ep17 真夜中の密会
「あっ♡やんっ……はぁっ♡……そ、こはだめぇ♡……っあ♡」
あられもない痴情の喘ぎが、夜の飛竜騎士団宿舎に響き渡っている。
「……はっ、あんだけ昼間は生意気言っておいて。夜は随分と素直じゃねーか。俺のがそんなに気持ちいいのか?」
ハーシュは今宵も絶好調のようだ。
相手はまぁ、間違いなく。あの天馬騎士の美青年だろう。
「やっ、ちがっ……あっ♡……んっ……イッちゃぅ……あぁっ♡……やっ、あん♡……ふあぁっ♡」
夜番の竜騎士などが寝泊まりで利用する宿舎では、こういったことはまぁ珍しくない。俺も常習犯だった。
いつもなら、これだけ盛大にやらかせば翌朝お叱りを受けるのだが、おそらく今回のハーシュはお咎めなしだろう。
ルーフェウス天馬騎士はクラウス副団長が仕留め、美青年天馬騎士はハーシュが仕留めた。
この響く喘ぎ声は、言うなれば飛竜騎士団完全勝利のお知らせ、というやつなのだ。
とはいえ。
流石にやり過ぎではないでしょうか、ハーシュさん……
しばらく終わる気配なし。ハーシュはノリノリだ。多分あと数ラウンドはやる。絶対やれる。
まるで眠れないし、俺には他人の喘ぎ声をオカズにする趣味はない。
彼らの公開プレイが終わるまで、夜の見回りに出ることにした。
+++++
夜になると息は真っ白に空気を霞ませ、凍てつく空気が身体を刺す。
俺はぶるりと肩を震わせながら、手燭を片手に辺境伯城周辺和睦を巡回していた。
飛竜の厩舎と訓練場を回り、閉ざされた城門を確認して裏手から城内へ。いつもの巡回コースを黙々と歩いていく。
手元の懐中時計に目をやると、もうすぐ深夜2時を回ろうとしていた。
今日の合同模擬演習は滞りなく終了した。
その後の親睦会もルーフェウスがクラウス副団長の命令、ではなく提案を何でも呑んでくれるため、それはそれは平和に幕を閉じた。
明日はバルツ聖国一行の滞在3日目。
昼頃には彼らは帰路に発つだろう。
しんと静まり返った玄関ポーチを通過し、一階廊下をぐるりと回る。月夜に照らされる中庭沿いへ。
中庭の窓から見える樹木にはまだわずかに葉が残っていた。
これらがすべて散った頃、スノーヴィアには本格的な冬が訪れる。美しくも過酷な銀世界だ。
冬支度のことをぼんやり考えながら、俺は中庭を眺め、廊下に視線をもどす。
——ふと。
視界を掠めた違和感に気づき、中庭を二度見した。
月が照らす中庭の中央。
青白く輝く人影が佇んでいる。
俺は内心驚きつつ、中庭の人影を凝視する。
そしてその人影がよく知る者の姿であることに気づき、さらに驚いた。
……メルロロッティ嬢だ。
寝巻き姿で、あんな場所で。何をしているんだ?
俺は彼女に声をかけるため、足早に中庭への入口へ向かう。少し開いたままの扉から中庭へ足を踏み入れようとした、その時。
「……ねえ、触れてもいい?」
メルロロッティ嬢が静かにそう言った。
俺は思わず手燭を吹き消し、廊下の柱に身を潜めた。
先程は樹木の陰で気づかなかった。
メルロロッティ嬢の恍惚とした視線の先。
もうひとり、中庭に誰かいる……!
不審人物ではないだろう。
メルロロッティ嬢の視線と言葉が、そうではないことを告げている。
誰なんだ?
こんな時間に、こんな場所で。メルロロッティ嬢と密会してるのは。
俺が思い当たったのは、ひとりだけだ。
そう、例の想い人。
その姿を確認しようと、俺は身を捻り柱から覗き見た。
——その瞬間。
後ろから不意に伸びた手に、目と口を塞がれた。
強く迷いのない力に、俺の体は薄暗い廊下へと引きづり込まれる。
反射的に肘で相手の溝落ちを殴り、足を蹴るも、相手はびくともしない。
誰だ……!?
目と口を塞がれて、顔も見えない。
混乱しながらも考えを巡らせ、走馬灯のようにハーシュの言葉が俺の脳裏を掠めた。
——誰に狙われてる?
サンドレア王国からの帰路で遭遇した、俺を探していた者。
——人間とは思えない、闇に潜む者。
……まさか今。
このタイミングで!?
