第15話

 駅中の商業施設には色んなお店があるけれど、どの店を見てもあんまりしっくりくるものはなかった。食べ物とか形に残らないものの方がいいと思ったが、彼女の食の好みを私は知らない。チョコとか無難なものにするのも、いまいちだし。


 ふらふらと施設の中を歩いていると、書店が目に入る。

 そういえば、彼女は本が好きだったっけ。特定のジャンルが好きってわけではないようだから、結局本も選ぶの大変だろうけど。


 不意に、店先に並べられた絵本が目に入る。時期が時期だからか、クリスマスの絵本が多い。私はサンタさんを信じたことはないけれど、空橋さんはどうなんだろう。


「絵本もクリスマスカラーだねー」


 彼女は楽しげに絵本を眺めている。

 彼女の首には私のマフラーが巻かれているが、その下にもう首輪はない。さすがに外でバレたらまずいということで、外してもらったのだ。彼女も散歩で満足したらしく、あれ以上わんこになろうとはしなかった。


 しかし、私のマフラーは返してくれないんだな、と思う。

 寒いから私も彼女のマフラーを巻いているけれど、ちょっと落ち着かない。彼女の匂いがするから。


 別に、えっちな匂いとか、そういうのではない。

 彼女がつけている香水の匂いなのかも、わからないけれど。春の海みたいな爽やかな匂いが、ずっと鼻をくすぐっている。


「懐かしいなぁ。私も小四くらいまで、サンタさん信じてたっけ」

「空橋さんにもそういう時期があったんだ」

「そりゃねー、私も可愛い子供でしたから。くるみは?」

「私は……みずきのサンタになるので忙しかったから」

「もしかして、サンタさん信じてたこと、ない?」

「うん」


 私は絵本を一冊手に取った。慌ただしくクリスマスを過ごすサンタさんのお話で、子供が喜びそうな感じ。


「空橋さん。ちょっと目、瞑って」

「え? いいけど……」


 私は空橋さんが目を瞑っている隙に、読んだことのあるクリスマスの絵本を三冊手に取って、さっさと会計に持っていく。プレゼント用に本をラッピングしてもらって、空橋さんの許に戻る。彼女は退屈そうに、目を瞑っていた。


「まだ?」

「もう、いいよ」


 私は目を開けた彼女に、ラッピングした絵本を差し出した。


「はい、これ」

「……誕生日プレゼント?」

「うん。空橋さんの好みに合うかは、わからないけど」

「開けていい?」

「いいよ」


 彼女は書店から出て、通路の端っこで包装を開け始めた。綺麗に開けて包装紙を畳むところが、空橋さんって感じがする。彼女は三冊の絵本を手に持って、目をぱちくりさせた。


「絵本だ」

「空橋さん、興味あるみたいだったから。絵本、好きになってくれたら嬉しいな」


 私が笑うと、彼女はちょっとだけ、不思議そうな顔をした。


「……ね、くるみ」


 彼女の甘えるような声色が、私は嫌いじゃなかった。

 私よりも背の高い彼女に下から顔を覗き込まれると、やはりちょっとだけドキッとする。彼女が首輪をつけていた時とは、違った意味で。


「ぎゅってしてもいい?」

「えっ」


 まだいいって言っていないのに、彼女は私のことをぎゅっと抱きしめてくる。


 いつもよりもっと濃い匂いがした。本能を刺激するようなものとは違う、爽やかな匂いが心地いい。


「ありがと、くるみ。大切にするね」

「うん。……喜んでくれたなら、よかった」

「嬉しいよ。私が読み終わったら、くるみも読んでね」


 本当に、不思議な人だと思う。

 私の心を覆っていた理性を壊してきた時は、恐ろしいくらいに大人びていたのに。こうして私に抱きついている彼女は、みずきとそう変わらない子供みたいだった。


 惑わされたり、ドキドキさせられたり。

 彼女と一緒にいて心が休まることはあんまりないけれど、一緒にいる時間は特別って感じがする。他の誰とも違う、彼女だけの魅力に、私は完全にやられていた。


 そっと、彼女の髪に触れる。

 空橋さんに触れているって思うだけで、少し手が震える。でも、さっきみたいにちゃんと、彼女の頭を撫でることができた。

 さらりとした感触が、手に馴染む。


「もちろん。誕生日おめでとう、空橋さん」

「ありがとう、くるみ。くるみの誕生日も、たっくさんお祝いするからね!」


 彼女はそう言って、私の手を引いて走り出す。


「こんなところで走ったら危ないよ、もう」

「大丈夫。ちゃんと前、見てるから」

「……しょうがないなぁ」


 誕生日くらい、浮かれてもいいだろう。私はそれ以上何も言わず、彼女に手を引かれた。いつの間にか私は彼女と手を繋ぐことにすっかり慣れて、緊張もしなくなっている。


 私たちは知り合いであり、クラスメイトであり、同時に、もっと別の何かとも言える。そんなよくわからない関係だけど、今、私たちは確かに手を繋いで、同じ場所を歩いている。


