第十五条~大二十二条

20200608 改稿


十五


一 太刀にかはる身の事 ⑮ (水:「太刀にかはる身と云事」)


原文)太刀にかはる身と云は,太刀を打だす時は,身はつれぬ物也。又身を打と見する時は,太刀は迹(あと)より打心也。是空の心也。太刀と身と心と一度に打事はなし。中に在心,中に在身,能々吟味すべし。


大要)太刀に代わる身ということは太刀を打ち出す時は、体はそれに連れては動かない(動く兆しを見せない)。また身を打つと見せて敵を誘う時は、太刀は後から打つ心もちだ。これ「空の心」である。太刀と身は一度に打つことはない。中に心あり、中に身あり。よく吟味せよ。


解釈)「五輪書」「水之巻」「太刀にかはる身と云事」に詳細な記述がある。この条では太刀より先に身を動かせ、と言っているようだが、「水之巻」を読むと少しニュアンスが違う。「太刀は身に構わず打つ所なり」と書いてある。読み比べると混乱するところだ。


 この条は「太刀を打ち出すとき」と「打つと見せかけて」の2つの場合が書いてある。


 まず、最初の「太刀を打ち出すとき」の文章を読むと、身と太刀の連動を否定しているような書きぶりであり、真意は伝承者にしか分からないことかもしれないが、新陰流の口伝書に次のような言葉がある。


 新陰流宗家を補佐したの長岡桃嶺が書いた「外伝」の「雷刀抑敵位 八勢法」の第二「雷刀下段ヲ摧ク 順」の注釈に、


「また打つは、身連れざる打。身を動かさず太刀の起こりを知らしめず、早く空に中(あた)るの打なり。」


 という文がある。同じ注釈の前の文章に武蔵の三十五箇条からの引用(「扉の身」など)が数個羅列されているので、「身連れざる」も三十五箇条からの引用と考えられる可能性が高い。

 この「雷刀下段ヲ摧ク 順」は打太刀が逆勢の下段の位で使太刀の到来を待つ。下段の構えは柄を持つ手が臍より下にあり、切っ先は相手の喉元の位置付近にする構えである。使太刀から太刀の長さを隠すように構える。この構えから攻撃に出るとすれば「突き」である。雷刀(上段)に太刀を構えた使太刀はそれに警戒しつつ、近寄り、打太刀が動かないと判断したとき、上段から左斜めに切り出し(「順」の斬りという)打太刀の左拳を打つ。このとき打つ「兆し」を見せず突然右足を踏み込んで打太刀の拳を斬れる間合いまで入る。熟練者の動きを見ていると体がまず動きその瞬間、太刀が振り下ろされているように見える。「礫打ち」とも言われる。この組稽古は続きがあるが、この武蔵の文章の解釈としてはここで終わる。


 もし、この新陰流外伝の「身連れざる」が武蔵の言う「身はつれぬ」と同じ意味ならば、『打つ気配を見せないで打ち込む』という意味である。「空」は相手の見せる「隙」のことである。原文の「是空の心也」の「空」は「無心」という意味であろう。武道では「空」は2つの意味がある。

 通常、武道の組稽古は最初、四,五間(8~10mほど)離れた地点から歩み寄り、踏み込めば相手を斬れる間合いまで近寄り、そこから勝負が始まる。相手に打ち込むとき、初心者は強く打とうとするあまり、手に「溜め」を作ったり、少し深く振りかぶったりする。敵はそれを見ればこちらの動きを察してしまう。武道一般の常識では、そういう撃つ兆しを見せないで打ち込む稽古をするべきなのである。

 

また、「また身を打つと見せて敵を誘う時は」から始まる文章は、「兆し」をわざと見せて相手を誘う場合のことのように思う。新陰流の「合し撃ち」を思わせ、相手に十分打ち込ませて自分は「遅れ太刀」にて勝つ、ことのように思う。


