独り歩き
智美はあの日を境に行方不明となった。
捜査の結果、智美の奇妙な行動が浮き彫りになった。最終電車に乗り遅れたと思われる彼女が、改札の前で呆然としていたかと思えば、突然振り返り、誰もいない空間に向かって何か話していたのだ。
そして、接客前のお辞儀の練習かと思うような丁寧なそれをしたかと思うと、自宅に向かう電車の改札とは反対方向に歩き去っていった。
その少し前に、自動精算機の前でやり取りしている姿を、駅員に目撃されている。駅員の話によると、駅事務室で乗客対応をしつつ改札内にも目を配っていたら、自動精算機に列ができているのが見えた。先頭の老夫婦が機械の操作に悪戦苦闘している様子だったので、列に並ぶ他の乗客のためにも手助けに行こうと事務室を出たら、老夫婦の後ろに並んでいた女性が先に声をかけて操作方法を教えていたそうだ。その女性こそ智美だったとその駅員が証言した。
ところが、監視カメラの映像では、老夫婦などどこにも映っていなかったのだ。誰もいない自動精算機で見えない誰かと会話している智美の姿が映っていた。
智美の奇妙な行動から、統合失調症などの精神疾患の可能性が疑われたが、駅員もその老夫婦を目撃していることから、智美の精神的な問題ではないとの結論になった。
あの日、自動精算機に並んでいた40代の男からも老夫婦の目撃証言が取れており、老夫婦は『映ってはいないが、存在する』ものとして捜査を進める他ない状況となった。
集団催眠にでもかかったのかと首を傾げたくなる事件だが、警察はひとまずその老夫婦を重要参考人として、行方を追った。
しかし、事件発生から一カ月が経過しても老夫婦がどこの誰なのか特定できなかった。まるでそんな老夫婦など最初からこの世にいないかのように、監視カメラの外の世界にも痕跡すら見つからないのだ。
この気味が悪い事件をマスコミはここぞとばかりに報じ、同時期に実施されている(国民に不利益を与えるような都合の悪い)法案可決の話そっちのけでお茶の間の話題をかっさらった。
監視カメラに映っている姿が気味悪がられるポイントだった。改札前のカメラ映像の中で智美が歩いて行った先には、別のカメラが設置されていた。そちらにも老夫婦の姿など映っていなかった。にもかかわらず、智美は楽しそうに、どこか安心したように、顔を綻ばせて口を動かしているのだ。まるで、誰かと会話しているかのように。
仮に、本当に老夫婦がいたとして、99.99%(小数点第三位以下に無限に9を並べてもいいくらいだ)あり得ないのだが、駅のカメラの画角に入らないように最新の注意を払ってうまいこと駅から出たとしても、駅の外にだってカメラはある。いくら活気の少ない寂しい駅とはいえ、コンビニや商店が無いわけではない。一部界隈で監視社会と言われるほどに張り巡らされた監視カメラに全く姿を晒すことなく移動するなど至難の業だ。
いくら当時が猛吹雪で、普段なら明瞭に映している駅の内外のカメラの景色がぼやけたといっても、智美だけがしっかり映り、老夫婦の姿のみ吹雪に溶けて消えてしまうなど説明がつかない。
報道を見た一般視聴者は、面白半分に騒いだ。
その老夫婦は死神で、だからカメラに映らなかった。そして、智美は死神に魅入られてしまったのではないか。
老夫婦ごと神隠しにあったのではないか。
雪に埋まったままどこかへ運ばれ、捨てられ、氷漬けになって、マンモスよろしく発見される日を待っているのではないか。
特に小学生の間で都市伝説的に流行っていて、滅多に降らない雪の日ばかりか、雨の日までも、帰りに一人で歩いていると爺さん婆さんのお化けに連れていかれるぞ、と噂されていた。
事件の現場からほど近い場所にあるA小学校の3年1組の教室。放課後の教室で帰り支度しながら、数名の児童が例の噂をしている。その会話の輪に笑顔で混じっていた、一際短躯な少年が、分度器の外側で引いた円弧みたいな口を開いて半月型にした。鋭い二本の
「いなくなった女の人、今頃どうなってるんだろう?」
死んじゃってるよー。
生きてないよね、絶対ー。
爺ちゃん婆ちゃんに食われちゃってんじゃねーの。
それぞれ自由な感想を述べていく。少年は笑顔を崩さず、うんうんと頷いて、時折「そうかもねー」と相槌を打つ。
お前、ちっこいんだから、気を付けろよ。
そうだよ。絶対一人になっちゃだめだよ。
爺さん婆さんについて行っちゃだめだからな。
輪の中にいるどの女子よりも小柄で、色白で、母性本能をくすぐるような少年に向けて、全員から心配の声がかけられる。
「うん、気を付けるよ」
そう言って笑いかけ、輪から離れた。
短躯な少年は学友たちと離れると、人気のない校舎裏に向かった。
時々用務員が通るくらいで、教員も児童も滅多に来ないここは、人目を避けるにはもってこいの場所だった。
「ぼっちゃま、本日もお疲れ様でございました」
日陰からのっそりと現れたのは、黒と白で統一された執事服を着た白髪の老人。痩せているが背筋はピンと伸びていて、丁寧なお辞儀をするその姿には無礼を指摘する隙などない。
「今日もお迎えご苦労さま」
「もったいなきお言葉です」
老執事が頭を上げた。あの大雪の日、智美を自宅に招いた老人だった。
「帰ろう」
「はい」
短いやり取りを終えた二人の姿は、今にも雪が降りそうな曇天の夕闇に溶けるように霞んでいき、その場には冷えた静寂のみが取り残された。
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