誰が食んだか、生命の果実

石膏沢せっこうざわ先輩。どうして学生食堂で、パソコンを開いていられるんですか?白い目で見られてますよ」


 長机の向かい側から、恭しい声が投げ掛けられた。


 「ようやく来たかにかわ。呼びつけた先輩を待たせるとは調子がいいじゃないか。随分と悠長だが、庭先で埋蔵された単位でも掘り当てたのか?」


 「ははっ、なんとも夢のあるゴールドラッシュですね」


 乾いた笑い声と目の前の椅子をひく音が、昼下がりの喧騒に溶けて消えた。強いコーヒーの臭いが漂ってきたことから、膠は向かいの席で昼食を食い始めたらしいと納得した。ノートパソコン上の文献を眺めながら、片手間に考えていた。


 「それはそうと、周りを見てくださいよ。先輩はご存知無いかもしれませんが、平日昼間の学生食堂にはめちゃくちゃ人が居るんですよ」


 「知っている、一昨年の卒論で取り上げてる奴がいた。学生食堂の席数は300。午前11時半〜午後2時までほぼ満員のまま推移し続け、一日で約2000人が利用する。およそ在学生の三分の一だな」


 「じゃあなんで悠長にパソコン見てられるんですか。ここは食事をするところですよ?」


 言い方に思わずカチンと来た。私はデスクトップを乱暴に閉じて、左手に掴んだカツサンドを顔の横に掲げた。


 「お前に呼ばれなければ、こんな騒々しい場所で飯を食わずに済んだんだ。控えめに言って泣いて謝れ」


 目の前に座った一つ結いの男を睨む。膠はヘラヘラと笑いながら目を細めていた。折り目正しい黒いワイシャツも、ファンデーションで助長された白い肌も、張り付いた微笑も全てが不気味だ。

 なぜ私はこの男に懐かれているんだろう。


 「へへ、泣いたら許してくれるんですか?」


 「許すとは言っていないだろう。用件をさっさと済ませろ」


 「つれないなあ。花の大学生が、モテませんよ?」


 膠は上目遣いではにかみながら、フォークとナイフでフレンチトーストを食べ始めた。

 先述の卒論で明らかになった、『食堂に負担をかける注文』栄えある一位を嗜むこの男はにかわ真琴まこと。国府台大学人文学部一年生で、実年齢は同い年ながら私の後輩にあたる。

 しかし何故か、入学直後から私に恭しく付き従ってくるのだ。名前の通り、まるで溶かした膠のように、どこでも嫌味を言いながらベタベタくっ付いて来た。慇懃無礼なこの男は、人生に楽しみが無いのか。


 今日も朝一番に電話がかかり、「少しお尋ねしたいこともありますので、食堂でご飯を食べましょう。先輩のことですから、ご予定も一切無いでしょう?」などと誘ってきた。


 無論私は、「うるせぇ話しかけんな」と丁重に返答。

 

 しかし、奴が拝啓から始まり敬具に終わる長文メールを五分に一本のペースで送ってきたので、鬱陶し過ぎて了承したのだった。


 「で、要件は?さっさとしてくれ、まだ本読んでる途中なんだよ」


 カツサンドを早口で噛み下しながら、指先で机を叩く。気持ちだけがはやり、イライラしてくる。目の前に読みさしの本があり、読めないというのはなんとも生殺しにあっている気分だ。


 「生き急いでますね。先輩は活字中毒なんですか?数時間活字見なくても人は死にませんよ」


 エスプレッソを飲みながら、膠は笑顔で首を傾げる。


 「違う。私はハッキリしない物やよく分からないものが大嫌いなんだ。煮え切らずにこびりついてくる、お前みたいな人間もだ」


 「じゃあ、うってつけですね。これ」


 膠はそう言って古めかしい新聞を一部、私に手渡した。

 

 「12面を見てください」


 「何が載っているんだ?」


 「とある事故の記事ですよ」

 

