友だちの作り方

 4月になった。

 今年の4月は、まだ寒い。

 1月は、1年がはじまる年だけど、なんだかゆっくりできる気持ちの一方。この4月という月は、なんだか気合を入れなければいけない気がして、気が滅入る。


 学校や職場、環境がまるっと変わる人もいるだろうし、それは仕方がないのかもしれない。そういえば、私はクラス替えや席替えが、とても嫌いだった。というより好きな人はいるんだろうか。いるのならぜひ、話を聞いてみたい。少なくとも私の周りではいなかった気がする。

 新しい友だちを作るのなんて、とても苦手で、ひとりでも知っている(しかも会話ができるぐらいの親密さを持っている)人がいないか、何かが変わるたび、どきどきしていた気がする。


 何歳になっても、新しい環境に慣れなければいけないという空気は苦手だ。

 社会人になってからは、新しい友だちができたことがない。作り方が分からない。はたして、学生の頃の自分は、どうやって友だちを作っていたのか、記憶がない。


 家が近所だったり、クラスの席で近くになったり、部活が一緒だったりと、距離が近い人と知らぬ間に友だちになっていた気がする。好きなものは何か、とか、得意なことは何か、とか質問をしながら、お互いの共通点を教えて、見つけて、一緒だね、なんて気持ちから友情が生まれていた気がする。

 大人になった私は、いったいどうやって新しい友だちをつくるのだろうか。

 というより、つくる気はあるのだろうか……?


 職場の人とは、気の合う人と出かけることがある。ご飯を食べに行ったり、やりたいことをしてみたり。幸いにも、本にたずさわる仕事をしているので、趣味も似ている人が多い。ただ、職場の人を「友だち」と呼ぶのかどうか、といわれると……もぞもぞしてしまう。

 私の中で、友人はあくまでも同年齢の人をさしているらしい。

 フと思うが、そうか、大人になると年齢の違う友人ができたっておかしくないのだ。

 休みの日にわざわざ予定を合わせて、ご飯を食べに行ったり、奈良の鹿に会いに行ったり、仕事の悪運が怖すぎて厄払いに行ったり、大きい書店で2周ほどぐるっと歩いて「この本はよかった」「これを買いたい」「これおもしろそう」なんて話しながら時間をつぶせる人たちなんて、それはもう「友だち」なんじゃないだろうか。


 でも今更、「私たちって友だちだよね」というのは、あまりにも勇気がいる。

 もし「いやあ、それはないっすわ」とか「あ……はい……まあ……」みたいに、濁されでもしたら、翌日からの仕事に支障が出てしまう。


 でも本当は、その人たちのことを「友だち」だと言いたい。幼い姿の自分が、遠くの方でもぞもぞしながら新しい友だちになりたがっている様子が、私には見えている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る