第18話 アルコール
次の日、僕は昼まで寝ていた。
起きてから何も食べずに、出掛ける準備を始める。
台所に置かれた冷蔵庫、その奥から缶ビールを二本、バッグにこっそりと入れた。
玄関で靴紐を結び、家を出てから気付く。
そういえば、どこの公園か聞いてなかったな。
僕の足は不思議と、前に椎名と会ったあの廃れた公園に向かっていた。
もし間違えたときは連絡しようと思ったが、その必要はなかったようだ。
あの夜出会った公園に、椎名はいた。
柄のない白いTシャツとブルーの膝下まであるスカートを着ていて、いつもより素朴な印象を感じる。
変に気遣われた挨拶をされるのも嫌だったから、僕の方から声を掛けた。
「おはよう」
「おは……。え、こんにちは、じゃない?」
「さっき起きたばかりだから」
椎名はベンチに座っていて、僕もその隣に座った。
それから躊躇せずにバッグから缶ビールを取り出すと、椎名は驚いたような顔をした。
「椎名が言ったんだろ」
「…………これは、思ったより重症だね」
何が言いたいのか分からなかったが、椎名も同じようにバッグから缶を取り出した。
その缶のラベルにはしっかり『甘酒』と記載されている。
「私たち、未成年だからね」
「いや、分かるけど。椎名は何がしたかったんだよ」
「うーん……確認かな。あんなメッセージ送って、てっきり春人くんならダメって返信をしてくると思ったの。でも何も返信なかったし、もし本当にお酒持ってきたら正常な判断ができてない結構ヤバめの状態なのかな、っていう確認」
椎名は心配した面持ちをしつつ、控えめに笑った。
一方の僕は、してやられたような気分になり機嫌を損ねた。
二本の缶ビールをバッグに戻そうとしたら、椎名がその片方を奪い取った。
「今日は、私が話を聞いてあげるよ」
「……ごめん。今はまだ、話したくない」
「そっか。じゃあ一緒に飲もう」
カシュとプルトップを上げる。
「知らないからな」
持ってきたのは僕だけど、そう言って椎名に続き缶ビールの蓋を開けた。
口に含んですぐに苦くて不味いと思ったけど、構わず喉に流し込む。
土曜日の昼下がり、高校生二人が公園で飲酒。
日本、こんなんで大丈夫かよ。
他人事みたく思った。
隣にいる椎名が顔をしかめる。
「苦ぁ……これは飲めたもんじゃないね」
椎名も同じような感想を持ったらしい。
「いつか、これを美味しいって思える日が来るのかな」
「分からないけど、多分そうなんじゃない?」
「大人になるって、なんか嫌だね」
抽象的な意見だけど、同感だった。
それから時間はかかったが、二人して手に持った一缶を空にした。
その間、椎名が僕に問い詰めるようなことはなく、ありがたくもあり申し訳なくもあった。
飲み終えて、立ち上がろうとする椎名が大きく体を蹌踉めかせた。
「ありゃ?」
「大丈夫かよ。椎名、酒よわいな」
「みたいだね……。んー、どうしよ」
もう一度ベンチに座り込んだ椎名の顔は確かに火照っていた。
本人の言う通り、どうするんだよこれ。
椎名はこちら側を見ずに、正面を向いたまま呟いた。
「とりあえずね、人に見つかる前に家帰ろうかな」
「その千鳥足でどうやって?」
「実はね、良い方法があるんだ」
嫌な予感がした。
「……おぶってよ、春人くん」
そう言って、椎名は僕の肩に寄りかかってきた。
酒の臭いだけじゃない、甘い匂いがふわりと香った。
「……分かったよ」
僕もアルコールによる影響は受けていたんだと思う。
ビールを持ってきた責任はあるしな、と正常に働かない脳は椎名を運ぶことを選択した。
「私、重いかな?」
「分からないけど、多分軽い」
「……女の子背負うのって、初めて?」
「そんな経験、ある訳ないよ」
「そっか。やったね」
椎名はだいぶ酔っ払っていた。
これ、明日になったとき記憶あるのかよ。
少し心配になった。
「背負われるのって、いいね」
椎名が話す度に右耳に吐息がかかる。
それがなんだか、こそばゆい。
