第1話 日常

 ──日が上り、空に夕陽がさした頃。

 窓を開け、空を見ると……、無性に本が読みたくなる。

 

 淡い夕陽の光が差す部屋の中、紺色の椅子に座り、気だるげに窓から空を見つめていた少年。


 少年は目線を右へ逸らし、古びた木製の棚から一冊の本を手に取り、数ページほど目を通しした。


 「──はぁッ! ──やっッ!」


 すると、窓から掛け声と共に風を裂く音が耳に届く。


 それを気にせず、右から左にページを次々にめくると、いつの間にか空は、茜色から黒へと移り変わり──。


「こら、“アキ”! もう夕食の時間なんだから早く家に戻ってきなさい!」


「ごめん! お母さんっ。でもあとちょっとだけ──」


「──だめっ。そんなこと言っていっつもご飯が冷めた頃になるじゃない」


 そんな会話を聴いていると、廊下から誰かの足音がこちらに近づく。

 少年はそれに気づき、本に栞を挟み、パタンと閉じた。


 コンッ、コンッ──。

 

「──失礼します。シロ様、夕食の準備が出来ましたので広間までお越し下さい」


 木扉を開け現れた白髪のメイドが、少年、“シロ”を呼び出す。



「……ああ」


 シロは頷き、本を棚へ戻した──。


   ◆



「──ユリ。今日の夕食はなんだ」


 シロは前を歩く、自分より少し目線の高い、白髪の少女、“ユリ”にそう声をかける。


「はい。今日の夕食は牛フィレのソテーと奥様直伝のかぼちゃのポタージュになります」


 ユリはそう答え、薄氷のように透き通った水色の瞳をシロに向ける。


(……かぼちゃのポタージュ)


「ふふっ。シロ様、夕食、楽しみですね。シロ様の大好物ですもんね。……奥様の作ったかぼちゃのポタージュ」


 ユリは姿勢を前屈みにし、シロと目線を合わせ、からかうように微笑んだ。


「……まぁ、そうだな」


 シロは気恥ずかしくなり、ユリから目を背けた。


「──ふふっ。さぁ、夕食が冷める前に早く広間に行きますよっ」


「……っ! 廊下を走るなっ!」


 そう言って突然走り出したユリを、シロは慌てて追いかけた。


   ◆



「──おおっ! きたかシロ。お前以外はもう揃っているぞ。──さぁ、早く席につけ」


 広間についたシロに声を掛けるのは、中央のテーブル席に座る三人の内、一際目立つ男。


 色褪せた金髪に堀が深く整った顔立ち、190センチを超える身長と、大きく分厚い胸板を持つこの男は、貴族である“カリング家”の当主。──カリング・レオルド伯爵。


「はい、父上」


 ──シロの父だ。



「あっ、お兄ちゃんっ。みてみてっー! 今日は美味しそうなお肉だよ、お肉っ!」


 肉を見て興奮しているのは、シロの“双子の弟”である、カリング・アーキリ。──“通称アキ”。

 

