8.「俺が、お前を、やっつけるんだ」

「我にはまだ為すべき事がある。貴様にかまけるのもこれまで。では、さらばだ」

「ふっぐぅぅぉぉおお――」

 破天は、一息に圧し潰そうとはせず一歩ずつ間合いを詰めようとする俺を嘲笑うかのように少しずつ質量を増やしていく。

 身体中の骨が軋んでいる。筋肉が悲鳴を上げている。

 血流が逆行しているかのように熱く寒い。

 視界が歪んでいるのは眼球が潰れているからだろうか。

 内臓が圧迫される違和感、激痛、嘔吐感。

 頭が痛い。脳はまだ無事なんだろうか。

 とにかく、あいつに近付いて、一発叩き込まないと、このままじゃ、本当に、死ぬ。

 遠くからリルちゃんの声がした気がした。

 リルちゃんとレフくんは、無事だろうか。

 今は、全力で、本気で、あいつを、どうにかしないと。

 どうにか。どうすればいいんだ?

 思考が狭くなっていく頭の片隅に疑問符が浮かんだその時だった。

 遠くから近付いてくる音が聞こえた。

 重いものが風を切る音。

 俺の陰から飛来したそれは、重い刀身をやじりのように突き出して、空間を押し退けながら破天を目掛けていた。

 破天も、いち早くそれに気づいていた。避けようと身を捩るが、気付くのも動くのも遅すぎた。

 破天は俺を押さえつけるように左腕を突き出していた。

 飛来した剣――ライくんが持っていた、えっと、グライディウス? が矢のようにその左腕に突き刺さり、勢いのままに斬り飛ばして森の向こうに消えていった。

「なんっ、だとおおぉぉぉっ!?」

 破天が無くなった左肘から先を掲げて絶叫する。それは痛みに混乱するというより、憤怒といった絶叫だ。

「だ、何者だぁっ!」

 血走った目で剣が飛んできた先を睨みつける破天。

「死に晒せぇっ、社会の屑がぁっ!」

 剣の後を追うようにして、ライくん――ライガーマギカが盾を構えて突っ込んできた。

 片腕を失ったとて、破天の重力はおそらく自分の周囲一定距離内であればどこにでも発生させられる。突っ込んでいけば思う壺だ。

 どうにかしてそれを伝えたいと思う内に気が付いた。俺を押さえつけていた重力が軽くなっている。これなら……。

 だが、二人の接敵は俺が動くより早く訪れた。

「ぐぁっ!?」

 跳躍した勢いのまま直角に地面へと叩きつけられるライガー。瞬殺だったな……。

「貴様、貴様ぁ、我の腕を、よくも、このまま大地の汚れとなり雨に流され塵と化して詫びろぉ!」

 先を失った二の腕を抑えていた右手がレフくんに向けられた。

「詫びまでの工程が長いw!」

 突っ込みつつ飛び出していた。

 ライくんに飛び掛かるようにして押しのけると、それまでライくんのいた地面がズブズブとへこんでいった。

 重力は質量から生まれる空間のへこみだ。引力が生まれるのはへこんだ空間に落ちていくのを引かれているように感じるから。こいつの重力が同じ原理なら、俺たちを潰そうとするときは頭の上じゃなくて足元に重力を発生させていたということになる。

 ライくんのいた地面が圧縮されて、きれいな球形に消えた。

 え、潰れた地面はどこいった? 潰しただけならいろいろ残ってるはずじゃん? まさかこれから爆発したり?

 ライくんをかっさらった勢いで破天から離れ、残り少なかった雑魚もちょうど片付け終わったところのリルちゃんとレフくんのところに一息で飛んだ。

「モトムさんっ、ライくん!」

 気付いたリルちゃんが剣を納めつつ駆け寄ってくる。汗で張り付いた前髪が色っぺぇ、良い匂いしそう~、フェチ的な意味で。

「おいテメエ!」

 肩を貸していたライくんにいきなりスウェットの胸倉を掴まれた。

 え、助けたのに何で鬼の形相? っていうかライくん、ライガーの変身解けてる。

「感謝の意思表示にしては乱暴じゃない?」

「感謝なんかしてねえんだよ! なんで破天に止めを刺さなかった! 俺を助ける前に奴を殺せよ!」

「ライ、落ち着いてください、傷に障ります!」

 レフくんがそっとライくんを俺から引き剥がそうとする。

 傷?

 俺に掴み掛っているライくんの右膝から下が潰れていた。絞った雑巾みたいに捻じれて骨も肉も判別がつかない脛から下がブラブラしている。

「おいテメエ、答えろ、なんで破天を殺さなかった。返答次第じゃ今ここで殺す」

 ほんとにやりかねない殺意を込めて睨んでくるなぁ……。

 なんで殺さなかったって、そりゃ……。

 盗み見るように破天も様子を窺った。

 まだ痛みと血が止まらないのか、地面に膝をついて背中を丸め、ぶつぶつと何かを呟きながら左腕の止血をしている。

「だってさ、そんな、いきなり殺すみたいな覚悟あるわけないじゃん? 俺、一昨日まで普通にニートしてて――」

「いきなりじゃねえ、覚悟を決める時間ならいくらでもあったろうが!」

 怒鳴られて、ぽかんとなった。そういや俺、他人に怒鳴られるってことなかったっけ。こんな、頭と心の中身が吹っ飛ぶような感じなのか。

「待って下さいライくん! それはわたしの誤算なんです、本来はモトムさんには援護だけ――」

「だとしても!」

 俺の胸倉を掴む拳がギリリと鳴った。

「こっちは帰りを待ってる奴がいんだよ! この期に及んでダラダラ遊び気分で死ぬ奴の巻き添えなんてまっぴらだ!」

 いや、見捨てろとか待ってる奴がいるとか言ってること滅茶苦茶なんだけど……そういうもんなのかな。ライくん、感情的だし。

 ああ、そういやライくん、それとレフくんも結婚してるんだっけ。一瞥したレフくんの横顔も表情が硬く、誰かを思い出しているようだった。

 ここは異世界だ。現実とは違う。

 俺たち現実世界からきた人間は魔法使いで、異世界にもともと住んでる人たちは一般人だ。

 魔法使いは一般人とは違うらしい。

 俺たちはどこまでも異質で、異能だ。

 俺は、どこか他人事でいたのかもしれない。

 覚悟がない?

