「怒」との向き合い方は適切ですか?
皆さん、怒っておりますか。
人間には、喜怒哀楽という感情があるようで、これが非常に簡単な分け方ではあるので、実際には怒と哀が混じっていたり、喜の中でも色んなパターンがあったりで、複雑だったりする(なんなら楽ってどんな感情? って思ったりするわけだ)。
その中でも、私はこの「怒」というのが心底苦手だ。
自分が怒るのも嫌いだし、他人が怒っているのを見たり聞いたりするのも苦手だ。私の怒り方は非常に下手くそで、溜めて溜めて、爆発をする。なので、よく「今、そのことで怒るの?」と困惑されてしまう。本当に申し訳ない。「その時に言ってくれればいいのに……」とも、言われる。
ただ、私の場合、本当にその瞬間には「怒」が見当たらないのだ。一人になったとき、はじめて(そういえば、あの時の発言に傷ついたな……謝ってもらいたい……)といった具合に溢れ出す。そして、時間が過ぎた分、相手にも伝えづらく何度か諦め、封じ込み、ある日突然、わ〜〜〜〜〜っ! と爆発するのだ。そして、言った後には必ず相手を不快にさせてしまっただろうな……と罪悪感が襲ってくるのだ。下手くそすぎる。
そして、他人の「怒」は特に敏感で、自分が怒られているわけでもないのに、落ち込むし、心臓がドキドキするし、悲しくなってしまうので、本当に面倒な奴だなと思う。
対して我が子、生まれてまだ数年の子は、怒るのがとても上手い。自分が不快だ、怒りたいと思ったら徹底的に怒るのだ。
上手くブロックができなかった 怒り
欲しいお菓子がもらえない 怒り
疲れたから歩きたくない抱っこをしろの 怒り
言いたいことが伝わらない 怒り
時には理不尽だとも思うが、自分の感情第一という意味では非常に適切な怒り方だなと最近思う。そして、親からの怒りに関しては驚くほどに無関心でその瞬間は落ち込んでも次の瞬間には忘れて動き、笑い、暴れる。
それでいい。
親といっても他人だ。
それに気付かず、親の感情と子どもの感情を、ぴったり合わせすぎてしまうと、しんどいことになってしまうこともあるのだが、そういう話はまた気が向いたときにするとして、何がいいたいかというと、そもそも、他人の感情と自分の感情は、切り分けていいし、同調なんてしなくていいはず。
友人が怒っているから、それに寄り添って自分も怒るのはいいけれど、最終的にその感情をどう整理するかは自分の自由なはずだし、自分が怒ってもそれを相手がどう受け取るかは相手の自由で、不快にさせたら謝り、それでも自分の意見はこうなのだと思えば、それを貫けばいいわけで。
つまり、自分の感情に素直になることと、他人の感情に鈍感になることはセットで覚えると、なんか良さそうだなと思う今日このごろ。
だからと言って、「怒」がこの世から消えて欲しいというわけでもない。怒りは自分を守ったり、大切な物や人を守るときに発揮される感情だとも思うので、そろそろ適切な「怒」との向き合い方を会得したい。
きっと、前回の日記から続けて読んでくれている人は、「次回は前略プロフィールをするって書いていたじゃないか」と怒っているかもしれないけれども、私はちょっとさすがにこんな無名な人間の前略プロフィールなんて面白くもないし恥ずかしいなと改めて思ったので、書かないことにしました。
怒ってくれて大丈夫です。
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