おもてなし

「生徒会の子たちに指示を出したら、小会議室に向かいますね」

 二人で職員室に戻るも、今年度から生徒会顧問になった澄はすぐに生徒会室に向かう。

 光莉と澄のデスクは隣だが、澄が指導係を命じられてからはよくそこで話をする。

 提案したのは澄。彼女とて職歴は浅く、ベテランの先生に会話をチェックされたくない。

 光莉は一足先に小会議室に向かう。

 ここはテーブル一つと椅子が四つあるだけのシンプルな小部屋。

 主に少数の教師で打ち合わせをする所として使われる。

 隣接する給湯室で支度を済ませ、再び部屋に戻ってテーブルを拭き、確認を終えると椅子に深くもたれ、シルクのネクタイを緩ませた。

 ひとまず一日の仕事が終わった。

 教師にとって帰りのホームルームは一日の区切りを意味する。

 この後も教員事務、教材研究、担任業務など山積みだが、生徒と過ごす時間に比べれば幾分マイペースに行える。

 それもこれも澄の親身なサポートあってのこと。

 彼女は職場の先輩なのに、年下だからか敬語で接してくる。

 気持ちが高ぶると忘れるしポンコツにもなるが、それはそれで学生時代の先輩後輩の間柄みたいで心地良い。

 目を閉じて、ここ数カ月の劇的な生活の変化を思った。

 彼は教職業など想像することもなく、影斗えいとという源氏名でホストクラブ「ファビュラス」で働いていたが、ある日代表が交代し、突然解雇された。

 こういったことは珍しくない業界ではあるが、大手クラブのナンバー1ホストのクビは業界を震撼させた。

 同時に、影斗はどこのホストクラブに移籍するのか様々な憶測が飛び交った。

 しかし、彼は業界を離れた。

 クビを宣告された瞬間はさすがに驚いたが、一方で抗う気も起こらなかった。

 そろそろ潮時と感じていたからだ。

 ホストの平均年齢は二十代前半。二十六歳の光莉は年齢的には旬を過ぎていた。

 中には三十代四十代のホストもいるし、幹部に選ばれて生涯の生業とする者もいる。

 だが、生き馬の目を抜くような業界で生き残れる保証はなく、もとより執着する気もなかった。

 いつかは離れて安定した仕事に就かなければ。稼ぎ頭でありつつも心の片隅にそんな思いを抱いていた。

 とはいえ、急に職を奪われてどのように生きていけばいいのか。

 水商売にどっぷり浸かった自分を受け入れてくれる所などあるのか。

 自由の中に未来を見出せなかった。

 とりあえず、一般人の生活サイクルに戻すことから始めた。

 太陽は西から昇り東に沈む。

 業界でそんな冗談をよく耳にしたものだが、実際に東から昇る太陽で就寝、ではなく起床できるようになるのには一カ月を要した。

 その後、職安など求人案内所を訪れるも、勧められるのはサービス業ばかり。

 職歴がホストだから当然の流れだが、接客業や営業ノルマに追われる仕事はもうしたくなかった。

 ならば何か資格を取ってみようかと考えた……のだが、そこでふと思い出した。

 そういえば一つ持っている。

 大学時代に英語の教員免許を取っていたのだ。

 今は教員のなり手不足というのは本当らしく、すぐに求人を見つけた。現在の職場である。

 それでも、即採用というわけにはいかない。

 免許は出願資格に過ぎず、採用試験に合格しないと教師にはなれない。むしろそこからが大変だった。

 久しぶりに英語の本を読み漁り、朝昼は大学受験さながらに猛勉強。

 夕方から英会話教室でレッスンを集中受講し、その後は六本木の外国人の集まるクラブへ寄り道し、夕食がてら実践形式の復習。

 実に彼らしいやり方で英語力を上げ、採用試験に合格した。

 こうして四月から着任するも、急遽4組の担任となってしまった。


 パタパタとせわしなくも可愛らしい足音が近づき我に返る。

 澄先生は多忙なのに貴重な時間を割いてくれる。

 ならば、自分にできることは彼女をもてなして気分良く帰ってもらうこと。

 着想は微妙にずれているが、一般企業での就労経験のない光莉にとって前職のそれは、生きるために体得した人心掌握術。

「遅くなってごめんなさい、光莉先生!」

 澄はペコペコと詫びる。秋田美人である彼女は顔の汗をハンカチで拭いて前髪をかきあげると、白米のように丸くて艶やかなおでこを覗かせた。

「俺も今来たばかりだよ、澄先生」

 近頃、二人は生徒のいる前以外では名前で呼び合うことにしている。

 過去に光莉と同じ名字の人物から嫌がらせを受けたことがあるから名前で呼んでもいいかと澄に問われ、どこぞの狭間が迷惑をかけてごめん、お詫びに名前で呼び合おうという運びとなった。

