第19話 猪熊山

 東京都下に位置する高尾山に近接した猪熊山は、パワースポットとして知る人ぞ知る存在であった。八王子市の某街道を延々と下り、周囲に畑しか見えなくなった道をさらに下り、畑も民家も見えなくなったあたりが猪熊山の入り口である。イノシシやクマが出没することでその名前が付けられていたが、クマは出没しない。イノシシもまれに出没するが、地元の猟友会によって牡丹鍋にされている。

 山を少し登ると開けた広場があり、小川が流れ、爽やかな木漏れ日はとても神秘的な気分にさせてくれる。知る人ぞ知る存在だが、いかんせん交通の便が悪すぎるので都心からわざわざやってくる人はほとんどいない。


 俺は夜中にけたたましい音に叩き起こされた。俺は地元のボーイスカウトを引率して猪熊山でキャンプをしていたのだが、深夜二時過ぎに大量の車が何台も入ってくる爆音とヘッドライトがテントに照射された。俺は急いで外に出て叫んだ。

 「ここにテント張ってるんだ!別のとこ行ってくれ!」

 別のテントから隊長の服部が出て来た。服部隊長と手分けして、車を別の開けた場所に誘導する。山の反対側は土木工事をやっているから、そっちに行かないように注意喚起する。いくら捌いても次から次へと車がやってくる。なんなんだ、こいつら。空が白み始めた頃、ようやく車列の誘導が終わった。もうクタクタだ。服部隊長とテントに戻ってすぐ寝たが、子供達の起床は六時のため、正味一時間しか眠れなかった。


 「ピー、ピッピッピッピ」

 俺は制服に着替え、ホイッスルを鳴らした。制服に着替えた子供達、スカウトが馬蹄型に集合する。

 「報告、一班四名集合終わりました。」

少子化の影響か、俺の所属しているボーイ隊は全員で四人だ。俺がスカウトの時は六人一班で五班あったのに時代は変わったものだ。

 「国旗掲揚、一班。」

 俺が指示すると年長者である班長と副班長が俺から国旗を受け取り、ポールに国旗を取り付けた。

 「国旗に向かって敬礼」

 ボーイスカウト特有の三本指の敬礼をし、その後連盟歌を歌った。

 「おはようございます。今日でキャンプ訓練は終わりです。来た時以上に綺麗にして帰るように。これからクラフトやるから、本部タープ前に集合ね。解散。」


 スカウトに竹クラフトをやらせている間、俺は昨夜の車列が気になって駐車スペースに行ってみることにした。昨夜の喧騒とは打って変わって、駐車スペースは廃車置場のように静寂に包まれていた。スモークガラスを貼っていない車をちょっと覗き込んでみた。死んだような顔をした六十過ぎの男性が椅子を倒して寝ていた。

 少しウロウロしていたら、初老の女性に声をかけられた。

 「あの、ここら辺にトイレないですか?」

 「トイレですか。ここを少し下ったところに仮設トイレが一つだけあります。紙は無いですから持って行った方がいいですね。」

 「ありがとうございます。」

 他愛の無い話をして、本部タープに戻ると、人の姿がない。ちょっと離れた場所を探しにいくと、服部隊長とスカウトが穴を掘っていた。

 「どうしたんですか?」

 「いやさ、下のトイレが長蛇の列みたいでさ、ここにも何人か来たんだよ。野糞撒き散らされても困るし、訓練にもなるし、穴と竹とブルーシートで簡易トイレ何個か作ろうと思ってさ。」

