堺。南北朝時代から海外の船も停泊する港街。そればかりでなく、いまは戦乱から町を守るため、周囲に堀を巡らせた環濠都市にまでなっている。

 そんな堺の商家の一室で中年の男が、すまし顔の夢助とにこやかにしている常盤を苦々しげに見ていた。

「なんでわざわざここにまで厄介事を持ち込むのだ、お前らは」

 ため息と一緒に言葉を吐きだす。彼はふたりの上役にあたる人物だが、その顔立ちに年齢は感じるものの、夢助や常盤同様に美しいと言える顔立ちをしている。

「お役目は果たしております。これは常盤さんのお役目のお手伝いですな」

 彼は先に答えた夢助には目もくれず常盤を睨みつけた。

「お前のお役目はあくまで朝廷のご機嫌取り。余計なものまで背負いこむな。お前はあの娘が朝廷に害を及ぼさぬように、寿命をまっとうするまで監視しておればよいのだ。同情など一夜いちやになんの得ももたらさぬ」

 常盤は険しい顔つきの男にも臆することなくくすりと笑ってみせる。

「これもお役目の一環でございますよ。閉じこめてばかりでは、朱火様が朝廷を恨まれてしまうかもしれません」

 反省する様子を少しも見せない彼女に彼は頭を抱える。

「なんでうちの里には、定期的にお前のような変わり者の女が生まれるのだ」

「一夜衆という存在自体が変わり者かと思いますが」

 こちらも気にしているそぶりひとつ見せない夢助に、男は大きく息を吐きだしながら仰向けに倒れた。

「もうよい! 逗留は許す。ただし五日じゃ。それまでには娘たちを連れて京に戻れ」

 常盤は少しばかり驚いたようで眉がぴくりともちあがる。だがすぐにもとの微笑に戻すと床に手をつき深々と頭をさげる。

「ご配慮痛み入ります」

 彼女の予想では長くても三日と言われると思っていたのだ。文句を言いつつも子供たちが初めての長旅であることを考えてくれたのであろう。

 用は済んだと部屋から出て行こうとするふたりの背中に再び身を起こした家主が声をかけた。

「ただあの骨皮躯血という男には、一応注意はしておけ。あやつ死人じゃ」

 ふたりが揃って振り返る。

「足はついておりますが」

 真面目に返してくる夢助に、家主はいまいましそうに舌打ちをする。

「そんなことはわかっておるわ。奴が出てきた出雲では死んだことになっておるということよ。許嫁に先立たれ、傷心のあまり崖から身を投げたそうじゃぞ」

 夢助と常盤は驚きのあまり顔を見合わせた。

「傷心?」

「身投げでございますか?」

 彼には不釣り合いな言葉に、ふたりとも首をひねる。

 一方、話題の主は与えられた部屋で苦笑していた。

「うーみー」

 胡坐をかく躯血の前では小さな拳を握りしめた朱火とのっぺらぼうが仁王立ちしている。相変わらずの無表情だが、不服であることは明らかだ。

「気持ちは察するが、すでに陽が落ちておる。明日まで我慢せい。どうせならしっかりと見たいであろう」

 言ってから疑問が湧き、のっぺらぼうに目をやる。

「お主はみえとるのか」

 躯血が首をかしげれば、のっぺらぼうもかしげ返す。

 周囲のことがわかっているようではあるが、なにせ口がない。真実は彼のみぞ知るだ。

「あらあら、退屈になってしまったようでございますね」

 食膳を運んできた常盤が、申し訳なさそうに部屋へと入って来る。夢助は堺に自宅があるので帰宅し、いまは彼女ひとりだ。

「おぬしらが主人に呼ばれておった間、ずっとこんな感じじゃ。一度しくじっておいてなんだが、わしは護衛であって子守役ではないぞ」

 食膳を畳に並べながら、彼女はくすりと笑う。先程、上役に聞かされた言葉への興味など微塵も見せない。

「申し訳ございませぬ。この屋敷の主はこの周辺の統括をされているかたなので」

 躯血は部屋をぐるりと見まわしてから顎をさする。

「一夜衆と申したな。これまで耳にしたことのない草だが、ここが根城ではないのか」

「里は東国にございますよ。もっとも一族は各地におりますが」

 躯血はなおも彼女らの組織について問おうとするが、朱火がそれを許さない。

「うーみー」

 しがみついてきた彼女の頭を、常盤は優しい手つきでなでる。

「海は逃げませぬよ。朝一番で出かけましょう。そのほうが沢山遊べますよ」

 朱火は諦めきれないのか、俯きながらも常盤の服の裾を引っ張り続ける。

「それにお腹もおすきになりましたでしょう。明日、いっぱい遊ぶためにも体力をつけておきせんか」

 なおも顔をあげぬ朱火の背中をのっぺらぼうがすさする。彼女はようやく裾から手を放し、食膳の前にのっぺらぼうと並んで座った。

 常盤と躯血が顔を見合わせ苦笑する。

「随分と楽しみにしておるのだな」

「私が海の話をお聞かせしたんです。広くて綺麗だと。物心ついたころにはあのお屋敷でおしこめられておいでだったので、少しでもお慰みになると思いまして」

「それは気持ちがはやるのもしかたないのう」

 彼女が悲しげに目を伏せると、躯血も重々しくうなずいてみせた。

「ごはん、食べよ」

 朱火は駄々をこねたのを忘れたように、常盤たちを見つめ小さな声で催促する。

「あら私としたことが、お待たせしてもうしあけありません。どうぞ遠慮なくお召し上がりくださいませ」

 彼女は湿っぽくなりかけた空気を跳ね飛ばすように、明るい声音で食事をすすめた。

 食事を終えると躯血はひとり隣の部屋に移る。

 襖の向こうでは三人が昨日の宿のときと同様、川の字になって休んでいた。

 躯血の部屋にも布団が敷かれてはいたが、彼は布団には入らず、暗闇の中、壁に背をあずける。

 常盤たち一味のねぐらのひとつ。人による危険はないであろうが、彼女が呼び寄せるなかには妖もいる。寝ずの番とまではいかなくても、すぐに動けるようにはしておきたい。そう思いながら彼は目を閉じた。

 しばしの時がたち、軽く夢を見ていた躯血は右手に熱を感じ目をあける。

「どうした、なにか近づいてきておるのか」

 益荒男は帯のままであったが、握る柄が熱を放っていた。

 躯血が周辺を見て回るかと立ち上がると同時に、襖が勢いよく開かれる。

「骨皮様! 朱火様が! 朱火様がいらっしゃいませぬ!」

 襦袢姿の常盤が血相をかえて叫んだ。

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