 「太刀にかはる身」とは「太刀に代わる身」と解すれば良いのだろうか。いずれにしても象徴的な題名であり、具体的なことは継承者しか分からない。


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十六


一 二ツの足と云事 ⑯ (水:「足づかひの事」)


原文)二ツの足とは,太刀一ツ打内に,足は二ツはこぶ物也。太刀にのり,はづし,つぐもひくも,足は二ツの物也。足をつぐと云心是なり。太刀一ツに足一ツづゝふむは,居付はまる物也。二ツと思へば,常にあゆむ足也。能々工夫あるべし。


大要)「二つの足」という教えは太刀を打つ時、両足は自由に二回歩む。敵の太刀の上に乗り打ったり、敵の太刀を外したり、打ちながら前に進んだり引いたりする時も、両の足は自由に歩むべきだ。足を継ぐという心持ちだ。打ってそこで踏み留めると居付くものである。両足を自由にすれば右左どちらに出しても戦えるものである。よく工夫せよ。


解釈)原文と大要を見比べて、えっと思った読者は多いと思う。

 この条で表している足の使い方は、継承した人のみが理解できるのではないだろうか。「二つの足」という定義が門外者には分からない。「太刀を一つ打つ時に、足は二つ運ぶ」という文の解釈は色々できる。特殊で無理な動きでないことは明白だ。

 戦う時「歩む」ことを実践している新陰流の教えと比べながら「大要」を訳した。


 条文では「居付く」ことを戒めている。「居付く」のは戦いの時に、体の重心が偏ったり、崩れていたり、体勢が不自由なことである。もし咄嗟に攻撃されたら対処できず斬られてしまう様な危険な状態を言う。


 武蔵は太刀をふるった時に、片足で止まっていたら「居付く」と言っているので、敵を斬ろうと太刀を振って踏み込んだ時、その足に全体重がかかってしまうような打ち方、という解釈をした。ここは武蔵流の「片手太刀」の場合の戦い方を教えているのかも知れない。なぜなら、片手であろうとも一撃で相手を倒さねばならないということは当たり前だからだ。それには片手でも全力で相手を打たねばならないだろうから、踏み込んだ足に一時的に全体重が乗るので、そこで居付いてはならぬ、ということではないだろうか。


 武蔵の言う「一つ刀を打てば足は二つ動く」は実際どういう打ち方を想定しているのかは不明である。敵の攻撃にもよるし、こちらがどういう間合いを取っているかの想定があるのだろう。


 古来の武道では刀を振るのに「歩む」ことは常識である。右上から刀を振り下ろす時は右足を踏み込む「順の斬り」、左上からは左足を踏み込む「逆の斬り」を行う。「なんば」の動きである。それだからどちらから斬っても同じ様な打撃力が生まれる。

 これは「五輪書・水之巻」にある「足づかひの事」で書かれている。そこでは「常に歩むがごとし」と明確に書かれている。


 新陰流は片手ではなく両手で刀を持つことが基本であり、敵に致命的な一撃を与えるには両手で斬ることを基本とする。しかも肩腕の力は使わなくとも刀を使えることを目指すので、片手太刀で戦う武蔵のような臂力のある男にしかこの教えは有効ではないかもしれない。この辺が両手太刀と片手太刀の戦い様の違いなのかも知れない。


後記)上まで書いて思いつくことがあったので追記しておく。

 両手で刀を持ち戦う新陰流で、一打に二歩、足を継ぐ形がある。間合いの外から打ち込むときに、左足を「継ぎ脚」として敵との距離を詰め、右足を踏んで打ち込む。表太刀・三学円之太刀の二本目、「斬釘截鉄(ざんていせってつ)」の打太刀が、卜伝流の「一之太刀(ひとつのたち)」を模したという切り込みを行うときの「二歩」打ちである。


