愛してるの代名詞
1
あれから、奏叶さんは約束通り私の送迎をしてくれた。朝は家の近くのコンビニに迎えに来て、定時で帰れるときはもちろん残業の時も時間が合えば迎えに来てくれる。至れり尽くせりな王子様なのか。まあ、その王子さまは私の友達のことが好きだし、私の検証に付き合ってくれているだけなんだけどさ。
その日は予定されていた職場の同期会だった。
〈今日は飲み会です〉と奏叶さんに送ると〈分かった〉と彼はすぐに了承した。
幹事は彩葉と営業の男性社員。二、三年もすれば半分になるという同期は、今まさにちょうど半分を切っていて、四年目になると結婚も聞くものだ。
「えっ、内尾さん、結婚するの!?」
破談になった私は置いといて、内尾さんは嫁に行くと言う。
私の周辺にはあちこち幸せが転がっていて、みんな、その幸せを余すことなく受け取っているらしい。
「わかんない、わかんないよ?もしかしたら、そうなるかもって話」
当の内尾さんは謙遜する。けれど、そのワードが出たのなら、相手も結婚を意識しているということだ。
「そうなんだ……!やーんおめでとう!幸せになってね」
「ありがとう」
幼い頃、幸せっていうのは歩けば当たるような確率で当たり前に落っこちていて、それらは絶対に見つけることが出来て、勝手に自分の元へ落ちてくれるものだと思ってた。幸せが目の前にやってきた時に、掴むことが出来るか出来ないかで、幼い頃は親が掴んでくれた幸せを私に与えてくれたから、勝手に幸せをかなえてくれていたのだと今なら分かる。
「あやみ、二次会どうする?うちら、内尾に彼氏との馴れ初め聞いちゃおうって話してるところ」
「ていうか私、内尾に彼氏いるなんて知らなかったんだけど」
一次会が終わり、会は自然と二次会の流れとなった。真実さんの言葉に頷くと「私はなんとなーく知ってたけど」と、目敏い彩葉は目を輝かせる。流石だ。
自分の恋愛は良いとして、誰かの恋バナは楽しいし、潤う。
「カラオケにする?マイク必須じゃん?」
「確かに」
(……あ、)
不意に逸らした視線が捕まえたのは、見覚えのある背の高い男性。
思わず、数メートル先にいるその人のもとへ駆け出したくなった。しかし私の足は、行きたい場所に私を届けなかった。彼の隣には、見知らぬ美しい女性が居たからだ。
女性の腰まである長い髪の毛が、軽やかに揺れる。身長、スタイル、それから美貌、そのすべてを見ても、お似合いだと見て取れる。
「ねえ、あれ倉木さんじゃない?」
彩葉が気づく。真実さんの視線がつられる。
「ほんとうだ。わ、彼女?」
みないで。早く二次会に行こう。
喉の奥に溜まった言葉は吐き出されることなく飲み込む。
「どうだろ。そういうひと、何人かいそうじゃん」
私たちが知りたいのは奏叶さんじゃなくて、内尾さんのことで。
「四、五人の美女を侍らせてる感じしない?」
そんなの憶測でしかなくて、憶測なのに想像できて。
「分かる、割り切れずに全員から好意寄せられてそう」
「それを分かって、上手にローテ組んでそう」
「うわ、想像つく」
「でも、イケメンはそれでいいんだよね、それでも遊ばれたいんだよね、会えるならなんだっていいんだよね」
「本気にならない方が絶対いいやつじゃんそれ!!」
分かってる。恋愛なんてするつもりはないし、現を抜かしている場合じゃないし、私は検証相手なだけだし、欲の一つも向けられていないことくらいわかっているの。それなのに、どうしてこんなにも胸が押しつぶされそうなほど苦しくなるの?
「……ごめん、私やっぱり帰るね」
「え?」
「内尾さんのことはまた今度聞かせて?じゃあまた」
行きたい場所に行けと言ってくれた。それは逃げじゃないって。逃げることは、恥ずかしいことじゃないんだと。
けれど私はその人から逃げるように夜の街をかけ出した。
帰宅して、張り詰めていた空気が抜けるみたいにベッドにぼすんと飛び込んだ。お風呂もまだなのに、このまま眠ってしまいたい。
ヴヴ……とポケットの中でスマホが震えた。だらけた腕がスマホを探り当てた。
奏叶さんからのメッセージだった。
《明日会える?》
……ローテーションであれば、私は何番目なのか。
そもそも私は全く色気のない相手だから、ローテーションにいれるのも烏滸がましい。キスだけだもん。補欠要員が妥当。
《会えません。朝も早いので一人で行きます》
真っ白なスケジュールを無視して不可能の返事をした。素っ気ないのでたまたま見掛けたたぬきのキャラクターのスタンプに謝罪をプラスさせる。
《じゃあまた今度》
奏叶さんはすぐに返事をくれた。苦しくて、ずしんと重たくなった胸の中の感情は軽くならず、泣きたくなるのを我慢したかった。
奏叶さんには会いたくない。なのに、抱きしめて欲しいと思うのも奏叶さんだ。
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