第20話 因果の連鎖



真は図書館で一枚の古い写真を見つめていた。


1974年、学園祭の写真。エピステーメー、若き日の影山、そして真の祖母。しかし、それだけではない。写真の端に、ある違和感が潜んでいた。


「おかしい」真は指でその部分を示す。「この人物、半分しか写っていない。でも、これは意図的なトリミングではない」


村松が覗き込む。「まるで...その人物が、現実から消えかけているような」


「ええ」柏木結衣が資料を広げる。「同じ現象が、今また始まっています」


彼女が示したのは、最近の学校行事の写真たち。そこでも、特定の生徒たちの姿が、徐々に透明化していっているのだ。


真は机に資料を広げた。

- 1974年の事件記録

- エピステーメーの研究ノート

- 現在の異変データ

- アレーテに関する記録

- 影山の実験記録


「これらの事象には、必ず法則性がある」


真は、一つ一つの事実を紡いでいく。


まず、1974年の事件。

エピステーメーと影山が行った実験により、時間の歪みが発生。その影響で、特定の人物が「存在しなかったこと」になりかけた。


次に、アレーテの出現と消失のパターン。

50年という周期性。しかし、それは単純な繰り返しではない。


そして現在の異変。

生徒たちの姿が消えかけている現象。

まるで、過去の事件が再現されているかのように。


「でも、違う」真は立ち上がった。「これは単なる再現現象ではない」


その時、図書館の時計が異様な音を立て始めた。

針が、逆回転を始める。


「来ました」柏木が警告する。「予言されていた現象が」


窓の外では、奇妙な光景が広がっていた。

校庭の桜が、一日のうちに咲いては散りを繰り返している。

まるで、時間が圧縮されているかのように。


「これは...」村松がエピステーメーのノートを確認する。「『時間の結節点』。過去と現在が交差する現象」


真は、すべての点が繋がり始めるのを感じていた。


1974年の実験。

それは「必然のイデア」を操作しようとする試みだった。

因果関係そのものを書き換え、望ましい結果だけを残そうとした。


しかし、それは予期せぬ副作用を生んだ。

時間の歪み。

存在の不安定化。

そして...