 武道で基本的な「一足一刀」と呼ばれる打ち方は、右の足が前に出ていたらその右足を一気に踏み込み敵を打つ。これにもバリエーションがあり、間合いぎりぎりに身を置いて睨み合っている場合に、打つ前に右足をすっと間合いの中に入れて、敵が動かなければさらに右足を踏み込んで打ったり、敵に近づいているときに一瞬左足を前に出して継ぎ脚として右足で踏み込むこともある。後者は「左足(さそく)」で「間合いを窃(ぬす)む」という。体を間合いの外に置き、足のどちらかだけを間合いの中に入れ、敵を打てる距離に近づくのである。

 武道の「足」は、現代剣道で右足だけを使って打ち込むのではなく、両足を効果的に使うわけである。勿論、体の左、右周りの回転(なんば)を使うことになる。実際に武道をやった経験があればこの条を理解する助けになるかも知れない。

 


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一七


一 剣をふむと云事 ⑰ (火:「けんをふむと云事」)


原文)太刀の先を足にてふまゆると云心也。敵の打懸太刀之落つく処を,我左の足にてふまゆる心也。ふまゆる時,太刀にても,身にても,心にても,先を懸れば,いかやうにも勝位なり。此心なければ,とたんとたんとなりて,悪敷事也。足はくつろぐる事もあり。剣をふむ事度々にはあらず。能々吟味在るべし。


大要)相手の太刀の先を受ける時、それを足で踏むように太刀を上に乗せる。敵が撃ちかかってきてその振り下ろされる先を、自分の左足で踏む気持ちである。踏む時、体も心も「先」を持って掛かればどのようにも相手の太刀を制して勝つことが出来る。この気持ちが無ければ相手にばしんばしんとやられて受け手となり、最悪となる。’足は緩めている場合もあり剣を踏むということは度々ではない。’よく吟味せよ。


解釈)’’で囲んだ部分は私には意味不明であった。「五輪書」「火之巻」で「けんをふむと云事」があり、こちらのほうが詳細に書いてあるが、’’の部分はない。


 相手が打ってきた太刀を「踏む」ということは、相手がこちらの前に出した手あるいは拳を斬ってきた場面を想定しているのであろうか。前述したように、これは武蔵が門弟に自分を打たせてそれに対処して教えた「口伝」のお品書きと思われる。「五輪書」でもどの様に敵と相対するのかはよく分からないのだが、この「三十五箇条」はさらに短い言葉で著されているので解釈は難しい。

 当時は右利き使いが常識であったと思われ、相手も右利きならば彼の右上からの袈裟斬りを防ぐことをいっているのであろう。こちらは左側を斬られるわけで、左足を「前に出して」その時相手の剣を踏むような心持ちで受けろということであろうか。


 門外漢には理解できない条とは思うが、柳生新陰流の稽古を考えると、心当たりがある形が多くある。新陰流の試合勢法は主に打太刀が最初にこちらを打ってきてそれを使太刀が受け、いろいろな形で返して勝つ。


 こちらが青眼(中段であるが、右肩と右足を前に出し、刀の向きが斜になった構え)となった時に敵側(すなわち打太刀)が、前に出たこちらの左拳を打ってくるという形がある。打太刀が順(右上からの袈裟斬り)に打ち出し、こちらの拳にその物打ちが当たる寸前に、こちら(使太刀)は切っ先を刀中蔵に上げ、打太刀の太刀に上から打乗るという防御法である。青眼から少し太刀を上げ、小さな順の斬りで相手の太刀に撃ち乗り、上太刀(相手の太刀よりも自分の太刀が上に位置する形)となる。無論、相手はこちらの拳を打てず、すぐに引かなければ太刀の上に乗られて反撃が難しくなり、腕を切られるかそのまま喉を突かれることになる。


 前置きが長くなったが、使太刀が打太刀の太刀に乗る時、「相手の足を踏む気持ち」と教えられる。「足を踏め」とは相手の「振られた剣の終着点を予想してその上を叩け」ということである。「剣を踏め」と同じ教えではないかと思う。

