第14話 妹(弟)は気持ちを知る

第14話 妹(弟)は気持ちを知る


 1


「――綾乃!!」

「…あっ」


 名前を呼ばれて意識を取り戻す。ちょっと寝ちゃってた。


「大丈夫?綾乃」

「う、うん。大丈夫。」

「ずいぶん根を詰めているようだけど、無理はしないでね綾乃ちゃん。」

「はい…ありがとうお母さんお義父さん」


 私は誤魔化しの笑みを浮かべた。

 隣で私のことに気にせず食べている凛久君以外は心配をかけてしまった。はいって言ったけど無理をしないといけない……

 朝は早く起きて登校前に勉強。学校でも休み時間を使い、放課後は自習室を利用する。下校時間になって帰宅すれば、部屋の中に籠もって机に向かった。


「ごちそうさま…」


 私は静かにそう言い、食器を持って立ち上がった。食器を水につけ、1度頭を休ませるためお風呂に入ろうと思い部屋に戻った。


「……」


 湯船に浸かりさっきのお義父さんの言葉を思い出す。


(無理を……しなきゃいけない)


 私は元々、学年首席をとれるほど頭がよくなかった。入試の時だって自分で限界と思えるくらい無理をしてようやく取れたのだ。今回もそれくらい……いいえそれ以上をしなければならない。だから、私は無理をする。

 お風呂を上がり、ドライヤーで髪を乾かして、寝間着を着て脱衣所を出る。これから夜の部。

 欠伸あくびを噛み殺して、階段に足を向けると、凛久君が待ち構えるように座りながらスマホをいじっていた。


「ずいぶんとお疲れだな。」


 そう言うと彼は、スマホをしまい私の目をじっと見た。


「そんなに大事なの?首席って……」


 私が首席をとるために頑張っているのを凛久君に気づかれていた。間近から見つめる目を私は見つめ返せなかった。


「……大事よ。」


 だから、誤魔化すことができなかった。胸の中にある焦りや危機感が、そのまま口に出てしまう。


「学年首席だから……今の私がいるんだもの…」


 勉強のできる優等生。そう偽ることで私の周りには多くの人がいてくれた。もし……それができないとなると考えるだけでも怖い。


「首席だからみんな私と話してくれる。首席だから1人じゃない。だから…首席じゃないと……今の私がなくなる。」

「そんなことは――」

「あるわよ。みんな…きっとそうだから……」


 私は凛久君の横を通り抜け、階段を上がった。勉強、しないと。


「ねぇ凛久君」

「……なに?」


 言わなくていいと思った……でも、どうしても言いたくなった言葉を言うために階段を上がり終えた後に凛久君を呼んだ。


「あなたには…わからないわよ。周りのことなんて気にしないで1人でいる……孤高気取りのあなたには…私の気持ちなんて……」


 そう言うと、凛久君は頭を少しかき


「そうかもな……綾乃さんの気持ちなんて…わからないよ。」


 そう言ってリビングへ向かっていった。


「私は…わかってほしかったな……」


 かすかにそう呟き、部屋に戻った。なんだか、今のやり取りで、出会った頃より心の距離が遠くなった気がするが……今の私には後悔する暇はなかった。


 2


 凛久君と話さなくなったままテスト初日を迎えた。厳寒でローファーに履き替え『いってきます』と言おうとしたそのとき、別の声が不意に割り込んだ。


「ねぇ綾乃さん。」


 心臓が跳ねる。後ろを振り返ると制服を着た凛久君が、眠そうな目で私を見ていた。


「俺達は家族だ。家族だからわかる、家族だから気づいてもらえる、そんなのはありえない。綾乃さんの気持ちがわからないように……俺の気持ちなんて綾乃さんにはわからないよ。」


 凛久君が何を言いたいのかすぐにわかった。でも言い返せなかった。なんとか言葉を返そうと考えている間に、凛久君はすたすたと歩いてきて、私の隣でスニーカーを履いた。

 凛久君は私に流し目を送りながら、玄関のノブに手をかける。私はその時気がついた。

 彼の目の下にうっすらと、隈ができていることに――


「終わらせてやるよ。を――」


 一方的にそう言い置いて、彼は玄関扉の向こうに消えていった。

 取り残された私はそんなことできないだろうと思いながら学校に向かった。


 3


 テストも終わり数日が経った。今日は中間テストの総合順位が貼り出される。

 テストの順位は、上位50名までが公開される形式だ。1学年が大体200人くらい、つまり上位25%の人の成績が出る。4人に1人が出るので貼り出されること自体はさほど難しくない、発表場所となった掲示板の周りには生徒でごった返していた。

 その人だかりの最前列に私はいる。紙を貼り出した教師が掲示板の前からどき、ついに順位が露わになる。紙を見て私は喜んだ。すぐに見つけられたからだ。

 私の点数は900点中832点。苦手な教科もあるが平均9割以上はとれていたからよかったとは思える……が、私の順位は学年2位。1位の人は私と10点以上の差をつけて私を倒した。たかが、10点にも思えるが、その壁は何よりも高く越えられなかった。

 その人の名は。900点中857点。何度も見直しても変わることはなかった。

 嘘……私が…負けた?