 「そうですね。よし、俺も穴掘るぞ。スコッを貸してください。」


 そうこうしているうちに簡易トイレが四つほど完成した。噂を聞きつけたのか、俺たちの行動に興味を持ったのか、十人ほどの老人がやって来た。

 「トイレを作りました。もし良かったらどうぞ。」

 「これじゃ野糞と変わらないじゃねぇか。」

 悪態をつく老人もいたが、大体の老人はフレンドリーだった。ただ、どこか陰があった。あと、何だか見覚えのある顔も多かった。

 一人が終わる毎にスコップで土をかける。穴がすっかり埋まってしまったら別の

穴を掘って‥の繰り返しだ。いつの間にか昼になっていた。

 「用を足したら上からスコップで便が隠れるまで土をかけて下さい。」

 人の列もひと段落したので、そう張り紙を残してボーイ隊全員で本部タープに戻った。

 食事の準備をしていると、先ほどトイレを使った初老の夫婦が声をかけて来た。

 「先ほどはありがとうございました。もし良かったらこちら食べて下さい。」

 そう言うと、メロンを三つ俺に渡して来た。

 「いやいや、お気持ちだけで結構ですよ‥そうだ、今ちょうどお昼ができたんですが、ご一緒しませんか。」

 服部隊長は予備の折りたたみ椅子を出し、夫婦を促した。

 「じゃ、お言葉に甘えて‥お、これなんですか?」

 「空き缶で作った鶏めしです。たくさん作ってるんでどうぞ。」

夫婦と一緒に俺たちは昼ご飯を食べた。デザートにはメロンをいただいた。

 「いやー、キャンプでご飯食べるなんて何十年ぶりかわからないよ。なかなかいい経験出来たよ。」

 夫婦は小笠原と名乗った。旦那さんの方はとても満足そうだ。

 「ところで、こんなところに皆さん何しに来られてるんですか?」

俺は昨日の夜からずっと気になっていたことを聞いてみた。一瞬、旦那さんの顔が曇った。しかし、ゆっくりと話し出した。

 「ハイキングに来た、と言うのは嘘になるな。なんと言うか、僕らは逃げて来たんです。ここにいれば安全という噂を聞きつけて。」

 「逃げる?地震とか津波とか来るんですか?」

 「そんな具体的だったら対処のしようがあります。ただ漠然と死が襲ってくるんです。ジョン・タイターの予言、聞いたことがあるでしょう。」

 俺は眉間に皺をよせた。確かにワイドショーで賑わっていたが、死ぬのは有名人ばかりだし、正直どうでもよかった。

 「私たちはタイターに予言された者たちなんです。」

 「なんでまた、こんな辺鄙な山奥に?」

あまり首も突っ込みたくない気もしてきたが、俺の疑問は尽きない。とりあえず好奇心が勝った。

 「ここは、ものすごい力のあるパワースポットで有名なんです。予言された人がこの山で生命の息吹を浴び、何人も生還しています。」

 俺は小さい頃からボーイスカウトでこの山に来ているが、パワーなんて感じたことなかった。むしろ先輩にシゴキ抜かれた嫌な思い出しかない。嫌な思い出しかないのに大人になってもリーダーをやってるのは俺がドMだからである。

 「隣の高尾山なんてお釈迦様の骨もありますし、パワーもすごいんじゃないですか?」

俺はちょっとからかい半分で尋ねた。すると   

 小笠原はものすごい勢いで喋り始めた。

 「結界理論でいうと、皇居を中心として、高尾山と成田山、筑波山が霊山となります。東京は、それら霊山のパワーを集めて発展してきた。災害にも強い。関東大震災も東京大空襲も丸の内周辺は無傷だ。しかし、それらの力はより大きな次元に対する護符であり、我々のような凡夫にはその加護が及ばない。霊山のパワーのおこぼれをもらうには、別の方法しかないんです。それがここ、猪熊山。ここは、ちょうど高尾山とねじれの位置にあります。高尾山の霊力が同心円上に放出されているとすると、その波紋がこの山で一旦遮断されることとなります。そのことにより、揺らぎが増幅され、我々も恩恵を授かれるようになるんです。量子テレポートと同様の理論で、成田山と筑波山のパワーもここに転移されます。」

 俺は、何をいっているのかさっぱりわからなかった。とりあえず神妙な顔つきで頷いておいた。

 「いや、でも来てみてわかりました。ここには神秘的な力がある。あの滝はオーラの源だ。」

 旦那さんはここから薮の先にかろうじて見える滝を指差した。滝は、高さ三メートルのコンクリートの堤防から流れ落ちている。幅は一メートルくらいか。とても滝なんて言える代物じゃない。

 「嘘だろ。こいつら頭おかしい。」

 俺は老夫婦二人に聞こえないように呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る