12



 目を覚ました瞬間、やってしまった……!!と顔を手で覆い隠した。


 早く帰ると言いながら泊まってしまうという失態。さらに言えば広々とした見知らぬベッドに主人は不在である。


 全然成長してないぞ、私……!


 良い大人がこうもだらしなくてどうする。ベッドの上で「失礼しました……!」と土下座したのち足を下ろし、リビングに向かうとさらに頭を抱えた。奏叶さんはソファーで寝ていたからだ。


「(やってしまっている……!!)」


 もう一度顔を両手で覆った。ここが家ならば訳もなく叫んでいるにちがいない。


 その場にしゃがんで奏叶さんの寝顔を見つめた。


 奏叶さんの寝顔を見るのは二度目だ。


 初めて会った──……あの一夜が明けて、私は奏叶さんよりも早く起きた。早く起きて、すやすやとねむる彼を起こすなど出来なくて、帰るを選択した。


《ありがとうございました。失礼します》そんな書き置きを残して。


 奏叶さん、さすがに寝顔まで綺麗だ。すっぴんで毛穴がないって、どういう……


 ふと自分の肌に手を当てた。化粧を落とした記憶が無いのだ。しかし頬の表面に粉っぽさはなく、かと言って油分もない。


 まさかメイク落としまでしてくれた……?


 ぺたぺたと自分の肌が潤いに満ちていることに感動する。赤の他人にここまでしてくれるのならば、恋人ならばこれよりも手厚く愛するのだろうか。


「(……かえろう)」


 脈絡もなく不意に思い浮かんだ欲望。そんな邪な気持ちをかき消すように帰宅を選んだ。検証相手ってだけで迷惑なのに、ベッドを占領してはさらに迷惑だ。奏叶さんの家は確かオートロックだったので、勝手に出ていっても大丈夫だろう。


《帰ります。お邪魔しました》


 外に出て奏叶さんの部屋を見上げたとき、そんなメッセージを送った。今度、我が家のおにぎりを昼食として献上しよう。


《いないんだけど》


 そんなことを考えていると、奏叶さんからメッセージを受信した。しかしながら寝ぼけているのか全て平仮名だし、何を探しているのか私は検討もつかない。


《誰がですか?》

《あやみ》

「(私?)」


 帰りますってメールはしっかり送信していた。さらにきちんと既読が付いているので、私に落ち度は無いはずだ。


《奏叶さんの寝顔が可愛すぎたので先に帰りました》

《起こせよ》

《ごめんなさい》


 それ以降奏叶さんからの返信はなかった。彼の気まぐれはすぐさま終わったらしい。




「あやみ今日も残業?手伝えることがあったら言ってよ〜?」


 トートバッグを肩に掛けた彩葉は、もうすっかり退勤モードだ。この状態で、モデルの選定手伝って、なんて言えない。


「うん。これ終わらせたら帰るよ」

「無理しないでね〜」

「ありがとう」


 彩葉との会話を終わらせて残った仕事に取り組む。


 共同開発は順調に進んでいる。先日、パッケージ案を出されたけれど正直、可愛すぎて悶絶した。従来、弊社の製造ラインに使用されているピンクと、Queensの黒を掛け合わせて作られたデザインは洗練されたロゴと可愛い色味が相まって、社内評価も上々だ。


 それに伴い私の手が回らないのは事実だ。私が無理を言って共同開発に関わらせてもらったから、弊社ブランドの発信は間違っても怠ってはならない。手を抜いてしまったらその時点で私は今まで積み重ねてきたキャリアが崩れてしまうから。


 アップ用の写真を撮るためのモデル、それから相性のいいメイクアップアーティストを結びつけていると、突然父からメッセージを受け取った。


「……んん?なにこの写真」


 添付された写真を見てすぐさま残業を切り上げた。有馬と父の写真だったからだ。


「結城、おかえり〜」

「おかえり、あやみ」

「うん、ただいま」


 店内は混雑の時間と少しずれていたのでお客さんは少なく、有馬と父の二人が迎え入れてくれるのでカウンターに並んだ。有馬はすでに食事を終えているらしいので、私は茶漬けセットを頼んだ。


「え、奏叶と!?」


 有馬と会うのは奏叶さんと再会して初めてで、有馬と会うからには隠すべきでは無いと思い打ち明けることにした。


「うん。仕事で共同開発することになって。会社で会ったんだ。すごい偶然だよね」


 事実だけを告げた。聞き慣れない人物に父が「カナト?」と首を傾げるのもまた当然だった。


「うん。私の幼なじみなんだけど、結婚式でちょっと知り合ったのよね?」

「そう。たまに会って、一緒に飲んでる」

「ああ、もしかして朝帰りの相手か」


 カウンターの向こうから「お待たせ」と鮭ハラスのおにぎりとお茶漬けセットが乗ったトレイが渡され、隣からは「え!?まさかそんな関係!?」と有馬の驚きがセットで届いた。


「違う、誤解」


 既成事実は作られているけれど、素直にはいそうですよと言える可愛い私でもない。


「奏叶、良いと思うけどな〜。共同開発とか、運命じゃん」


 不憫だ。倉木奏叶という男が不憫だ。好きな人にいい男だと認められているのに、恋愛対象とはならかったらしい。


「奏叶ってやつ、良い男?」

「うちの旦那と結城パパには負けるかな〜」

「有馬ちゃんは二人の友人として、あやみとカナトは合うと思う?」

「う〜ん、どうだろ。私は良いと思うけど、そればっかりは当人しかわからないからなあ」


 有馬が頬杖をついた。奏叶さん、可哀想に。好きな人に好意的に思われているのに、それは恋に付随するものでは無いらしい。

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