 ちなみに、澄に狭間という知り合いは今の今までいない。

 どうしても光莉と呼びたかったがための乙女な嘘だ。そんな些細なことに喜びを感じる二十五歳の乙女。

 だが、それも束の間。

「今日もよろしく。いざVIPシートまでレッツゴー!」

「こちらこそヨローーッ!?」

 両肩にポンと手を置かれて一瞬でドキドキが沸点に達した澄は、ヨーデル歌手もおったまげるほどの裏声を発したまま、鮮やかにエスコートされた。

「飲み物はアイスティーでいい?」

「……へ? アイスティー? あ、それなら私が自販機へ――」

「自家製だから口に合うかわからないけど」

「じ、自家製!?」

「実は冷蔵庫に忍ばせておいたんだ。無糖でいい?」

 呆然としたままコクリと頷く反応を見届け、光莉は給湯室へと急ぐ。

 サプライズはスピーディーかつ流麗な方がいいとすぐに仕上げに取りかかる。

 案の定、迷いのない所作が奏でる氷の音やアイスティーを注ぐ音に澄は聴き惚れていた。

「お待たせしました」

「あ……ありがとうございましゅ!?」

 言葉尻がおかしくなるもの無理はない。それはただならぬ高級感を放っていた。

 自家製のアイスティーに加え、普通の製氷皿では到底作れない透明のロックアイス。

 職場ならこれでも十分なのに、グラスはなんとバカラのタンブラー、ガラス製のコースターの四隅にはスワロフスキーが埋め込まれている。

 極めつけは、それらがテーブルのこの時間のベストポジションに置かれ、レースのカーテンから零れる西日がアイスティーをクリスタルブラウンに透かし、ショーケースに入った宝飾品ばりに輝きを放っている。

 澄はまたも放心していた。

「澄先生?」

「……はひ?」

「どうぞ冷たいうちに」

「は、はい。あの……その前に……もし良かったら、写真撮ってもいいですか?」

「? ああ。まだ撮ったことなかったよね。こんな感じ?」

「ふえっ!?」

 澄はアイスティーの撮影許可を求めたつもりだが、日々客が求める撮影に応じていた光莉は横に座って慣れた手つきで澄を手繰たぐり寄せる。

 彼女とのスキンシップは親近感を得るために数回偶然を装ったことを除けば今回が初めてなので、極力ソフトにしてみたが。

「ふしゅるるるぅ~~」

「あれ? もしかして、俺勘違いを?」

「ら、らいりょうぶれふぅ~。ハッ!? と、撮りましょう! は……はい、チーズ」

 訂正するのはもったいな……申し訳ない気がして、澄は瞬時にスマホを取り出し、緊張で手をプルプルさせながらツーショットを撮影。

 彼女がSSRの笑顔を作れるようになるまでシャッターを何連したか定かではないが、撮れば撮るほど二人の距離が縮まっていく。

「コホン……さ、さて、今日は何の話から始めましょうか?」

「改めて学校のことを教えてもらってもいい? 担任になってから保護者対応が増えてさ。当り前のことを取りこぼしているかもしれない」

「良い心構えですね。では、基本から。ここ才磨さいま女学院は創立百年を超える由緒ある私立高校。県内では女子御三家の一つと評され、お嬢様学校のイメージが持たれています」

「俺もそう思って赴任したけれど、実際は保守的というよりはリベラルかな。生徒にしても、お嬢様系よりも女子校ならではのノリの良い生徒の方が多いし」

「校風がそうなったのは今の校長が赴任してからです。ちなみに、気品を感じる生徒はご家族が才磨出身という可能性が高い。母、祖母が卒業生という生徒もいます」

「そういう家庭は伝統や規律を守って欲しいと要望してきそうだ」

「その通り。だから、下手なことは言えません。そこで……」

「そこで?」

 澄は光莉のある動作が気になり言葉を詰まらせるが、光莉は続きを促す。

「あ、はい。そこで私たちが気にすべきことは、学校の原点である建学の精神なんです」

「校名にもなっている『才磨』だね」

「そうです。だから女性であっても、いえ女性だからこそ……才能を……」

「才能を?」

「あ、はい。えっと、才を……磨くことで……磨……く……」

「どうかした?」

「あ……あの……」

「?」

「光莉先生は、どうして私のグラスを磨いているのですか?」

「……!」

 光莉はハッとする。自分でも気づかぬうちにグラスを拭いていたのだ。

これは前職の職業病。病名は『客のグラスに汗をかかせたらホストとして失格だから、そうなる前に無意識に拭き取るようになった症候群』。

 なんとも不憫な病というか単なる癖だが、前職のことを澄には明かせない。

「勝手に触ってごめん!」

「あ、いえ……それは全然大丈夫ですけど、なんか気になってしまって」

「ごめん気にしないで。それで?」

「あ、はい。女性こそ才を磨くべきという建学の精神は初代学長がお考えになりました」

「ふむふむ」

「教えはかなり徹底されていたと、生徒の祖母にあたる方々からよく……言われ……」

「言われ?」

「あ……はい。よく言われます。だから先生もその精神で生徒の心を……磨……く……」

「どうかした?」

「あ……あの……」

「?」

「光莉先生は、どうして私のグラスを磨いているのですか?」

「……!」

 数秒前の会話をコピペしたかのようなやり取り。

 この後も光莉は澄の教授によって基礎知識を身につけていくが、数分に一度訪れる不毛なやりとりがループされた。

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