 蛇足だが「相手の足を踏む」ことは、相手が剣を振り下ろす終着点よりも前に太刀を叩き落とすものであり、相手に「十分に斬る」ということをさせないことになる。自分が大将であって、敵を「将卒と見よ」という他の条に繋がるだろう。


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十八


一 陰をおさゆると云事 ⑱ (火:「かげをうごかすと云事」)* 5


原文)

 陰(岩波:「いん」とルビ)のかげをおさゆると云事,敵の身の内を見るに,心の余りたる処もあり,不足の処も在り。我太刀も,心の余る処へ,気を付る様にして,たらぬ所のかげに,其儘つけば,敵拍子まがひて,勝能物也。されども,我心を残し打処を不忘所肝要なり。工夫あるべし。


大要)「陰の影」をおさえるということは、敵の気持ちを推し量り、強みと弱みを見つけることである。太刀で戦う時も敵の得意なところへ気をつける様にして弱点を見つけ、そこを攻めれば敵は調子が出ずに勝てる。しかしあらゆるところに注意し、打つべきところを見逃さないことが肝要である。工夫せよ。


解釈)「五輪書」「火之巻」に「かげをうごかすと云事」があり、これもそちらのほうが詳細に書いてある。両方とも同じことを言っているとすると、「敵の得意とする所の兆しを崩し、敵の思い通りにはさせるな」ということだろう。


 私は「三十五箇条」に書いてある「技」あるいは「武道の常識」を、新陰流が現在に伝えている稽古法と比べてその共通性を明らかにするためにこの稿を起こした。よって武蔵の兵法理論や哲学そのものにはあまり明るくはない。

 この条は上の「大要」に書いたこと以上にあまり付け加えることはない。


 さらに「されども,我心を残し打処を不忘所肝要なり」という言葉に見えるように、武蔵は最後に「残心放心」を持ってきて教えをまとめようとしているようだ。このことは別の条に書いてある。つまりこの一書を通して読まないとこの条の意味がわからないだろう。各武道流派にも「口伝書」はあるが、色々な技や心構えのリストと簡単な説明が多い。確かに武道の教えは体と心全体、かつ敵の存在が前提の教えなので細々書くとまとまらないだろう。

 武術の継承は宗家が門弟の前でやって見せて「伝える」ことが前提なのだ。


 「三十五箇条」も全く同じことであろう。現代人が真の意味を知るには正統な継承者に入門し教えを請わねばならない。



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十九


一 影を動かすと云事 ⑲ (火:「かげをおさゆると云事」)


原文)

影は陽のかげ也。敵太刀をひかへ,身を出して構時,心は敵の太刀をおさへ,身を空にして,敵の出たる処を,太刀にてうてば,かならず敵の身動出なり。動出れば,勝事やすし。昔はなき事也。今は居付心を嫌て,出たる所を打也。能々工夫有べし。


大要)

 柳生新陰流の教えを鑑み、訳してみる。

 「影」は「日」の当たらぬところである。敵が刀を静かに構えている時、日の当たるところと陰が出来る。つまり体のどこかが前に出る。その時、こちらは敵の太刀を抑えるつもりで兆し無く、敵の最も近いところを打ってやると、敵は斬られないように動かざるを得ない。その動き出しを予測すれば勝つことが出来る。昔(介者剣法の時代)はお互い牽制してすぐには打ち合わなかったが、今(鎧を着ていない着物袴で戦う時代)は、機を見てすぐ打つのだ。よくよく工夫せよ。


解釈)

 驚くのは、私の解釈が間違っていなければ、鹿島・香取新道(しんとう)流から始まった介者剣法(鎧兜を着た状態で戦う刀法)を「昔」といい、それから決別していることである。