俺はぞわりと血の気が引き、身の危険を感じる。
幸い、手の自由はある。
テールコートに潜ませている護身用のナイフを取り出し、俺は本気で殺すつもりで相手の喉元に切りつけた。
手応えは、浅い。
相手は瞬時に後ろに退き、俺のナイフを回避したようだった。
おそらくは、掠めただけだ。
そして、仰け反った隙をついて距離を離そうとするが、俺より相手の方が動くのが速かった。
ぐわっと伸びた大きな腕にナイフを持つ手を掴まれ、ぐるりと体ごと振り回されて、壁に叩きつけられる。
「っか、はっ……!」
壁に体をぶつけられた衝撃で肺が潰れ、呻き声が漏れる。
負けじと俺が大声で人を呼ぼうと、短く息を吸った瞬間。
相手がぐんとこちらに体を寄せてきた。
「静かに」
その言葉とともに、叫ぼうとした俺の口を塞いだのは、温かく柔らかいもの。
口に押し当てられたものと、相手の正体に気づいた俺は、目を見開いて動きを止めた。
目の前には、イージス。
俺の両手を掴み、口に押し当てられたのは彼の唇だった。
その唇の重ね方はキスというには程遠い。
力強く押し当てられ、歯が食い込んでいる。
息ができないし、痛い。
その行為と相手に硬直してしまった俺は、暴れることを止め、手の力を緩めた。
しかし、イージスは力を緩めない。
壁に強く押しつけられ、両手を掴まれたまま、口を塞がれる行為は続く。
…………長い、長すぎる……
…………苦しくなってきた……
俺は手のひらでぺちぺちとイージスの掴む腕を叩き、離せと促す。
すると、ようやく俺が大人しくなったことに気づいたのか、イージスは慌てたように手の力を緩め、唇を離した。
「す、すすす、すみません!グレイ殿が、思っていた以上に暴れるので、他に口を塞ぐものがなく……」
いつものイージスだ。首まで真っ赤になってテンパっている。
ただし、とにかく声を潜めて。
何か事情がありそうだが、今の状況では何もわからない。
「……とりあえず場所、変えましょうか」
イージスにあわせ、俺も声を潜めてそう言った。
+++++
「……あ、あの。だ、大丈夫です、本当に。大丈夫ですので。グレイ殿が……そ、そんなことなさらなくても……!」
イージスは相変わらず目が合う度に赤面しながら、俺と貴賓室の天井を交互に見ては狼狽えていた。
イージスはソファに座った状態、俺は彼の足の間で膝立ちした状態。
身体が触れそうで触れない、ギリギリの距離だ。
「傷が開くので、今は黙っててください」
俺はそう言って、イージスの首の傷を止血していた。
俺がナイフで切りつけたそこは、傷は浅いが鮮やかな血が滲んでいる。
俺は応急箱を持ち込み、イージスの首の手当てをしているのだ。
ようやく流血が止まったので、軟膏を指にとり首の傷口に塗る。
「……ん」
軟膏が染みたのか、俺の指に反応したのか。イージスは耳まで真っ赤にしたまま、艶っぽい呻き声を漏らす。
誘ってるのか、おい。
しばらく、イージスの何かを我慢する呻き声だけが響き、静かな傷の処置が続いた。
処置が終わり俺がイージスから離れると、小さな声で「ありがとうございます」と顔を赤らめたままイージスは礼を言った。
そして俺が応急箱を片付け終わるのを無言で見届け、終わると同時にイージスは本題を切り出した。
「グレイ殿は、その。中庭で……ご覧になりましたか?」
俺はその問いに淡々と答える。
「お嬢様と一緒にいたのは、あなたの護衛騎士でしたね」
そう。
イージスに目を塞がれる寸前、俺にも見えていた。
メルロロッティ嬢の視線の先。
銀の兜をとっていたので一瞬誰なのかわからなかったが、あれは間違いなく、イージスの傍にいた護衛の女天馬騎士だった。
確証はなかったが、今は確信している。
本来この場にいるべき、その護衛騎士はここにはいない。
そして。
イージスがああまでして、俺をあの場から遠ざけようとした理由も、もうわかっている。
「あの護衛騎士は……」
俺がそう続けると、イージスは立ちあがろうとした俺の肩を強く掴んだ。
「どうか、どうかご内密に!先程のことは他言無用でお願いしたいのです!」
イージスは懇願するように憂いた瞳を俺に向けてきた。
その必死な姿で、さらに憶測は確信に変わる。
「……やはり。あの方がエルメスタ女王陛下なのですね」
イージスは俺の肩を掴んだまま、静かに頷いた。
「女王陛下はバルツ聖国内においても、人前に出ることはないのです。故に特使として編成された天馬騎士団でさえ、そのお顔を知りません」
静かにイージスは言葉を続けるが、その顔には動揺が滲み出ている。
「だというのに。正体を知られたことはおろか、あのお姿さえ見られてしまうとは。メルロロッティ様のみならず、グレイ殿にまで。あぁっ私がいながら何という失態を……!」
イージスはひとりで悶絶しはじめた。
『あのお姿』
確かに『アレ』は人前に軽率に出すべきものではなかった。
それは俺にもわかる。