 それが少し嬉しくて、目を細める。

 顔は見えないけれど、彼女も笑っていたらいいな、と少し思った。

 私たちはそのまま商業施設を出て、電車に乗った。


「ちょっとだけ家、寄ってってよ。二人でケーキ食べよ」


 私は小さく頷いた。

 スマホを見ると、もうそれなりにいい時間だった。私は一応お母さんに、少し遅くなるとメッセージを送った。


 以前はこの時間に家にいないなんて、考えられなかったけれど。

 寂しさと引き換えに、少しの自由を得た。それを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。なんとも言えない気分にはなるけれど、今日は空橋さんの誕生日だから、余計なことは考えないでおく。


「うちの近所に美味しいケーキ屋さんがあるんだ。そこで買ってこ」

「へえ。空橋さんの家の近くって、おしゃれなケーキ売ってそうだね」

「あはは、まあね。結構有名店らしいよ。くるみはなんのケーキ食べる?」

「うーん……ショートケーキとか?」


 私はケーキの種類なんてほとんど知らない。

 空橋さんの住んでいる家はだいぶ都会の駅近くにあるから、付近のケーキ屋もすごいんだろうな、と思う。


 思えばケーキって、一年に数回しか食べないけれど。

 空橋さんは結構、食べていたりするのかな。


 いくらか空橋さんと世間話をしていると、あっという間に彼女の最寄り駅まで辿り着く。電車を降りた途端冷たい風が吹いてきて、私はマフラーに顔を埋めた。


 空橋さんの匂いがする。やっぱり落ち着かないが、寒いのはあんまり得意じゃないから、仕方ない。私はそのまま、彼女と二人で街を歩いた。


 夜と空橋さんは、とても調和する。昼でも彼女は輝いているのだが、夜にはまた違った魅力を見せてくるというか。この前一緒に夜の街を歩いた時も、同じことを思ったけれど。


 都会の空に星がなくても、星より眩しい空橋さんが前を歩いている。だから星の瞬きが、恋しくなることはなかった。


 忙しく歩く人々に混じって歩いていたら、不意に彼女が振り返ってきた。


「あそこだよ、くるみ」


 彼女は近くにある店を指差す。

 それは外観からしてもうおしゃれな感じのケーキ屋だった。何度も来ているのか、彼女は慣れた様子でケーキを注文している。こういう姿はやはり、私とは違う世界の住人って感じだ。


 彼女はシンプルな苺のショートケーキを二つ買って、家に向かって歩き出す。


 痛いくらいの寒さから逃れるようにマフラーに顔を埋めると、彼女の存在を強く感じた。ケーキ屋から彼女の家までは数分で着いたけれど、歩いている間にすっかり体が冷えてしまった。店の中にいるときは、暑いくらいだったのに。

 彼女に先導されて、玄関に入る。


「おかえり」


 私がお邪魔しますと言う前に、彼女は私の方に振り向いて言う。

 私は目を丸くした。


 毎日聞いている言葉のはずだが、私はなぜかその言葉を初めて聞いた気がした。実際、彼女におかえりと言われるのは初めてではあるけれど。


「……ただいま」

「うん、おかえり」


 ふわふわした心地になりながら、私はリビングまで案内された。

 ただいま、と言ったはいいものの、私はまだこの家に慣れていない。私の家とは違いすぎる家具だとか、匂いだとか、そういうのが——。


 その時ふと、気づいた。

 この前と違って、どこかで嗅いだことのある匂いが部屋に漂っている。見れば、テレビ台に私が選んだディフューザーが置かれていた。それに驚くのは、心のどこかで彼女のことを疑っていたためなのかもしれない。


「今お湯沸かしてるからー……って、くるみ? どうしたの?」

「私が選んだディフューザー、置いてるんだね」

「うん。せっかくくるみが選んでくれたんだし、使わないで保管しといた方がよかったかな?」

「使ってくれた方が嬉しいよ」

「ならよかった。この匂い嗅いでると、くるみの事思い出して楽しいよ。あ、お湯沸いたっぽい。お茶入れてくるね」

「うん……」


 彼女の私に対する好意は、果たしてどこから来ているのだろう。

 少し疑問に思うけれど、好意を向けられること自体は嬉しいから、素直に受け取っておく。


 人の好意というのは、くすぐったいけれど落ち着くような、そんな感じがする。


 私はぼんやりと、目の前にあるハンガーを眺めた。リビングに案内されてすぐにコートとマフラーを預かってもらったけれど。私のマフラーは彼女の服と一緒に、彼女のマフラーは私の服と一緒に掛けられている。それが正しい形であると言わんばかりに。


「お待たせ。今日はルイボスティにしてみました」

「いいね。私、ルイボスティ好きだよ」

「よかった。ハーブティって、意外と人を選ぶからねー。ケーキもどうぞ」

「ありが……」


 彼女の方を見て、私は言葉を止めた。

 かちゃ、と音がする。それは多分、ケーキとティーカップが私の目の前に置かれた音。でも、それを確認することなんてできないくらい、彼女に目が釘付けになる。


 空橋さんの首には、首輪とリードが付けられている。

 今日はもう、終わりじゃなかったのか。彼女はにこりと笑って、私の手に何かを載せてくる。確かな重みのあるそれは、お皿だった。もちろんただのお皿ではなく、どちらかといえばボウルに近いもので。それは間違いなく、犬用のお皿だった。


 その中に、ケーキが入っている。

 私は一瞬、呼吸が止まった。

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