 当然だ。

 現実でも覚悟なんて言葉と無縁だった俺が、異世界に来てすぐに覚悟完了できるとでも?

 覚悟って、なにすりゃいいんだよ……。

 レフくんとライくんにとって、この世界はもう現実なんだろうな。

 そりゃ、何十年も生きてりゃ、実感も湧くんだろう。

 ライくんも、リルちゃんもレフくんも破天でさえ、生きてる活力が俺とは全然違う。夢とか希望とかがむしゃらに追いかけられるんだろうな。

 あるいは、追いかけてないと生きられないのか?

 何も答えない俺に愛想が尽きたのか、ライくんが突き放すように俺の胸倉を解放した。

 突き放して、むしろ身体が動いたのは片足しかないライくんの方だったけど。レフくんが支えて、転ぶことはなかったが。

 そのまま、ライくんはレフくんに応急処置をして貰い始める。

 俺は、それを突っ立ったまま眺めていた。

 頭の中では『魔法使い』と『異世界』と『覚悟』がグルグルと巡るだけでどこにも行き着く様子がない。

 なんか、昔もこんなことあったよな。その時は『どうせ死ぬまで遊んで暮らせるからいっか』って考えるのをあきらめて解決したんだっけか。

 気づけば、俺はまだライくんとレフくんの応急処置を見ていた。いや、時間にすれば数秒か。まだ傷の具合を見ている段階だ。

 見兼ねたように、リルちゃんが隣に立った。

「ライくんの言ったことは気にしないで下さい。確かに魔法使いは戦う運命にあるのかもしれません。でもだからって、押し付けられた運命に絶対に従わなければいけないなんて、嫌です。だからわたしは、誓騎士団で戦います。運命と戦いたい人たちの代わりに。モトムさんのこともわたしが守りますから、安心してくださいね」

 ああ、君もか。君も、覚悟があるのか。

 違うんだよ、そうじゃない、そうじゃないよ、リルちゃん。

 運命とか、覚悟とか、戦いとか、そうじゃない。

 そんな難しい話じゃない。

 ただ、俺にいろいろ足りてないってだけなんだよ。

 だからそんな、憐れむような目で見ないでくれ。

「大丈夫、リルちゃんもそろそろ魔力やばいんでしょ?」

「え、なんでわかるんですか」

「さっき雑魚と戦ってるとき、最小限の魔法でやりくりしてたから」

「……よく見てらっしゃるんですね」

「リルちゃんのことだから」

「なんだか照れますね」

 うおおお、美少女が笑顔で顔を赤らめて照れるところとか初めて生で見た。これは堪らんな!

「……不愉快だ」

 向こうから、血反吐を絞り出すような憎悪色の声が聞こえてきた。

 破天だ……。

九生誓騎士団魔法使いの恥さらしに痛手を負わされた事も、貴様らと魔法使いの信念が通じる事も、実に、実に不愉快極まりない!」

 破天が痛みを堪え、立ち直った。

 怒りに全身を震わせながら、ふわりと宙に浮かんだ。まだまだやる気満々って感じだ。

 あいつも相当だけど、こっちもかなり満身創痍だ。

 片足を失ったライくん。

 魔力がほとんど底をついているリルちゃん。

 そもそも魔法での白兵戦に向かないレフくん。

 こいつらの罠に飛び込む前に打ち合わせていた内容じゃシロネコ分隊第三班は別動隊としてチームを三つに分けたらしいけど、そっちにも破天公の足止めが行ってる可能性が高い。あてにできるもんじゃないな。

 当初の予定通り俺が抱えて逃げるにしても、当初の予定じゃリルちゃんとライくんは自分の足で逃げて、レフくんを俺が運んでいく予定だった。しかも破天の存在は考慮されていなかった。

 今はもうその作戦も、ほぼ全員を抱えて空を飛べる破天から逃げなきゃいけないとかいうクソゲーと成り果てた。

 つまり、俺たちが生き残るには最低でも破天を撃破しなきゃいけないってわけだ。

 それを、リルちゃんがやろうとしている。

「『破天公』首魁『破天』、君を『魔法使い保護法第二条の二』に於いて拘束する」

「貴様らが勝手に決めた法など法ではないわ!」

 破天が吠える。

 リルちゃんが剣を抜き、片手で魔法を発動させた。

 一触即発の対峙の間に、俺は進み出た。

「だから、それは違うんだって、リルちゃん」

「モトムさん……?」

 リルちゃんの肩を押し、退がらせる。

「マダオの模造品、貴様も逃がすつもりはないぞ」

 見下してくる破天の目を見上げる。

「安心しろ、逃げるつもりもないから」

 なんとなく楽しくなって、ほくそ笑む。

「俺が、お前を、やっつけるんだ」

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