「マジ?」

「日高さん、早くも次席か……」

「日高さんの兄……スゲー」


 周囲の言葉は不思議と耳に入らなかった。それよりも私は彼の姿を探した。右を見て、左を見て――そっと人だかりから離れていく背中を見つけ、


「ご、ごめんなさい!ちょっと通して!」


 人だかりを掻き分けるようにして抜けて、しれっと立ち去ろうとする彼の背中を私は追いかけた。肩を掴んで振り返らせる。凛久君の目が私を捉えた。


「どうして…あなた!!」

「よぉ学年次席さん。勝負は俺の勝ちだな」


 いつも以上に憎たらしいその口振りには、今ばかりは付き合えない。私は込み上げる質問を、白々しい顔にそのまま叩きつける。


「どうして…あなた……!入試そこまで高くなかったじゃない。それにあの点数、相当勉強しないと――」

「できないはず。そう言いたいのだろう?」


 私は口を噤んだ。それを見て、彼は皮肉っぽく笑った。


「わからないと思うよ……どういう気持ちでやったかなんて……」


 そう言って彼は私の手をどかし、私に背を向けた。


「あぁそうだ。」

「?」

「今回は死ぬほど頑張った。あんなのはしばらくやりたくない。」


 もしかして……凛久君は


「だから次のテストはめちゃくちゃ下がるだろうな。また戻りたくなったら頑張りなよ、妹」


 彼は私に手を振り教室に戻っていった。


「――日高さん!!」


 急に肩を掴まれて、私は驚きながら振り返った。振り向くと、いつも私と話してくれるみんながいた。


「惜しかったね〜あと少しだったのに!」

「いや……あれはなかなか越えられないって、平均95点とか強すぎるよ」

「上には上がいるってことだね〜。私ついていけないよ〜。」

「日高さんに教えてもらって学年47位の人がなんか言ってる!!」


 あ……あれ?私は混乱する。


「あれ?私そんなに順位上だったの?」


 学年首席じゃなかったら……私1人になるんじゃ……想像していたものと違いすぎる。恐れていたものと違いすぎる。


「どうしたの?日高さん」


 みんなが不思議そうに私を見る。その姿を見て私は俯いて、顔を覆った。

 学年首席じゃなかったらどうなる?

 答えは――何も変わらない。私は1人じゃない。

 みんな私が首席だから仲良くしてくれるんじゃない……私だから仲良くしてくれるんだ……


 ――終わらせてやるよ。


 あぁそっか……。私……誤解していた。あの時言った言葉は私そのものじゃなくて今の独り相撲を終わらせてくれるためにあんなことを……

 私は顔を上げた。でも涙は止まらなかった。

 その涙はうれしさの涙か彼に負けた悔しさの涙かはわからなかったけど


「ううん……なんでもない。」


 今の私を見て周りの友達が、慌てた様子で私の背中をさすった。


「あー、泣かないで日高さん!!」

「2位も十分すごいよ。」


 違うの。悔しいけどそれよりも嬉しいの。

 ……どうして?どうしてあの人は私のためにあんなことをするの?自分にはなんの得もない。自分が疲れるだけ……誰にも気づいてもらえないはずなのに…どうしてするの?どうしてわかるの?どうして通じるの?こんなに、こんなにエスパーみたいに察してくれる人……初めて。

 そんな事されたら、私――――

 どうしてくれるのよ……お兄ちゃん。


 4


 中間テストも終わり、校内の弛緩しかんした空気が戻ってきた。放課後、図書室に向かう道すがら、凛久君はちらりと隣の私を窺ってくる。


「んで……なんでいるの?」

「国語の物語……少し悪かったから本を読んでみようかと思ったのよ」

「……あっそ」


 凛久君と一緒に図書室に行き本を探すという理由にしているけど……もちろん嘘です。

 凛久君にかなり…いや少しだけ酷いことを言ったので謝るタイミングを窺っているだけです…はい。


「おっ日高兄妹だ。」

「マジ?首席と次席の?」

「へー。あれが……」


 テストの結果が貼り出されてから、私達が一緒にいると以前にも増して注目を浴びるようになった。

 私は慣れたからいいけど、お兄ちゃんは非常に居心地が悪そうにしている。いい気味ね。私から主席を奪ったむくいを受けるがいい。(負けたことは普通に悔しいわよ。)


「どういうの読みたいんだ?純文学ならあのへんだぞ」

「ふぅん……あっちの隅にあるほうは?」

「あっちはラノベ……読む気になったのか?」

「まさか、可愛い女の子が沢山いて最終的に女の子に告白されてハッピーエンドが定番である男の気持ち悪い妄想に付き合いたくないわよ。」

「お前……世のラノベファンに殺されても知らんぞ」


 純文学の棚に向かう私と別れて、凛久君は入口から見て対角の辺にあるラノベがある棚に向かっていった。私は本を探すふりをしながら凛久君にどう謝ろうか考える。

 ……凛久君が本を選んでいる間にすれ違いにこそっと謝って去っていく……あの時も凛久君はそんな感じで言いたいことだけ言って去っていったし謝罪がちょっと通り魔的でも別にいいのでは?妙案かもしれない……よし、それでいこう!!じゃあ、まずは凛久君がどこにいるか確認しないと……

 私は本を手に持ったまま、凛久君がラノベの棚と言っていた棚に近づく。そこにいるはず…

 そう思って向こう側に回ろうとしたが、棚のところには彼はいなかった。


(あれ……どこに?)


 少し奥に進むと彼がいた……いたのだが


「好きですよ。」


 彼の隣にいた私の知らない女の子が彼に告白していた。肩まであるウェーブが掛かった髪は明るい茶色で、少し垂れ目気味な優しい瞳は透き通るような水色。そして何より……大きい。

 制服くらいじゃ隠しきれていないくらい大きいな双丘があった。

 そんな女の子に告白された兄の返事は


「俺もだ」


 私の予想外の言葉が出た。その時の凛久君の顔は観覧車に乗って私にありがとうと言ってくれた時(第6話参照)のあの優しい顔とすごく似ていた。

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