「……イージス様。私が見た『アレ』は、バルツ聖国の女王陛下が皆持っているものなのですか?」
「これまでの歴代女王も幾人かはおられました」
「彼女が女王陛下に選ばれた理由ということですか?」
「そうなります。女王陛下は神獣様と同様に神格化されるべき御人なので……」
なるほどね。
確かに他国の俺などからしたら『アレ』は物珍しさでしかないが、バルツ聖国の人々からすれば、圧倒的信仰対象になるのだろう。
「わかりました。他言無用としましょう。そもそも、私はしがない従者の身。どのようなことも固く口を閉ざし、然るべき役目を果たすのが使命ですから」
俺がそう言うと、ぱぁっと明るい表情で顔をあげるイージス。
安堵したのか、ようやく気づいたようだ。ずっと俺の肩を掴んで至近距離で会話をしていたことに。
ハッとしたイージスは、再び首まで真っ赤にして「うわぁっ!」と叫んで、両の手を大袈裟に放す。
ソファへと後退りして、イージスは再び俺から視線を逸らし俯いた。
そして流れる絶妙な沈黙。
……うん。もういいでしょ、コレは。
「ただ、口止め料といっては難ですが。イージス様に教えて頂きたいことがあります」
俺は平坦な口調でソファに座るイージスに近づき、見下ろす。
「な、なんでしょうか?」
頑なに俺と視線を交わさないイージス。
俺はずいとソファへ片足をつき、身を乗り出す。イージスは慌ててさらに後方へ仰け反るが、俺は膝を進めぐいぐいとイージスを攻め立てる。
そして、長いソファに俺がイージスを押し倒したような体制となった。
もう視線を外せないほどの至近距離だ。
イージスは目を丸くしたまま、目の前の俺に釘付けになっている。
「イージス様が私を見る目に、何か特別な想いを感じるのは……私の思い違いですか?」
少し熱っぽい口調で俺は囁くように尋ねた。
イージスは赤面したまま動揺に視線を泳がせ、何とか言葉を搾りだす。
「そ、そそ、それは。その、理由があって……」
「どのような理由ですか?」
「グ、グレイ殿の、その瞳と髪が。……あ、いや。な、何でもないです……」
「私の瞳と髪が何なのですか?教えてください」
なんだろうか。昔の恋人に似てる、的な?
ここまできたら、気になるじゃん。
イージスは再び口を閉ざした。黙秘権を行使するらしい。
……ただでは口を割らないのであれば。
いいだろう、イージス。
俺は最終手段に出ることにした。
「イージス様。私だってあなたのその戸惑いを孕んだ視線にいつも心乱されているのですよ」
そう言って、指先でつぅと触れた。
先程からずっと昂り続けている、イージスの腰の一物に。
「……イージス様のここ、すごく苦しそうですね」
「!!?グレイ殿!?こ、こここれは、その……、あの……っ!」
イージスは自分の昂りを知られていたこと、俺に指先で撫でられたことに、完全に気が動転していた。
気づいていないとでも思っていたのか?
甘いなイージス。
俺は普段から、人の顔色より先にこちらをチェックするようにしてるんだ。
てか。
…………でっか。
俺は気が動転して思考停止しているイージスを眺めながら、何となくそれの形をゆるゆると指でなぞっているのだが、めちゃくちゃご立派。
え、からかうつもりだけだったけど。
これは、ちょーっと。
いただいちゃっていいですかね……♡
イージスは完全に固まってしまったようなので、俺は問答無用でことをはじめようかとイージスの服に手をかけた、その時。
「その問いには私が答えよう」
貴賓室の扉が勢いよく開かれ、入ってきた者がそう告げた。
振り返ると、イージスの護衛騎士……姿のエルメスタ女王が佇んでいた。
その後ろには、メルロロッティ嬢。
「やぁ、改めてはじめまして。ご令嬢の従者殿。とても良い瞳と髪の色をしているな」
エルメスタ女王はイージスを押し倒したままの俺に気軽に挨拶した。
「エルメスタ様!?なんてことを……兜をお被りにならずにお姿を見せるなど……!」
イージスはエルメスタ女王の姿を見て我に帰ったのか、今度は顔を真っ青にして震えながら言った。
赤になったり青になったり、イージスは大変そうだな。
「すでに一度見られたんだ。もう構わんだろう」
そうエルメスタ女王が言うと、ピョコンと跳ねた。
何が、ピョコンと跳ねたかって?
もちろん『アレ』だ。
頭から生えている2本の大きな耳。
エルメスタ女王には天馬とよく似た白く輝く耳、そして中庭で見た時には気づかなかったが、見事な毛並みの尻尾まで生えていた。
それらは今、上機嫌に揺れている。
「グレイ。以前も言ったはずよ、賓客を夜這うなと」
そんなエルメスタ女王の隣で、メルロロッティ嬢が突き刺すような視線を俺に向ける。
吐き捨てられた言葉に俺の下心はなりを潜め、イージスの上からそそくさと降りた。
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