 これは「五輪書」全体の書きぶりもそうであり、「水之巻」では戦う姿勢を「かがまず直立する」ことと記している。

 武蔵が尾張藩で仕官活動をしていたときに柳生新陰流には柳生兵庫助(柳生新陰流第三世)が藩の剣法指南役であった。柳生兵庫はそれまで介者剣法を前提にしていた形を「つつたった(直立した)」姿勢に直し、現代剣道のような自然に体を起こした姿勢に新陰流の全ての刀法を改革したと伝わっている。


 あまり認識されていないことだが、同時代の二人の武術の「天才」が同じ事跡を残しているのである。これは2つの可能性がある。


 ① 鎧を着ない平和の時代でも武道稽古には介者剣法の様式が普通であったが、兵庫と武蔵がそれを「素肌剣法」に改革した。

 ② 鎧を着ない時代になり、各流派はそれぞれに鎧を着ない戦い方を模索していた。二人はそれを象徴した記述を残した。


 私は②のほうが可能性が高いと思う。

 閑話休題。解釈に戻ろう。


 「日の影」というのは、実は「新陰流」の「陰」も同様な意味を持っている。武蔵が新陰流を意識していたのかは分からないが、この言葉を記したのは偶然であろうか?

 ただ、武蔵は敵側の構えで「影」が出来ると言っているようなので、新陰流の「自分の太刀の陰」に入るとの違いはある。


 「敵太刀をひかえ」という意味は敵は太刀を静かに構えている状況だろう。こちらの動きを見て「待っている」状態であろう。新陰流では「待(たい)」であるという。攻撃を「懸(けん)」という。こちらも動かねば相手も動かず、勝負にならない。


 新陰流には「探り打ち」という稽古法がある。動かず「待」を続ける相手(打太刀)に最初に使太刀が懸かるのである。敵を動かして勝つという「活人剣」を標榜する新陰流にしては似合わないのであるが、例えば相手の太刀の根元付近を打ち、相手がそれを受けて返すところを勝つ、という戦法である。

 つまりこちらから探りを出して相手を動かす「活人剣」ということである。「先の先」を取るという。

 武蔵は敵の構えで「日に当たって突き出している」ところ、つまり前に出している拳や肩をまず探り打てといっているように思える。

 ここで読み流してしまうのは、「突き出したところを打て」と武蔵も新陰流も簡単に述べているところである。しかし相手に簡単に受けられて押さえられる打ちでは意味がないのは明白である。


 新陰流では、探り打つとき「撃石火」の打ち、あるいは「礫(つぶて)打ち」で打てと教える。相手が簡単に押さえられるような打ち方ではない。私が先輩に竹刀を持つ拳の先を打たれた時、あやうく竹刀を飛ばされそうになった。しかも彼の打ち終わった竹刀の先は私の喉元にあった。竹刀が人中路(自分の中心)から外れた時、簡単に突かれるか斬られるのである。

 これぐらいされればこちらも攻撃に出るか退くかしかない。これが「敵の身動出なり」である。

 しかし武蔵のような大男の達人から真剣で礫打ちを食らったら溜まったものではないであろう。

 武道は「柔よく剛を制す」と言われるが、体格差・体重差には注意が必要である。


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二十


一 弦をはづすと云事 ⑳ (***)


原文)

弦をはづすとは,敵も我も心ひつぱる事有り。身にても,太刀にても,足にても,心にても,はやくはづす物也。敵おもひよらざる処にて,能々はづるゝ物也。工夫在るべし。


大要)

 弓の弦をはずすとは、敵も自分も執着しているところがあるときの教えである。体もどこかに力が入っていたり、足も居付いていたり、どこかを打ってやろうと執着があるとよくない。それを「はずす」のである。敵が思いも寄らないところを自由な心で勝つのである。工夫せよ。


解釈)

