮気の証拠を妻子へ提供、ついでに町内にも情報を拡散したようだ。



「家庭を持ちながらそんなものに掛かる馬鹿が悪い」


「……亜嘉都喜もやってること頭おかしいだろ」


「今となっては反省しているさ。もっとスマートなやり方で消してあげてもよかったが、当時は教師としての信頼を失う形でお灸を据えてやりたくてね」


「手を下すことに変わりはないのか」


「当たり前だろう。なにせ、私と八木駿矢の輝かしいスクールライフを台無しにしたのだから、当然の報いさ」


「理由も理由で気色悪いな」



 結局、それを機に亜嘉都喜は退学処分になったそうだ。


 教師を左遷や懲戒免職できる生徒。

 確かに、学校に置いていい存在じゃない。


 一旦話は終わったが、僕の中には不快感が残り続けた。


 どこをどう切り取っても最悪な話だったな、と思い返していると「ところで」と亜嘉都喜が話題を提起した。



「三島春人。君は、まだ気付かないのかな」


「……駿矢もそうだけど、言葉が足りなさすぎるんだよ。もっとはっきり言ってくれ」



 まだ不快さの名残りがあり、僕は亜嘉都喜に当たるように言葉を言い放った。


 対して、反発することなく亜嘉都喜は淡々と述べる。



栢本かやもと百合恵ゆりえ、八木駿矢。この二人が恵まれた才能を持ちながら、まさか君だけ凡人という訳にはいかないだろう」 


「いや別にあり得るだろ。姉弟とかならまだしも、いとこなんだから」



 そう返すと、亜嘉都喜が急に天井を見上げた。



「……はぁ、まったく。見ていて頭にくるよ」



 溜め息を吐く亜嘉都喜は怒っているようには見えないが、確実に不満そうではあった。



「君も八木駿矢と同等の才を眠らせているというのに、まるで覚醒させるつもりがない」


「…………僕が、駿矢と同じ?」


「ああ、そうさ。そして八木駿矢は高校受験の時期に、ようやく目の色を変え始めたのさ。その大事なタイミングに、あのクズどものせいで塞ぎ込んでしまった訳だけども」



 亜嘉都喜が柄にもなく真剣な眼差しをしていた。



「そんな八木駿矢が再び動き出した。栢本百合恵の死をきっかけに、また目覚めたのさ。それなのに、君ときたらまるで本気を出そうとしない」


「……全部、知ったような口で」



 何も知らないくせに。


 聞いていてイライラした。


 乱れた感情を抱えたまま、僕は帰り支度を始めた。



「私はね、持ちうる才能を発揮させない人間が大嫌いなんだ。だから三島春人、あまり私を失望させてくれるなよ」


「いつもの比じゃなくウザいな。僕も、勝手に期待して勝手に失望する奴が大嫌いだよ」


「やはり、私たちは相容れないのかもしれないね」


「亜嘉都喜と気が合う人間がそもそもいないだろ」


「孤高の天才だからね、きっとそういう宿命なんだろう」


「可哀想な運命だな。じゃあ、もう帰るから。あと二度とここには来ない」



 ドアを力いっぱいに閉めて、部屋から去った。


 エレベーターを降りていく中で、体内に籠る毒気を吐き出すように一つ息を吐く。


 あぁ、来るんじゃなかった。


 結局A.S.の手掛かりは掴めずにからかわれ、高校受験のときの駿矢が報われなかった話を聞いて、勝手に才能がどうとか言われ、マイナスな感情だけを植え付けられただけで何一つ収穫がない。


 マンションの外に出ると、室内との気温差にやられ一瞬頭がくらっとした。


 七月の太陽は雲に阻まれることなく、容赦のない熱気を放って地面を照りつけていた。


 一学期は残り三週間を切っている。


 もう、自力でA.S.を探すしかない。





 

 




 

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