「分かった」真は声を上げた。「アレーテは、その歪みを修復するために現れる。エピステーメーの意志を継いで」


だが今回は、状況が違う。

影山は過去の過ちを認識している。

そして真には、識者としての力がある。


柱時計の異常な動きが加速する。

窓の外では、より激しい時間の乱れが起きていた。


そして、真は決定的な事実に気づく。

写真に写る「消えかけた人物」。

現在の異変で姿を消しつつある生徒たち。

彼らには、ある共通点があった。




「共通点がある」真は資料を指さした。「消えかけている人々は皆、『選択の分岐点』に立っている」


柏木が息を呑む。「選択の分岐点?」


「そう。1974年の写真で消えかけていた人物は、当時の生徒会長。彼は重大な決断を迫られていた。そして今、姿が薄れつつある生徒たちも同じ」


真は現在の写真を並べる。

生徒会役員の山田:進路について重要な選択を控えている

美術部の中島:コンクール出展作品の決定に迷っている

陸上部のエース松本:大会出場を諦めるか悩んでいる


「彼らの共通点は、今まさに人生を左右する選択の瞬間にいること」村松が理解を示す。「しかも、その選択が他者にも大きな影響を及ぼす立場にいる」


突然、図書館の本棚が軋むような音を立てた。

本が、勝手にページをめくり始める。


「見て!」柏木が叫ぶ。


ページの文字が浮き上がり、空中で新たな文章を形作っていく。

それは、まるで未来からのメッセージのようだった。


『選択は連鎖する。一つの決断が、無数の可能性を生み出し、また消し去る』


その時、真の脳裏に閃きが走った。

影山の実験の本質が、ついに理解できた。


「影山は、選択の結果を完全にコントロールしようとした」真は説明を始める。「必然のイデアを操作することで、すべての選択を『正しい結果』に導こうとしたんです」


「でも、それは逆効果だった」村松がエピステーメーのノートを確認する。「選択の可能性を限定すれば、その分だけ存在の重みが失われていく」


図書館の窓から、異様な光景が見えた。

校庭では、同じ場面が何度も繰り返されている。

生徒たちが部活を選ぶ場面。

進路を決める場面。

コンクールの作品を決める場面。


「時間が、重要な選択の瞬間を繰り返している」柏木が分析する。「まるで、正しい選択を探るように」


その時、図書館のドアが開いた。

影山が、苦しそうな表情で入ってくる。


「もう、限界です」彼は苦しげに言う。「私の実験の影響が、臨界点に達しようとしている」


真は、影山から受け取った一冊のノートを開く。

そこには、驚くべき事実が記されていた。


影山の実験は、単なる「選択の制御」ではなかった。

それは、「選択そのものを不要にする」試み。

すべての可能性の中から、最適な結果だけを現実として定着させる。


「だが、それは大きな代償を伴う」影山は続ける。「選択の自由を失った存在は、次第に現実からも消えていく。なぜなら...」


「選択こそが、存在の証だから」真が言葉を継ぐ。


外の光景が、さらに混沌としていく。

時間が、より激しく歪み始めた。


そして真は、決定的な事実に気づく。

この現象を止めるには、ある「究極の選択」が必要なのだ。

しかも、それは...




「究極の選択...」真は静かに言った。「それは、アレーテが行った選択と同じものだ」


柏木と村松が、真の表情を見つめる。


「アレーテは、自らの存在を賭けて選択をした」真は説明を続ける。「それによって、一時的に時間の歪みは収まった。でも、それは根本的な解決ではなかった」


図書館の窓から見える景色が、さらに混沌を増していく。校庭では、桜が咲き乱れる春と、木枯らしが吹く秋が同時に存在していた。


「時間軸が完全に乱れている」村松が警告する。「このままでは...」


その時、真は古い写真に最後のヒントを見つけた。

写真の隅に小さく写る時計。

その針は、現在の異常現象と同じように逆回転していた。


「分かった」真の声が震える。「なぜ影山の実験が失敗したのか。なぜエピステーメーが姿を消したのか。そして...」


真は立ち上がり、窓際に歩み寄る。

外では、より激しい時間の乱れが起きていた。

しかし、その混沌の中に、一つの法則が見えてきた。


「時間は、螺旋を描いている」真は説明を始める。「過去から未来へ、そして再び過去へ。でも、それは単純な円環ではない。らせん状に進化している」


「それが、必然のイデアの本質?」柏木が問う。


「ええ。影山の実験が失敗したのは、この螺旋を直線に変えようとしたから。すべての可能性を一つの『正しい選択』に収束させようとした」


影山が深くうなずく。

「その通りです。私は、時間の螺旋を否定しようとした。選択の自由を奪い、完璧な結果だけを残そうとした」


突如、図書館全体が大きく揺れる。

本棚から本が落ちる音。

窓ガラスがきしむ音。

そして...