「……ふっ、そうだな。美味そうだ」


 綿毛のようにふわふわとした美しい金髪。まんまるとした目に、赤く澄んだ瞳。

 そして、愛嬌のある笑顔が特徴の美少年。



「ほらっ、喋ってないでさっさと席につきなさいシロ。料理が冷めちゃうわよ」


 そう促すのは、シロの母、カリング・ミーリス。

 純白の肌と、艶のある綺麗な金髪を持ち、今年で36歳になるとは思えない程の美貌を保っている。



「はい、母上」


 テーブル席まで移動し、アキの隣に座る。


「よしっ、これで揃ったな。……じゃあみんな目を瞑って手を合わせろ」



「「「──いただきます」」」


「──いただきま〜すっ!」


 すると、アキは肉の塊を豪快に頬張り始める。


「はむっ、はむ、むぐむぐ──ゴクッ。……ん〜おいしいっ〜!!」


「ははっ! アキよ、そう急ぐな。飯は逃げんぞ」


「アキ、お肉はよく噛んで食べなさい。──それとなに、そのナイフとフォークの使い方は、前に教えたようにもっと上品に使いなさい」


「──もぐもぐ、……だってっ、このお肉すっごく美味しいんだもんっ!」


「口に入れたまましゃべらない!」 



「──くっ、くくっ──くははっ!」


 そんなやり取りに、シロは可笑しくなり、つい吹き出した。


「もー、お兄ちゃ〜ん。笑ってないで僕のこと少しは庇ってよ〜」


 頬を膨らませ、不満げにシロを見つめるアキ。


「……ふふっ、そうだな。母上、今日はアキの10歳の誕生日、少しは大目に見ても良いのでは」


 目に溜まった涙を指で払い、シロは母に言う。


「アキの誕生日って、双子なんだから貴方も誕生日でしょ、なんでそんなに他人事なのよ。……はぁ、双子なのになんでこんなに貴方たちは性格が違うのかしら……」


「まぁ、細かい事は良いではないかミーリス。二人とも良い子に育っておる、それだけで充分だ」


「う〜ん、まぁ……、そうなんだけどさぁ」


「そうそう! 僕達は良い子なんだから、細かい事は後にして皆んなでお肉たべよっ」


「はぁ〜、まったくこの子は……」


「そうだな、このまま話していたら飯が冷めてしまう。……話はここら辺にして食事に集中しよう」


「そうね……」


「うんうんっ、食べよ食べよー!」



 話すこと数分、シロたちはようやく食事を始めた。


   ◆



「はぁ〜、美味しかったねっ。もう僕、お腹いっぱいっ!」


 膨れ上がった自分のお腹を叩き、アキはそう言う。


「そうね、とっても美味しかったわ。ありがとうね、ミロ」


 母は、後ろにいる黒髪のメイド、“ミロ”にそう声をかける。


「──いえいえ、とんでもございません、私はただ奥様から頂いたレシピ通りに作っただけですので」


「ふふっ、そう謙遜しないで、そのレシピ通りに作るのが難しいのよ。私はよく失敗してお母様に怒られていたから……」


「そうだぞ、ミロ。昔、私がミーリスに同じ物を作ってもらったときは、硬くて食えたもんじゃなかったんだ──がッ!」 


 意気揚々と話す父の背中に、母の右拳が当たる。


「あなたはデリカシーが無いのよ! デリカシーがっ」


「うぅ、す、すまん……」


「──ふふっ。お父さんもお母さんも相変わらず仲良しだね、お兄ちゃん」


「……ふっ、そうだな。いつも通りだ」


 シロはそんなを両親を見て、アキと笑い合う。


「──アキ、シロ、なに二人して喋ってるの、早くお風呂に入って寝る準備しなさい。お母さんとお父さんはこれからお仕事の話があるから」


「はぁ〜いっ。──よしっ、じゃあ行こっ、お兄ちゃん」


「……そうだな」


 そうして、シロたちは浴室へと向かった。


   ◆



「ふぅー、さっぱりしたね。お兄ちゃん」


 浴室を出て、パジャマ姿となったアキが、隣で髪を拭きながら歩くシロに話しかける。


「……ああ」


 シロは持っていたタオルを首に掛け、そう返す。

 すると、アキは少し小走りになりシロの前に行き──。


「──さぁ、お兄ちゃん。お風呂も入ったし歯磨きもした所で、そろそろ寝室に行こっか!」


 こちらに振り返り、そう口にする。


「……んー、あぁ、その事なんだが。……その、言いづらいんだが、今年からは、一緒に寝るのは辞めにしないか?」


 シロが少し言い淀みながらそう言うと──。


「──えっ?」


 アキは足を止め、顔を青くしながら目を見開き、シロを見つめ固まった。


「……その、もう俺たちも10歳だ、あと5年もすれば学院に入学する事になる。……流石にそろそろアキも、あ〜、なんと言うか、その、……自立していった方が良いんじゃないかと思って、な」


 目を逸らし、言葉を濁しながらそう話す。


「えっ、そ、そんなっ。 僕たち、別に毎日一緒に寝てるわけじゃないじゃん! 誕生日はいっつも一緒に寝る約束だったでしょ! 僕、誕生日でこの瞬間を一番楽しみにしてたのに……」


 アキは俯き、目に涙を浮かべる。


「う〜ん、まぁ、そうなんだが……」


「……どうしても……だめ……?」


 うるうるとした瞳でアキはシロを見つめてきた。


「……はぁ、分かったよ。一緒に寝ようか」


「わぁーいっ!! やったぁ!! じゃあ、早く早くっ!」


 シロが折れると、さっきまでの涙はまるで嘘だったかのように、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ね、アキはこちらに向かって手招きする。



「……まったく」


  その姿に、思わずため息を吐き、寝室へと足を運んだ。


   ◆




「……ねぇ、お兄ちゃん。……起きてる?」


 ………………。 


「……ねぇ、……お兄ちゃん? 寝ちゃったの?」


 …………。


「……ねぇ、ねぇってば」


 ……。


「……──起きてるよ」


 シロは閉じていた目を開け、身体を起こし、枕元にある小さな灯りを付けた。


「もぉ、起きてるなら早く返事してよー」


 頬を膨らませ、アキは少しむっとした表情でこちらを見つめる。


「悪かったよ……。それで、どうした、……寝付けないのか?」


「……うん」


「──そうか、じゃあ、いつもの読むか……?」


「うんっ!」


 声を弾ませ、嬉しそうに頷いた。

 

 それを聞いたシロは本棚へ向かい、上から二段目の、少し色褪せた茶色の本を取ってベッドへ戻った。



「……よし。じゃあ、読むぞ」


 そして、隣で目を輝かせながらこちらを見てくるアキを横目に音読を始める。


「──ある平凡な村、そこで生まれ育った少年、ケビンは……」



 本の題名は『疾風の魔術師ケビン』。

 

 ある平凡な村で生まれ育った少年が、成り上がり、やがて強大な敵を討ち倒すと言う何十回、何百回と見た、ありふれた物語。

 

 正直、シロはこの本の何が面白いのかよく分からなかったが、アキは小さい頃からなぜかこの本が好きで、昔からよく、読んであげていた。

 

 そして、今も寝付けない時はたまにこうして読んであげている。



「──っと、そこでケビンは……」


「くぅ……くぅ……」


 本も終盤に差し掛かった頃、横にいるアキを見ると、いつの間にか目を閉じ、寝息を立てていた。


「……なんだ、寝ちゃったか」


 本を枕元に置き、アキに毛布をかけ、灯を消す。



「──じゃあ、おやすみ……アキ」


 そして、目を閉じ──。

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