第3話
暗闇の中に一筋の光が流れ込んでくるのを感じた。その先には見覚えのある顔。
「今宵。大好きだよ」
耳元でそう囁かれながら、体を抱きしめられる。とても懐かしい匂いと感触。そこで私はこの人が誰なのか気づいた。
「……お母さん」
目をぱっと開くと今度は母ではない違う顔が私の視界を覆った。とても綺麗な顔。
「……可愛い」
「えぇ!?」
不意に言葉をこぼしてしまった。その驚いた声で野木さんだと気が付く。
図書委員の仕事が終わって、人も全然来ないからと席について本を読んでいた私はいつの間にか眠っていたらしい。
さっきの母の姿は夢。
体をゆっくり起こして周りを確認する。まだ人はいなかった。いるのは今隣で固まっている野木さんのみである。
頭の中をゆっくりと眠りから起こしながら、不意にこぼしてしまった言葉に気が付いた。
野木さんをちらりと見るが、まだ固まっている。
私何言ってるんだろう。寝ぼけていたとはいえ、突然あんなことを言ってしまうなんて。
寝起きの私を見る彼女の顔は赤みを帯びていて、熟したリンゴのようだ。
「あ、あの野木さん……?」
「ひゃいっ!?」
私が声をかけると、野木さんが普段よりも高い声を図書室内に響かせた。「図書室ではお静かに」のポスターが貼ってあるが、まあ今は気にしていられない。
「すみません。寝ぼけていて意味の分からことを言ってしまいました……」
「あ、そ、そうですよね。私が可愛いわけないですもんね……!」
赤みを帯びながら下を向く彼女は寂しそうにそう言った。
まただ。最初に出会った時もこんな顔をしていた。自分に自信がないのか出せる限りのすべての言葉で自分を否定するように。
そんな野木さんに近寄り頬に手を添え顔を無理やり上げた。
目を見開きどうしたんだと私を見る彼女はやはり可愛いと、そう思う。
どうしてこんな行動をとっているのか自分でもわからない。でも、寂しそうに笑う彼女の姿に心が痛むのは確かな感覚だった。
「そんなことないですよ。寝ぼけて口にした言葉ではありますが、さっきのは私の本心ですよ」
「……そ、そんなこと」
頬に添えられた私の手に抵抗するようにまた、下を向いてしまう。
本心だと伝えてもそれを否定してしまう彼女は、なぜなのだろうか……?
私にはわからない。
私の言葉を否定する彼女の顔をもう一度、私に向ける。私より体の小さい彼女の前髪に触れ、そこに隠れた彼女の顔を露にする。
やはりそこに映る顔のパーツはどれも整っていて、綺麗だった。なぜ、前髪で隠しているのかわからない彼女の顔に魅了され私の動きが少し止まった。
野木さんの方もびっくりしたのだろう、さっきよりも顔を真っ赤に染めている。
「ほら、可愛い」
ニコッと彼女に笑いかけ、手を離す。
こんな風に笑ったのは久しぶりだ。野木さんと居るとどうしてか今までの自分の冷たい性格を突き通せない。
私は自分のことなのにわからないその疑問を心の奥に沈めた。多分これは考えなくていいことなんだとそう思う。
手を離して自由になった野木さんはいまだに固まっている。そうして、数分経ってやっと動き出した彼女は小さく口を開く。
「あ、ありがとうございます……」
恥ずかしそうに口に手を当てまたそっぽを向いてしまった。
「……花守さんは女たらしです……」
ぼそっと野木さんが何かを言った気がするが聞こえなかった。
「何か言いました?」
「なんでもないです……!」
何を言ったのか聞いてみたが、野木さんは教えてくれなかった。
それから野木さんも私の隣に座りパラパラと本を開く。
正直この空間は私にとってとても心地良いと感じる。このまま下校の時刻まで誰も来ないで静かに二人で過ごせたらなと思う。
「あ、そういえば野木さん私の寝顔見てました?」
私は思い出したように聞いた。というかあの状況で寝ている私の顔の前に野木さんの顔があるのはそれしかないと思う。
「あ、えっと……」
ごまかすように目を逸らすが、観念したのかすぐに白状した。
「はい……つい……人の寝顔ってあんまり見る機会ないので……」
申し訳なさそうにする彼女に別に怒る気はない。ただ、何か会話の種になるようなものがそれしかなかっただけだ。
母が読んでいた本を読むのは内容が難しく私には合っていないのだと思う。もちろん最後まで読む予定だ。でも今は野木さんが居る。だから、いつでも読める本じゃなくて彼女のことを知りたいと私の心は叫んでいる。
そこからは何か周りにあるもので会話が弾むようなものを考えて話を振ってみるが野木さんも私も慣れていなくて会話はあまり続かなかった。
それでも私の心は温かくぽかぽかとしたそんな感覚だった。
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