「来る!」村松が叫ぶ。


図書館の中央に、光の渦が出現した。

それは、まるで時間そのものが具現化したかのよう。


渦の中から、懐かしい声が響く。

アレーテの声。

エピステーメーの声。

そして、まだ見ぬ未来からの声。


『選択は、未来を創る』

『しかし、それは必ずしも正しい未来とは限らない』

『それでも、選択する自由こそが、存在の証』


真は、自分がすべきことを悟った。

識者(コグニター)としての能力が、最大限に高まる。


「僕には見える」真は瞳を輝かせる。「時間の螺旋が描く、真実の姿が」


彼は、光の渦に向かって歩み出す。

その時、真の体が淡く光り始めた。


「待って!」柏木が叫ぶ。「危険よ!」


しかし真は、既に決意を固めていた。

「大丈夫」彼は振り返って微笑む。「これは、僕の選択だから」




光の渦の中で、真は時間の本質を見た。


無数の選択が織りなす、巨大な螺旋。

それは人々の意志が生み出す、壮大な網目。

過去から未来へ、そして新たな可能性へと伸びていく。


「見えます」真は光の中で語りかける。「すべての選択が、螺旋を描いている」


彼の意識は、時間の流れそのものと共鳴していた。

そこには、これまでの全ての謎を解く鍵があった。


1974年、影山とエピステーメーの実験。

それは「正しい選択」を強制することで、人々から自由を奪おうとした。


現在の異変。

それは50年の時を経て、歪んだ実験の影響が限界を迎えた結果。


そして未来。

まだ見ぬ可能性に満ちた、無数の分岐点。


「分かった」真は悟った。「時間を正しく戻すには...」


真は識者としての能力を解放した。

光の渦が、彼の意志に呼応して形を変えていく。


「選択の自由を、取り戻すんだ」


瞬間、図書館全体が光に包まれた。

消えかけていた生徒たちの姿が、徐々に実体を取り戻していく。

時計の針が、正しい方向に回り始める。


影山は静かに目を閉じた。

「これが、本当の答えだったのですね」


光が収束していく中、真は最後の真実を見た。

アレーテが消えたのは、彼女自身の選択。

そして、それは新たな可能性への扉を開く選択でもあった。


「選択には、必ず代償が伴う」真は理解した。「でも、その代償を受け入れる覚悟こそが、選択の本質なんだ」


図書館に、静寂が戻る。

窓の外では、穏やかな夕暮れが広がっていた。


「終わったのね」柏木が安堵の声を上げる。


「いいえ」村松が言う。「むしろ、これは始まり」


確かに。これは終わりではない。

真は新たな可能性を感じていた。


彼の選択は、時間の螺旋に新たな輪を加えた。

そして、その先には...


「アレーテ」真は空を見上げる。「きっと、また会える」


図書館の本棚に、一冊の本が現れた。

『時間と選択の哲学 - 必然のイデアに関する考察』

著者名は空欄。

まるで、これから誰かが書き記すのを待っているかのように。


真は柏木と村松に向き直った。

「さあ、新しい選択の時間だ」


夕陽が図書館を赤く染める。

それは終わりであり、同時に始まり。

新たな謎と、新たな選択が、彼らを待っていた。




渦の中で、真は過去の記憶が蘇るのを感じた。


アレーテとの出会い。

エピステーメーとの対峙。

そして、ソフィアとの別れ。


それらは全て、時間の螺旋の中の一つの輪だった。そして今、その螺旋が完全な形を現そうとしている。


「見えてきた」真は光の中で目を凝らす。「時間の螺旋には、七つの結節点がある」


真は、浮かび上がる映像を一つずつ確認していく。


第一の結節点:エピステーメーと影山の出会い

「完璧な世界を作り出せる」という影山の信念と、「知識による導き」を信じるエピステーメーの理想が交差した瞬間。


第二の結節点:1974年の実験

時間を操作し、全ての選択を一つの「正しい結果」に収束させようとした試み。


第三の結節点:実験の失敗

エピステーメーの消失と、時間の歪みの始まり。


第四の結節点:アレーテの出現

エピステーメーの意志を継ぎ、しかし異なる方法を選んだ存在。


第五の結節点:真との出会い

識者(コグニター)の覚醒の契機となった瞬間。


第六の結節点:ソフィアの登場

新たな可能性を示唆する、未来からの使者。


そして第七の結節点:現在のこの瞬間。


「全てが繋がっている」真は理解を深める。「これらの結節点は、ランダムに生まれたものではない。全て、必然のイデアが導いた選択の結果」


光の渦の中に、新たな映像が浮かび上がる。

それは、まだ見ぬ未来の可能性。


「選択には、必ず代償が伴う」再び、アレーテの声が響く。「でも、その代償を受け入れる覚悟があれば、新たな可能性が開ける」


真は、自分の選択が何をもたらすのか、理解していた。

識者としての能力を使い、時間の歪みを正す。

しかし、それは同時に大きな犠牲を伴う。


「覚悟は決まった」真は光の中で微笑む。「これが、僕の選んだ道」


彼の意識が光の渦と完全に同調する。

時間の螺旋が、その本来の形を取り戻していく。


しかし、その過程で真は予想外の光景を目にする。

未来の可能性の中に、見覚えのある姿が。


「アレーテ...?」


いや、違う。

アレーテでもソフィアでもない。

さらに新しい形をした、未来からの訪問者。


そして真は理解した。

これは終わりではない。

むしろ、新たな物語の始まり。


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