竜を愛する悪役令嬢と、転生従者の謀りゴト
しゃもじ
ep1 流行りの婚約破棄は好きですか?
「婚約破棄をここで宣言する!」
最近すっかり聴き慣れた言葉『婚約破棄』
今月に入って何回目だろうか、これを聞くのは。
若者貴族たちの間で一大ブームと化した婚約破棄のせいで、サンドレア王国の貴族社会は混沌と化している。
大規模な夜会が催されるたび、どこぞの令息令嬢が運命的な熱愛の顛末を披露した末、無責任にも婚約破棄を宣言するのだ。
ちなみに婚約破棄された側にも、その後新たなロマンスが待ち受けているのがお作法。
下級・中級貴族を中心に軽やかなノリで婚約しては婚約破棄し、歪んだロマンスが繰り広げられている。
その宣言が聞こえると同時に、俺は自分の腰を抱き込んでいる男の腕にそっと触れ、首筋へのキスをやめるよう促した。
「主人のもとへ行く」
そう言って相手の耳元に唇を寄せる。
「……続きは今度。また夜会で出会えたら」
俺が吐息とともにそう囁くと、男は名残惜しそうに頬にキスをし、俺を解放してくれた。
毛先に癖のある灰色の髪を整え襟元を正し、白手袋をはめフレームの細い眼鏡を掛け直す。
眼鏡の奥の瞳は、髪と同じ何色にも寄らない灰色。
何事もなかったかのように、俺は人気のない廊下を後にした。
相手の男も同じように崩れた身なりを整えると、違う方向へと足早に去っていく。
俺たちは互いに黒い光沢のあるすらりとしたテールコートを着用している。
令息令嬢につき従う、従者の装いだ。
夜会に参加していた令嬢が婚約破棄の宣言を受け、顔面を蒼白にしつつ何かを金切り声で訴えはじめた。
そろそろこの優雅かつ残酷な夜会はお開きとなる。
横取りに成功したご令嬢、性格の悪さがほくそ笑みに滲み出てるな。
傷心の令嬢へ声をかける準備万端の令息たちもソワソワしはじめてる。
若者たちの愛憎劇を横目に眺めながら、俺は自らの役目を果たすべく、舞踏ホールの壁際へと足早にむかった。
俺の向かう先の壁に一輪の花が佇んでいる。
露出は控えめな藍色のドレス。
象牙のように白い肌に丁寧に結いあげた銀の髪は、大陸北方の出身者に多くみられる色だ。
少し吊った淡い翠色の瞳は、今は静かに床へと向けられ、周囲の男たちにも目の前で繰り広げられる愛憎劇にも興味はなさそうだ。
俺に気づいたのか、床に向けられていた視線がすっと上がった。その鋭く強さのある視線に、周囲の男たちはたじろぐ。
「メルロロッティお嬢様、お迎えにあがりました。そろそろ帰りのお時間です」
誰に話しかけられようと一歩も動かなかったメルロロッティ嬢は「迎えがきましたので」と淡々と言うと、周囲を見向きもせず素通りし、迷いのない足取りで俺の前も通り過ぎる。
俺は一礼してその場を後にし、主人のあとにつき従った。
メルロロッティ嬢は静かな足音ながら、歩く速度はジョギング並みに速い。不機嫌な時の歩行速度だ。
会場のポーチに早めに手配した馬車は、メルロロッティ嬢の猛スピードに追いつくよう調整されており、ポーチ中央に馬車が止まるのと彼女が到着するのはほぼ同時だった。
それまで後ろに控えていた俺は、主人が馬車に乗り込むタイミングで前方へ回り込み、手を差し伸べ頭を下げる。
ノンストップで歩くメルロロッティ嬢は、そのまま速度を緩めず乗り込むかと思いきや、立ち止まると俺の手を扇子で払いのけた。
「来るのが遅いわ、グレイ」
視線もむけずに憮然とした横顔で咎められる。
俺が息を呑むのと同時に、無慈悲に馬車の扉は閉められた。
ふだんは共に馬車に乗り込むのだが、今日は乗せてもらえなかったので、適当な馬車の装飾具に捕まり後輪フレームに片足で立つ俺。
馬車の窓から伺えるメルロロッティ嬢の後ろ姿からは、顔を見ずとも不機嫌この上ないことが伝わってきた。
彼女はこの『婚約破棄』という流行が嫌いなのだ。
己の立場を顧みない無責任な当事者たちも、それを楽しげに観劇する連中も軽蔑対象。
愛憎劇など観劇せずさっさと帰りたいのに、来るはずの従者は闇に紛れて一時の逢瀬をお楽しみ中。
迎えが遅れたのも不機嫌に拍車を掛けた。
本格的な冬の訪れを感じる晩秋。駆ける馬車で受ける夜風はつんと冷える。
今宵も俺のご主人様はこの夜風すら生ぬるさを感じるほど、クールな振舞いで夜会を後にした。