「そうか?」
「……うん。なんか、こう、いつも背負って、ばかりだから」
酔っているせいか、椎名は言葉を区切り区切り話す喋り方になっていた。
背中に温もりを感じながら、僕は歩き続ける。
毎日誰かをおぶってるのか、なんて言い返そうとしたが、椎名から先に背負っているものの正体を語られた。
「私、5歳のとき、お父さんとお母さんが、事故で死んじゃって」
僕の足がピタリと止まった。
だけど、すぐにまた歩き出す。
「お葬式で、親戚の、人とかが『
……なんなんだよ、それ。
ただ普通に腹が立った。
美談でもなんでもない、酷い話だ。
口には出さなかったけど、無責任な人たちだと思った。
そんなの、死んだ本人から言われたって、プレッシャーだろうに。
「だから、ね。私は、優しくあろうと、してるんだ。頼まれたこと、頑張ってやり遂げる。期待もね、裏切らないで、頑張るの」
聞いていて、悲しくなった。
椎名が頑張っているのは知っている。
でも、そんな幼いときから、ずっとそう生きてきたのか。
僕にしがみつこうとする椎名の腕の力が、少し強まった。
「春人くん……。私は、お父さんと、お母さんのために、ちゃんと生きられてるかな?」
その声はかすかに震えていた。
顔は見れないけど、椎名はきっと少しだけ泣いている。
僕は、返す言葉をゆっくりと考えた。
「椎名は、ずっと偉いよ」
それだけを伝えた。
椎名は椎名のために生きてほしい。
最初はそう言おうとしたけど、やっぱり変えた。
これ以上、椎名に何かを背負わせたくない。
背中ですすり泣く椎名に、もうこれ以上悩み苦しんでほしくなかった。
なんとか椎名の家までたどり着く。
椎名の住む家は、外から見ると少し古ぼけた民家だった。
背中にいた椎名を降ろして、鍵を開けてもらう。
家に入っていきなり、椎名は脱力するようにして玄関にへたり込んだ。
本人は自然に微笑んでいるつもりなんだろうけど、その目はしっかりと赤く腫れていた。
「ほんとに、ありがとう」
「別にいいよ」
「お礼にね、私のお願い、聞いてくれてもいいよ?」
「無茶苦茶だな。まぁ、いいけど」
「いいんだ。良い人、だね」
「それで、お願いは?」
「……私のこと、名前で呼んで」
「今更、呼び方変える必要なんてあるか?」
「ある。私が、呼ばれて嬉しい」
「……じゃあ、必要か」
酔っぱらい同士の、意味のない会話。
その流れに、僕は身を任せていた。
「あのさ、梓桜」
「……うん」
「僕は、梓桜が思うほど良い奴じゃない。人の気持ちがわからない人間で、そのくせ人を勝手に決めつけてしまうような奴なんだ……。そんな僕が、誰かと一緒にいて、許されると思うか?」
全部、アルコールのせい。
本当なら言うつもりはなかった。
でも梓桜の今の状態はまともじゃなさそうで、きっと明日にはこのことも忘れてくれそうな気がして、僕はつい口からこぼしてしまった。
何を言っているのか、伝わらなくていい。
むしろ、分からないで欲しかった。
ゆっくりと一呼吸置いた梓桜は、僕をまっすぐに見つめた。
「いいよ。そして、もし他の人にダメって言われちゃったら、そのときは、私と一緒にいよう」
今日聞いたどの声よりも、優しく聞こえた。
その優しさが余計に苦しかった。
言わなきゃよかった、と遅れて後悔する。
僕が謝らなきゃいけないのは駿矢と百合恵さんなのに。
なんで梓桜から、ゆるしを得ている?
……ダメだ、僕も酔っている。
脳が働いていない。
また、自己嫌悪の波がやってくる。
そう思い、逃げるようにして、梓桜の家から去った。
ごめんもさよならも言わずに、玄関に梓桜一人を残して、僕は走って出ていった。
せめて『ありがとう』の一言くらい言えば良かったな。
走り続けて呼吸が苦しくなる中で、梓桜に言われたことが本当は嬉しかったことに今更気が付く。
馬鹿みたいだと思った。
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