JKとST

 教室に忘れ物をしたことに気づき、光莉は4組に向かう。

 誰もいないかと思いきや、赤いジャージ姿をした一人の生徒が窓を磨いていた。

「唯菜?」

「あ、光莉先生!」

 快活な返事とともに、園生そのうゆいは雑巾を持ったままスッと姿勢を正す。

 彼女は生徒会役員を務め、成績優秀で部活動にも精力的な生徒。これだけで人柄が伝えられそうだ。

 ルックスも申し分ない。四月、光莉が教科担当として初めて4組の扉を開けた瞬間、かつての女性客の会話が想起された。


「伝統ある女子校には浮世離れした美人がいる、という都市伝説があるのよ」 


 曰く、そこにはごく稀に桁違いの美人がいるとのこと。

 透明感に満ちたその美しさは、透き通るような白い肌や整った顔立ち、窓から入る微風が戯れても絵になる艶やかな髪、制服やジャージを正しく着ても隠しきれない起伏に富んだスタイルを兼ね備えるだけでなく、見る者の心を奪う眩いオーラも放っているのだとか。

 それは異性と接する機会をもたず女子教育の下ですくすくと育ったときにのみまとわれる高純度の品格。

 美人かつそのような環境にしか存在しないから今では都市伝説なの、と彼女は言った。

 そのような女性が実在するのなら、目の前の美少女はそれに近いかもしれない。

 光莉は夜の街で洗練された数多くの女性を目にしてきたが、彼女は天然に美しい。

 教師として口にできないが、不覚にも一瞬で目を奪われた生徒だった。

 しかし、どこか不自然さがある。何度か見ているうちに感じたことだ。

 彼女は華があるのに、華を出そうとしない。

 窮屈に思えるほど慎ましやかなのだ。

 孤立しているわけではない。

 友人の輪の中にはいるが、一歩下がったところに意図的にいる。

 心を開放すれば人々を惹きつけてまない存在なのに、ガラスのようなバリアを張って他者との距離感を保っている。

 ガラスの正体はなんなのか。周囲には素材の輝きを増長するクリスタルに見えても、光莉には無色透明には見えない。

「あ、脱ぎ散らかしてすみません! 思った以上に汗をかいてしまって」

 慌てて制服をしまう唯菜に配慮するように光莉はさっと目を逸らすが、Yシャツだけでなくスカートも濡れているのが視界に入る。何かあったのだろうか。

 ともあれ、今はチャンス。

 信頼関係を築くのが相互理解を深める最短ルートであることに違いはない。

 光莉は目尻を細めて穏やかなトーンで近づく。

「気が利くんだね」

 課外活動の合間を縫って、ジャージに着替えてまで清掃している。

 それは今日だけじゃない。教室を綺麗にする妖精の正体が光莉はようやくわかった。

 褒められた唯菜だが特に照れることなく、今度はT字型の箒で床を掃き始める。

「それは光莉先生の方ですよ」

「え?」

「急に担任を任せられるというのは、そういうことなのかと」

 およそ生徒らしからぬ発言に光莉は一瞬目を丸くするが、彼女の陰ながらの行動を思えば不思議なことではない。問いかけには曖昧に微笑んだ。

上辺うわべだけの優しさに聞こえたか。なかなか手強いな。やり方を変えてみるか)

 光莉は清掃用具の入ったロッカーからもう一本、T字の箒を取り出してカシュカシュと音を立てながら一緒に床を掃く。

「生徒会役員なんだっけ?」

「あ……今日は部活です。軽音楽部なんですけど、今は他のバンドが練習してるので」

 一瞬の間が気になったが、今は話を膨らませることを優先させる。

「唯菜は何担当? あ、待って。当ててみる」

「うーん、当たるかなぁ」

「この心眼に見えないものなどないが?」

 挑発的な言い方に、唯菜はピクリと眉を動かす。

「大した自信ですね。そのプライドを保つためにも特別にヒントを差し上げましょう」

 どうやら唯菜にもやる気スイッチが入ったようだ。ふふんと得意げな顔で箒を斜めに持って楽器に見立て、鼻歌交じりに演奏を始める。

(おいおい、美人で無邪気とか反則だろ)

 光莉はそう思うも、負けじとホストモードに切り替えて一気にテンションを上げる。

「フッ、上等な引っかけ問題だな。だが、俺を甘く見るな」

「?」

「ギターと見せかけてベースだ! 俺はわずかな動作も逃さない。右手はげんき鳴らすのではなく、押さえている。それが何よりの証拠!」

「ブブー。正解はショルダーキーボードでーす」

「おい! それ絶っ対わかんないやつ! なけなしのプライド傷ついちゃったよ!?」

「アハハハ」

「ズ、ズルいぞ! 基本はキーボードってことじゃん! だったらこうだろ~♪」

 光莉は器用に左手で箒を床と平行になるように持ち上げ、右手を走らせてドレミファの音階を歌う。気分は音楽の先生なのだが、

「意外と音痴ですね」

「ゴフッ!」

 痛恨の一撃を受けて、目にうっすらと涙を溜める。

 だが、熱唱した甲斐はあったようだ。

 ノリノリな彼を見て唯菜も面白くなったのか、同じように箒を持ってドレミファを歌い、さらにはドシラソでリバースまでする。

「そういうときも~♪ あるんです、ふふ~♪」

「なっ、なんという美声!? しかも、ふふ~♪ が単なる字余りではなく、歌詞として見事に調和されている! ぐぬう~、男の俺ではマネできない領域」

通販番組の司会者さながら大仰に盛り上げる光莉。いったい何を買わせるつもりやら。

「わかっていますね女心♡ そうです。ふふ~♪が似合う年頃なのです」

 箒を鍵盤に見立て、指を滑らせて決めポーズ。相手も爆買いモードだった。

(本来はこんなにも明るい子なのか? これほどのものは教室で見たことないが)