 これは大要のままで理解できると思う。武蔵は、体や心が「居付く」ことや「執着する」ことから自らを開放せよとこの条でも他の条でも言い続けているのだ。

 新陰流は「昨日の自分に今日は勝つべし」という柳生石舟斎の家訓がある。日々稽古し永遠に続けて、自分をより自由に開放していけということである。


 江戸幕府筆頭の指南役となった「江戸柳生」と呼ばれる柳生宗矩の「兵法家伝書」にも同様のことが随所に書いてある。石舟斎の「新陰流截相口伝書事」をさらに徳川家光への王道の教書として新陰流兵法の真髄を書いたものである。

 語弊を恐れず、まとめてみれば「平常心」で何事へも敵に向かえということに尽きると思うが、それが難しいので武蔵も宗矩も口を酸っぱくするほどいろいろな言葉で書いているのではないだろうか。


 「兵法家伝書」を拡げて、この条に含まれることが書いてある部分はすぐに見つかる。例えば「風水の音を聞くこと」とか「捧心の心持ちの事」などメインテーマではないが、心の張りを緩める、あるいは心の病(恐れ、執着など)を去ることは結局、同じことを言っていると思うのだ。

 平和ボケの現代人はこれを理解できるのだろうか?言えることは武蔵も、石舟斎も、宗矩も、兵庫助も皆、向かってくる敵を倒したことがあるということだ。最近の痛ましい無差別な殺傷事件があったが、もし刃物を翳した男に出会ったら自分はどういう心持ちでいられるのか、よく考えて欲しい。


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二十一


一 小櫛のおしへの事  (***)


原文)

おぐしの心は,むすぼふるをとくと云ふ儀也。我心にくしを持て,敵のむすぼふらかす処を,それゞゝにしたがひ,とく心也。むすぼふるとひきはると,似たる事なれども,引はるは強き心,むすぼふるは弱き心,能々吟味有べし。


大要)

 「小櫛の心」は結んだ髪を解くという意味だ。自分を「櫛」とし、敵の結んだ心の髪を解いてゆくという心持ちである。結ぶと引き張ると似ていることだが、引き張るのは手強いが結ぶという時は弱い心である。よくよく吟味せよ。


解釈)

 色々議論はある条とは思うが、私は柳生新陰流の「捧心」という教えと同じではないかと思う。

 「捧心」とは相手の心の動きを、相手になり変わって(心を捧げて)読むことであり、武蔵は自分の中に敵の心を結ぶ「櫛」があり、それを解いてやることで敵の考えを読めと行っているのではないだろうか。

 敵の心が「引き張る」ときはこちらの策略を警戒している時であり、その時は手強いぞ、と言っているのだろう。


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二十二


一 拍子の間を知ると云事 ? (水:「敵を打に一拍子の打の事」,「二のこしの拍子の事」, 「無念無相の打と云事」,「流水の打と云事」)


原文)

拍子の間を知るは,敵によりはやきも在り,遅きもあり,敵にしたがふ拍子也。心おそき敵には,太刀あひに成と,我身を動さず,太刀のおこりを知らせず,はやく空にあたる,是一拍子也。敵気のはやきには,我身と心をうち,敵動きの迹を打事,是二のこしと云也。又無念無相と云は,身を打様になし,心と太刀は残し,敵の気のあひを,空よりつよくうつ,是無念無相也。又おくれ拍子と云は,敵太刀にてはらんとし,請んとする時,いかにもおそく,中にてよどむ心にして,まを打事,おくれ拍子也。能々工夫あるべし。


大要)

 拍子には、敵より早い拍子もあり、遅い拍子もあり、敵に従う拍子がある。

 こちらの気が優勢である時は、敵に立ち合う時、こちらは動かず、太刀の起こり(打つ兆し)を見せず、素早く相手のスキを打つ。これは一拍子の打ちである。

 敵が攻撃する気満々の場合は、まず打たせ、その太刀を越して勝つ。これを「ニの越し」という。

 また無念無想ということは、体の一部を間合いの中に入れ、打つ気を見せるが心と太刀はそのままに相手の出方を待つ。そして敵の気がそれた時に無心に打ち込む。これを無念無想という。

