噂の蒐集家

宵音かえで

噂の蒐集家

 その骨董店のような見た目の店に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。ここに来る前に想像していた、鼻を突くような臭いはなく、代わりに微かな消毒液の香りが漂う。薄暗い店内には、ガラスケースが所狭しと並べられ、中には様々なものが陳列されている。


 私は、この店の噂を聞きつけて、はるばる新幹線に乗ってやってきた。

 曰く、ここの店主は、を蒐集しているらしい。私自身、一端の蒐集家として様々なサロンに顔を出すのだが、先日近所で行われたサロンで話題に出された店だ。しかし、どうも噂が一人歩きしている状態で、誰一人実際に足を踏み入れた者はいなかった。


 不気味な噂の真偽を確かめるため、私は好奇心を抑えつつ店内を歩き回る。


 陳列されているのは、どれも奇妙なものばかりだ。海藻が絡みついた古い浮き輪、錆びついた錨、水中で形を変えたであろう奇妙な金属片。どれもこれも、水にまつわる品々であることは確かだが、溺死体そのものは見当たらない。この奇妙さは、まだ序の口なのだろうか。溺死体を蒐集する過程で得た付属品のようなもので、実際は店の奥にまだ秘密が…?


「いらっしゃいませ」


 背後から声をかけられ、私は振り返った。人の気配がなかったので、少し鼓動が逸る。そこに立っていたのは、痩身で背の高い、スーツ姿の男だった。顔色は青白く、目の下には隈ができている。どこか負のアウラを纏っているが、年齢は四十代くらいだろうか。


「何かお探しですか?」


 男はにこやかに微笑みながら、私の顔を覗き込んだ。私は男の顔をじっと見つめ、意を決して尋ねた。


「あなたは、この店の店主さんですか?」


「ええ、そうです」


 男は微笑みを深めた。つまり、彼が噂の蒐集家、というわけだ。話から想像できる人物そのものの風貌をした男の目を、私はじっと見つめた。その瞳の奥には、底知れぬ闇が潜んでいるように思える。


「あの、噂で聞いたのですが……」


 この不気味な状況下で、言葉を慎重に選ぶ必要があることは分かっていた。しかし、蒐集家としての好奇心が刺激されすぎて、つい口からは、そのままの言葉が零れてしまった。


「あなたが溺死体を蒐集しているというのは、本当ですか?」


 男の表情が、一瞬にして変わった。微笑みが消え、瞳には冷徹な光が宿る。軽蔑するように突き放す目線に、私は思わず少し後ずさった。


「それは、本当ではありません」


 男は淡々と言った。「私はただ、水にまつわる品々を蒐集しているだけです」


「でも……」


 私は食い下がった。言ってしまったものは仕方がない。ならばいっそ、真実を突きとめて見せよう。


 「これらの品々は、どう見ても普通の物ではないでしょう。価値ある芸術品や骨董品ならともかく、普通の人なら目もくれないような、薄汚い物ばかり並んでいる」


 男の眉が僅かに顰められたのを見て、私は急いで次の言葉を考えた。誰だって、自分の蒐集物がこんな言われ方をしたら、気を悪くするだろう。得体の知れない不吉な雰囲気があるこの男を、今はあまり刺激するべきではない。


「もちろん、価値を見いだせないのは、私の主観の中だけの話です。だからこそ、これらの品々は、あなたにとってどんな価値があるのかお聞きしたい。どうも水だけではない、何かに関連する品々のように見えますしね。

 …それこそ、溺死体のような」


 男はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。


「確かに、これらの品々には、関連性があります。

 なぜなら、それぞれが物語を持っているからです」


 男は言った。「水にまつわる物語です。それは、時に喜びに満ち、時に悲劇に満ちています。水というのは不思議なもので、生命に不可欠なものでありながら、最も生命を奪う自然物の一つですから」


 男はガラスケースの中の、ひときわ奇妙な品を指差した。それは、人間の左手の形をした、 小さな像だった。決して本物ではないことは、その無機質で重みを感じない見た目から判断できた。


「これは、ある女性の手を模したものです」


 男は言った。「その女性は、海で溺れて死にました。しかし、彼女の手は、最後まで何かを掴もうとしていたそうです」


 私は、ガラス越しに像をじっと見つめた。確かに、伸ばされた細い指先は、水中で何かを掴もうとしているようだ。よく見ると、薬指には指輪のようなものまで模されている。私は男に尋ねた。


「彼女は、何を掴もうとしていたのですか?」


 男は肩をすくめた。「それは、誰にもわかりません。もしかしたら、命だったのかもしれませんし、もしかしたら、愛だったのかもしれません。彼女の死の背景に潜む物語を詳しく調べなければ、推測もできませんね。まして真実など、彼女以外の人間が知る由もありません」


 男は再び微笑んだ。「私にとって大切なのは、彼女が最後まで何かを掴もうとしていたということです」


 私は男の言葉を受けて、思考の波に潜る。人は、死ぬ最後の瞬間まで何かを掴もうとするのだ。とどまることを知らない人間の欲と執着心は、時に人を繁栄させ、時に人を滅ぼす。彼女の手は、何を求めていたのだろうか。どんな人生を送ったのだろうか。少なくとも、こんな場所に飾られ、知らない男にその背景について想像を巡らせられることなど、きっと想像もしていなかっただろう。


「あなたは、なぜ これらの品々を蒐集しているのですか?」


 私は男に尋ねた。男は再び沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。


「私は、これらの品々を通して、人々の記憶を繋ぎ止めたいのです」


 男は言った。「水は、すべてを洗い流してしまいます。しかし、 こうして水にまつわる物に宿る記憶は、水に流されることはありません。見る者に、そこに宿る記憶を連想させてくれる。たとえそれが真実でなくても、確かにこれらの物の記憶が刻まれるのですよ。私はその矛盾のような可能性を秘めた品々に、強く惹かれた。だから、たとえ低俗な噂を流されようとも、私は私の蒐集品に誇りを持って店を開いているのです」


 私は男の言葉に、心を打たれた。男は、溺死体の収集家ではなかったし、噂から想像されるような、悪趣味な思想も持ち得なかった。むしろ高尚な趣味を持った、物の記憶と人々の記憶を繋ぐ橋渡しの役割を担う仲介者と言えるかもしれない。


「この店にある物は、すべて販売されているのですか?」


 私が尋ねると、すぐに男は頷いた。「ええ、そうです。興味のある品があれば、お気軽にお申し付けください」


 私は店内をもう一度見回した。どの品々にも、それぞれの物語と記憶が詰まっているのだ。何か、私にとって想像しがいのある、惹かれる記憶はあるだろうか。

 私は、一つ手に取った。それは、小さなガラス瓶に入った、一見何の変哲もない砂だった。


「これは、どこの砂ですか?」


 私は男に尋ねた。男は微笑んだ。「それは、ある海で拾った瓶に、私が詰めた砂です。その海では、とある海難事故の影響で多くの人が命を落としました」


 私はガラス瓶を注意深く見つめた。彼の話を聞いた後だと、私にはこの砂の一粒一粒に、人々の記憶が詰まっているように思えた。事故で宿主が溺死体になった後、記憶だけが海を漂いつつも形を変えず、流れ着いた浜の砂に宿るような、そんな情景さえ浮かんでくる。


「この砂を買います」


 私は男に言った。男は微笑んだ。「ありがとうございます」


 私は砂の入ったガラス瓶を手に、店を後にした。 購入した水の記憶を抱きしめながら、私はしばらく思考に耽り、往来を歩き続けた。

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噂の蒐集家 宵音かえで @summer_maple_88

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