 紹介している内容の割に、浮かべている笑みは得意気だ。薄気味悪さを感じながらページをめくっていく。


 「時に先輩。先輩と同姓同名の方って見たことあります?」


 膠が急に問い掛けてきた。


 「無い。自慢じゃないが、石膏沢なんて苗字はそうそう無いからな」

 

 「だったら、なお丁度いいですね。不可解が加速するので」


 思わず、手が止まった。

 記事が目に入ったのだ。


 『石膏沢明美ちゃんが搬送先の病院で死亡』

 

 他人事だと割り切るにはあまりにも近すぎる内容だった。間違いなく彼女は、私と同名で出身地も程近い。私のことを書いていると、判断できなくもない。

 しかし、解せない。


 「答えろ。不可解な点が三つある」

 

 何も言わず、ニヤニヤしているだけの膠の顔を睨んだ。


 「一点、この新聞をどこで見つけた? 新聞社のアーカイブに、私の名前は無かった」

 

 「頑張りました」


 膠は詐欺師めいた朗らかさで微笑む。


 「二点、発行が1985年で被害者は当時4歳。しかし私は2005年生まれだぞ。何者だこいつは」


 「さあ? それも含めてお知恵を拝借したく」


 膠はジョークを言った後のように、わざとらしく肩を竦めた。思わずため息が出る。なんでめんどくさい男なんだろう。


 「三点。私、お前に下の名前教えてないだろ。どこで知った」


 新聞を突き返し、膠に問う。

 

 「あれ?そうでしたっけ。でも、学校ここに居れば、簡単に情報は集まるものですので」


 それでも奴は笑みを浮かべて、席から立ち上がった。机の上にはフレンチトーストが9割方残ったままだ。


 「おい。これどうする気だ、私に下膳させる気じゃないだろうな」


 去りゆくワイシャツ姿の背中に投げかける。


 「積もる話は外で。そろそろ先輩も気になるでしょう?


 結局質問に答えず、膠は去っていった。食堂中の人間からジロジロと見られながら。小さくなる背中を目で追いつつ、ほぼ手付かずのフレンチトーストを手繰り寄せる。


 「ずっと探してたのかアイツ。……無駄な事を」


 私は大切りにしたそれを、口の中に詰め込んだ。



 石膏沢明美。2005年生まれの20歳。身長168センチ、体重72キロ。国府台大学人文学部二年生。


 私の人生で確かな情報は、この2行のみだ。


 4歳の時、交通事故に巻き込まれた。そこで意識不明になって以来、記憶障害に悩まされ続けている。両親は事故で行方不明、養親であった祖父母も間もなく後を追ったと聞いた。物心着いた時には全寮制の高校に入っていたようだ。

 激動の人生だが、それにしては記憶が無い。


 というのも、私は高校以前の思い出がほとんど欠落している。なぜ国府台大学に入ったかもかなり曖昧だ。ここまでの話も、自分のことのような気がまるでしない。


 色々と自分に探りも入れてみた。しかし収穫はゼロ。学校報の端に映ることも無く、一度の表彰もされていない。余程目立たない生き方をしていたらしい。履歴自体はあれど、私の人生には大規模な空洞が存在した。


 まるでドーナツの穴のように、焼き上がる前にはあったはずでも埋め合わせが出来ないのだ。

 だからこそ知識を貪り、縋って私は生きてきた。経験や記憶が一切無くとも、知識を元に思考すれば大抵の対処ができる。理不尽も背景から考察すれば事象の卑小さがわかる。


 故に私は、浴びるほど勉強していた。それが学生たる理想像であったし、没頭している時には記憶の空洞など忘れられたのだ。


 しかし四月。一度膠真琴アイツに焚き付けられてから、私の知識は再び穴に注がれることとなった。

 洗う気もなかった自分の出自。今は興味が湧いて仕方がない。

 

 「先輩は一回死んで蘇ったんです。それで全ての辻褄が合います。Howdunitどうやったかは忘れ、Whodunit誰がやったかを考えましょう」


 初めて会った瞬間から、膠は私の悩みを全部見通しているかの如く言った。


 「『誰が生命の果実をんだか』知りたくないですか?」


 きっと奴のファンデーションの白さが、私の目を眩ませたのだ。

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