俺は冷えた鼻を啜りながら、棘のある言葉と麗しい横顔の余韻に浸っていた。
+++++
悲劇に見舞われた夜会後。
俺とその主人であるメルロロッティ嬢の帰宅先は、実家であるスノーヴィア辺境伯領ではなく、王都の貴族地区にある別宅として建てられた屋敷となる。
屋敷はさほど大きくはないが、その荘厳さは貴族地区の中でも随一だ。
サンドレア王国の軍事力の要となる飛竜騎士団率いるスノーヴィア家。
精巧な石造りを基盤とした、重厚かつ堅牢な屋敷がそれを物語っている。
他の屋敷より群を抜いて高さがあるのは、屋敷の屋上に飛竜の厩舎がある構造のためだ。
屋上には飛竜を繋ぐための逞しい柱が聳り立っている。
馬車の中でメルロロッティ嬢の怒りは鎮まったのか、降車の際に再び俺が手を差し伸べると、ようやくこちらを一瞥した。
真冬のスノーヴィア領並の凍てつく視線だ。
たまらん♡
馬車を降り玄関を抜け、侍女たちにコートを預けるメルロロッティ嬢の足取りは、静かで穏やかなものになっていた。
……たぶん声をかけても大丈夫だろう。
「お嬢様、今宵はお迎えが遅れ申し訳ございませんでした。夜会では軽食をとられなかったでしょう。お夜食を準備しても?」
夜会中メルロロッティ嬢は誰とも話さないし、踊らない。
夜会に参加するのは「社会経験をつんでおきなよ~」という辺境伯からの緩いお達しを律儀に守っているのと、断り続けるのもまた億劫だからだ。
本当は食べることが大好きで、夜会スイーツなど目が輝くほどの大好物なのだが、いつも毅然と我慢している。
いじらしい限りだ。
「……サンドイッチが食べたい」
案の定お腹を空かせていたようで一言だけそう言うと、メルロロッティ嬢は侍女たちと浴室へ行ってしまった。
さて。
空腹の麗しきご令嬢のため、俺は厨房でサンドイッチと温かい紅茶の準備をしなくては。
「グレイ、これから彼女はどうなるの?」
メルロロッティ嬢の入浴後。
さっぱりした様子で一息つきつつ、メルロロッティ嬢は俺に尋ねてきた。
『彼女』とは今夜の夜会で婚約破棄されたご令嬢のことだ。
俺は果肉を浮かべた果実水をメルロロッティ嬢に手渡す。彼女はそれを静かに飲みながら、俺の話を待っている。
「おそらくは穏健派閥の男爵家からアプローチがあるでしょう。彼女の家は中立派閥ですからね」
メルロロッティ嬢は果実水を半分ほど飲み干し、静かに机に置いた。
俺は再度果実水を注ぐ。
「男爵家のご令息はすでに婚約しておりますが、彼もまたどこぞの夜会で婚約破棄を宣言するのではないかと」
メルロロッティ嬢はおかわりの果実水を飲みながら、黙って聞いている。
「今夜男爵家に仕える従者と……まぁ、その。話す機会があったのですが。ご令息の婚約も婚約破棄も父君である男爵の意向で決められているのだとか」
「……運命の相手と謳っていても、婚約もその破棄も最初から仕組まれているのね」
メルロロッティ嬢は果実水に視線を落としながら、そう呟いた。
彼女は喉が潤えばサンドイッチに手をつけはじめる。
小皿にとりわけ手渡すと、少し顔を緩めた。
「サンドレア王国は派閥対立が悪化の一途を辿っています。戦局を変えたくば『婚約破棄』という流行は都合がよく、御し易いのでしょう」
俺はそう言いながら、今度は紅茶の準備をはじめる。
「とはいえ流行など一時の熱。まもなく終わりを迎えますよ」
「私もそう思うわ」
メルロロッティ嬢がサンドイッチをひとつ頬ばり終えたので、紅茶を手渡す。
彼女は美しい所作で受け取り、音を立てず紅茶を飲んだ。
完璧な淑女の所作だ。
「……流行に終止符を打つのは、王太子が行う婚約破棄なのでしょうね」
そう続けたメルロロッティ嬢に、俺は何も言わずに次のサンドイッチを手渡した。
いつもならすぐ手にとるが、彼女は受け取らない。
もう一度紅茶を一口飲み、その温かさと香りを堪能すると、メルロロッティ嬢は静かにこちらを見上げ、こう続けた。
「グレイ。王太子と私の婚約破棄は明日の茶会で間違いないの?」
俺は受け取られなかったサンドイッチを皿にもどし、正直に答える。
「間違いありません」
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