 また遅れ拍子ということはこちらの打ちを敵が太刀で打ち返そうと(張る)する時に、打つ力を途中で止めて、相手が崩れたところを打つことである。これが遅れ拍子である。よくよく工夫せよ。


解釈)

 ここで「空」という言葉を武蔵は数回使っているが、意味が2種類ある。「五輪書」の「空の巻」では武蔵は哲学的な意味で使っているようだが、一般的には「空」は相手のスキを意味する。一番最初に出てくる「空」はスキのことで、後の「空」は無念無想の境地のことであろう。

武蔵の「拍子」と前述の「先」の分類は、相手よりも「早い」、「遅い」そして「同時」の3種類である。これは単なる組み合わせと思われ、実戦ではどれがどうと簡単に言えるものではない。恐らく、武蔵の敵との関係の設定があり、自分の働きを勝つべく形に想定しているのだろう。


 反対に柳生新陰流の方が言葉じりは小難しいが、実戦的には容易に理解できる分類をしている。言葉は違えど生死を掛けた「実戦」は同じである。武道としては同じことを異なった表現でしていると思う。


 そこで新陰流の「拍子」を説明することにする。どれが武蔵の言う「拍子」と同じかは、当てはまるものもあり、重複あるいは部分的に重なるものもあり、ここでは追求しない。


 新陰流の「拍子」は、敵の刀あるいは自分の刀がどちらかに致命的な打撃を与えるときの状況で場合分けをしている。


 「遅れ拍子」は新陰流にもある。この場合は自分の打つ拍子のことだ。合し撃ちなど相手を「勝った」と思わせるほどの打ち込みをさせ、一瞬遅れて相手の太刀の上に乗る、という拍子のことだ。あるいは、敵に袈裟斬りで掛かられたときや、横に腹を払われた時に、剣先よりも先に拳が出てくるので、相手の切りよりも一瞬遅れてこちらも切り出し、敵の拳を斬る。本当に「遅れて勝つ」極意である。ただ、単に遅れれば良いということではない。「活人剣」で敵を思い通りに動かせるから勝てるのだ。


 「拍子に乗る」という教えもある。これは相手の打つ拍子の上に乗り勝つということで、遅れて打ち出すも、相手よりも先に小手などを斬ってしまう。

 「大調子・小調子」という拍子の取り方がある。相手が大きく斬ってきた時にこちらは小さく早く相手の拳などを斬ってしまうことだ。

 間合いに入ったら「すぐ斬れ」と教えられる。これは武蔵の言う「先」を取った時と同じだが、新陰流には拍子の言い回しはない。単に「殺人刀(せつにんとう)」と言う。


 「無念無想」という武蔵の言葉は門外漢にはあいまいだ。敵のスキを見つけたとしても、単に心を「空」にして打ち込むことではないはずだ。もし敵に対応されたら勝つことは出来ない。武蔵も天寿を全うできていないであろう。

 そういう意味では武蔵の書きぶりは面と向かって教えを請わない限り、とんでもない思い違いをさせる要素があると思う。


 「ニの越し」は、新陰流では相手の斬りをぎりぎりで躱して相手が刀を振り切った時に打って勝つ。相手の「拍子」を読んで、それに「乗り勝つ」。拍子という言葉は使わず、「越して勝つ」「抜いて勝つ」と呼ぶ。


 「一拍子」は武蔵はこちらの「打つ」気配を見せずして一瞬の内に刀を振り下ろすことと言っているが、新陰流はこれを「無心の打ち」と呼ぶ。「一拍子」という言葉は新陰流では全ての斬る動作に使われる。「車の構え」という腕を下ろし、体を相手に対し縦にして刀を後ろに向けて構えることがあるが、相手を斬る時、刀を上段に振り上げてから振り下ろすのに「一拍子」でやれ、と教えられる。正しく止まらずに斬れということである。


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