第13話「クールダディ3」

 ベッドに倒れ込み、目をつぶって息を整える。

 意を決して傷を確認する。

 両膝、両肘、両手首、両足首から血がだらだらと流れ落ちていた。ベッドシーツはすでに血だらけだ。特に右膝の出血が酷い。

 恐る恐る破けたジーンズの穴から傷口をのぞき込む。

 嗚呼⋯⋯、やはり気の所為せいではなかった。ジーンズの穴から見える膝にポッカリと穴があいている。

 そして、その真ん中が白い。

 どうやら膝の肉はそげ落ちて、膝の骨が見えてしまっているらしい。

 怜は顔面の血が引いていくのがわかった。

 これはいつもの絆創膏ではすまないだろう。

 子供の頃から野山を駆け回り、少年時代は工作を好んでした怜はこれまでもよく怪我をした。

 パックリと開いた傷口は何度も見てきた。

 この傷が病院で塞いでもらわないと治らないことがわかった。


 父親に電話をかける。たぶんこの時間は仕事で店にいるはずだ。父親と母親で営む電気店は自宅から車で10分の隣町に移転していた。

 店の電話番号にかけると2コールで出た。受話器の向こうで母親が愛想よく応える。父親に代わるように頼むと面倒そうに父親が代わった。


「何だこんな時間に。バイトは終わったのか?」

 不機嫌そうに応える父親に怜は一方的に要件だけ告げた。

「いや、ちょっと怪我して。家に居るからとにかく来てくれないかーーー(ブッ)」

 それだけ言って電話を切った。

 意識も途切れた。


 しばらくして、自宅前に停まる車の音で怜は目覚めた。聞き慣れた排気音は仕事用の軽トラだ。

 階段を登る足音が近づいてくる。

 意識は霞がかかり身体は動かない。

 耳元で足音が止まるのを聞いて目を開けると、ベッドの前に仁王立ちする父親がいた。

「何だこりゃ!?」

 部屋の有り様を一瞥して父親は怜に言った。

「バイクで転けた」

 怜はそれだけやっと吐き出した。

 次の瞬間、父親はくるっと向きを変え、部屋を出ると階段を下りて行った。

 そして階段の途中から言った。

「病院行くぞ! 早く来い」

 すでにリビングにいる父親に、怜は精一杯の声で叫んだ。

 「起こしてくれ、立てないんだ!」

 父親は戻る気配もなく言い放った。

 「ここまで上がってきたんだから、自分で降りられるだろ!」

 「⋯⋯ !!」

 な、な、なんという冷たい父親だ!

 怒りにも似た感情に突き動かされて怜はベッドの横に立ち上がっていた。

 「あっ ぐっ!」

 すぐにカクンと脚の力が抜けてへたり込んだ。

 板の間にパタパタと血溜まりができた。

 父親が戻って来る気配はない。

 怜は怒りと諦めを覚悟に換えて、なんとか動く手脚で這うようにして階段を下りた。

 リビングにも父親の姿はなかった。


 玄関の靴箱を見るとビリビリに破れた血だらけの元靴だった塊が転がっていた。

 靴を履くのを諦めサンダルで外に出ると、父親はすでに軽トラの運転席に乗り込んでいる。


 「おい! 行くぞ!」

 「うっ、ぐっ、待ってくれ (ハァハァ)」

 助手席に怜が倒れ込むと、軽トラは勢いよく発進した。

 急発進に反射的に踏ん張った、脚の痛みで怜は気絶しそうになった。

 病院までの車中、グッタリする怜に父親は話かけた。ふつうなら血だらけの息子を目の前にして、話をするどころではないが、父親は落ち着き払っていた。


 「怜、最近おまえ、イライラしてるんだってな? 母さんが言ってた。⋯⋯進路のことか?」

 「あ、あぁ⋯⋯ 」

 相槌したものの意識を保つのが精一杯の怜に、「今その話かよ?」と反論する元気はない。

 父親は続けた。

「何を焦っているのかわからんが、⋯⋯世の中には取り返しがつかない失敗というのがあるんだ。おまえのやっているオートバイの競走もそうじゃないのか?」

「⋯⋯ そうだけど、でも」

「でも?」

「俺、オートバイで、速く、なりたいんだ」

「⋯⋯そうか。オートバイのレースっていうのは、やっぱりプロスポーツの、厳しい世界なんだろう?」

「うん⋯⋯。だから迷ってる」

「そうか。命は一個だからな。

 母さんが聞いたらびっくりしそうだな」

「そうだね。父さんは、驚かないの?」

「⋯⋯ まあ、今更な。男ってのはそんなもんだ」

「そうなんだ⋯⋯」

「怜、俺は反対はしない。俺にできる協力はしよう。ただな、おまえにこれだけは言っておく。

 おまえは⋯⋯、自分の思った道を生きろ。

 自分で考え、自分で選択した道を生きろ。

 誰かが決めた道の先に幸せなんかない。

 人間にとっての幸せは、自ら選んだ道を生きることなんだと俺は思う。

 ただそれは簡単なことじゃない。

 人生は思う通りになる事の方が少ないからだ。

 それでも誰かのせいにする事なく、自分の選択を信じて生きられるか。

 それが出来なければ、全てに後悔し不幸になる。自分を信じて自分で考えて生きろ。

 そうすれば、おまえは必ず幸せになる」

 怜は初めて聞く、父親の人生観に聴き入った。


 「人間はな、覚悟を決めると意外となんでも出来てしまうものだ。いまだってほら⋯⋯」

 父親は怜の血だらけの脚を指さした。

 「駄目だと思ったら自分で車まで来れなかっただろ?

 そのケガを誰かのせいにすればただの不幸だ。だがそれを、おまえが選らび自分で責任をとるなら、それはおまえにとって血肉となる傷だ。

 おまえはこの先、その傷を見て今日の自分の浅はかさを思い出す」


 父親はそう言うと、怜を父親の知り合いの整形外科に連れて行った。

 かくして病院に運ばれた怜は全身打撲と挫傷、裂傷、膝は20針縫う怪我で全治1ヶ月と診断された。VTは父親が引き取りに行き、怜と同じひと月後に修理され、戻ってきた。


 怜の身体に経験の傷がひとつ刻まれ、怜は「冷たい父親」から後悔しない生き方を学び、高校生という少年時代を卒業した。

 

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