 一戦を交えて、夕暮れの教室で称え合い見つめ合う二人。

 しかし、そこに漂うのは愛でなく、お前やるな、お前もな、という視線の正面衝突。

「ノリのいい奴、嫌いじゃないぜ。じゃあ、俺もそろそろ本気出しちゃおっかなぁー」 

 ここがホストクラブとは対極に位置することを忘れていなかろうか。これでは生徒目線をもった教師というより、生徒二人が戯れているようにしか見えない。

「フフ。私、まだまだアゲられますよ?」

 どうも唯菜にも負けず嫌いな一面があるようだ。

 光莉はニヤリと笑い、今度は箒をギターに見立てて斜めに持ち直し、片足を椅子に乗せてジャジャーンと掻き鳴らす。

「アリーナ席、スタンド席、聴こえているかぁ!」

 聴こえていない。聴こえるわけがない。そこには誰もいない。

「イエーイ! 武道館が揺れているぜい!」

 だが、彼女も彼女だ。

 二人には満員御礼に見えているらしい。

「これからみんなに捧げる曲は、JKとSTの即興コラボ」

「ST? あっ、スーパーティーチャー!」

「新米ティーチャーだが?」

「そこは謙虚なんだ!?」

「さあ~て、そんな対極的な二人が奏でるジャムセッションは、わりと世界初の試み!」

「微妙な言い回しですね」

「それじゃあ聴いてくれ! タイトルはセルフコントロール」

「お? なんか格好いい」

 光莉はジャンジャカジャンジャカ~♪と前奏を歌う。アップテンポの曲らしい。

「リッスンベイベー! 教科書なんていらないぜ 俺のレッスン!」

「オーライ、ST! ワッチャガンナドゥ!?」

 唯菜も参戦。

 さらりと伸びたセミロングの黒茶髪が乱れても構うことなく応酬する。

「アイルテルユーベイベー! 理想の男性ヒーローの二つの条件を!」

「なにそれ、ST!? もったいぶらずにテルミーモアー!」

「ナンバーワン エネルギッシュであることさ!」

「アイシー、生きるパワーは大事だね!」

「ナンバーツー セルフコントロール!」

「オッケー、何をセルフコントロールするのさ?」

「知りたきゃ、もっとシャウトしろっ!」

「知りたい! 知りたいっ! テルミーモアー!!」

「性欲をセルフコントロールするのさーーーーっ!」

「…………」

 唯菜は箒をポロリと落とす。演奏は休止した。

「ち、ちょっと意味不明なんですけど!?」

 担任の一寸の恥じらいもないエロシャウトに、唯菜は赤面して抗議する。

一見いっけんそう思うだろ? しかし、紛れもないこの世の真理! エネルギッシュな男は人生の成功に貪欲だ。そんな奴とともに歩めば、さぞかし楽しいことだろう」

 光莉は音を止めようとしない。

 唯菜のギターを拾い上げ、俺についてこい、とスローテンポでシンプルにコードを弾き語る。あくまでもそういう風にだが。 

「ま、まぁ、それは一理ありますね」

 唯菜は半ばほうけながらも、光莉にコードを合わせる。あくまでもそういう風にだが。

「けれど、そういう奴はてしてモテる。そして多くが女性関係にだらしない」

「た、たしかに。だとしたら――」

「エネルギッシュだが性欲をセルフコントロールできる男こそスーパーヒーローさ!」

「み、妙に説得力がある。品はないけど」

「考えてみ。アニメやドラマの善人系主人公はきまってそうだろ? 大活躍するが、途中で様々な誘惑に駆られる。しかしその都度性欲を制御し、なんだかんだ一途だ」

「そうかもしれないけど、聞きたくなかったー。うん? すると、現実にはいない?」

「そんなこともない。希少だがいる。例えば、俺」

「うわぁ、自分で言っちゃったよこの人」

「フッ、教師たる者、有言実行さ。まぁ、善人とは言い難いがな」

「なるほどわかりました。ただ、あまり力説しない方がいいのでは?」

「えっ、なんで? シンプルかつ凝縮された幸福の秘訣だぞ?」

「的は射ていますが、人生の良きパートナーを探す秘訣みたいで早過ぎません? 経験に基づいた恋愛観の浅い私たちに、飲み屋の席みたいに熱く語って心に良く響きます?」

「ハッ! し、しまったぁ。失念してたぁ……」

 そう。ここはホストクラブではない。つい前職のノリが出てしまう。

 光莉は肩を落としてポロロ~ンと鳴らすと、そのまま箒をポロリと落とした。

 それでも、唯菜はセッションを十分に楽しんだようだ。

 現に、彼女は音を止めようとしない。

 光莉のギターを拾い上げ、私についてきて、とロックに掻き鳴らす。

「オーライ、ST! 純真無垢な女心 女子で一から学び直して♪」

「ガティッ! バットゥ トゥラストゥミー! 俺という男子校で男心を――」

 ピンポンパンポーン♪

『狭間光莉先生二十六歳、遊んでないで保健室までお越しください』

「どわーっ! どんな呼び出しだよ!?」

「アハハハ!」

 見えない敵なる校内放送で呼び出され、光莉は罰の悪い顔で教室から負け逃げした。

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