第36話 ふたりのり
保君、もしかして待っていてくれたの。
ドキドキしながらも扉を静かに開くと、チラリとこちらを見た保君は再びスマホに目を落とした。
あ、あれ?
思わず硬直して彼の背中を凝視する。
……ひょっとして別に私のことを待っていたわけじゃないとか!?うわああ、手を振りかけちゃったよ!相当恥ずかしい!!暑さで頭がやられたのかも!
「おせぇよ、こけし」
顔を両手で覆って得意の自己嫌悪に陥っていると、溜め息と共に届いた呆れたような声。
弾かれるように顔を上げた私を、立ち上がってポケットにスマホを突っ込んだ彼がまっすぐ見つめていた。
「ほら、行くぞ」
え、あ、よ、良かった……。
心の奥底から安堵しながらも上手い言葉が出てこない私をよそに、保君は隣に止められていた自転車に跨り、再びこちらに目を向ける。
「それ寄越せ」
面倒くさそうに向けられた指の先に視線を送ると、肩にかかるカバン。
「あ、大丈夫。自分で、」
「早くしろ」
「よろしくお願いいたします……」
うな垂れながらカバンを差し出せば、保君はそれを無造作にカゴに押し込んだ。
よし、身軽にしてもらったし頑張るぞ!
彼がペダルに足をかけたので、心の中で意気込む。ついでに、念入りに足首をまわした。
……のに、いつまで経っても自転車が走り出す気配はない。まさかパンク?
タイヤを見ても特に異常が無さそうなので顔を上げると、鋭い目で射抜かれた。
ひっ。
「何ぼさっとしてんだ。早く乗れや」
「え、乗るって、私も!?」
あまりにも予想外だったので素っ頓狂な声を上げると、返事の代わりに忌々しげな舌打ち。
「当たり前だろうが!普通に考えてお前を走らせるって選択肢はねぇだろ!」
は、走る気満々だった!!
「でも、ほら、2人乗りは禁止で、」
「うぜぇ。面倒くせぇから早くしろ」
目に見えてイライラし始めている保君に恐れをなして慌てて頷く。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
私は不良になります。
「まだ何かあんのか!?」
立ち尽くす私を睨みあげる保君。
これ以上油を注ぐわけにはいかない!!
「あの、ごめんね、お言葉に甘えて乗せていただくから降りてもらってもいい?」
「は?」
ああ、やっぱり怖い。
私は震えながら自分を指差した。
「いや、だから、ほら、漕ぐ人が前だよね?」
保君の額に、青筋が立った。ぶち、という何やら不穏な音が聞こえたような気がしなくもない。
自転車から降りて、乱暴に両足スタンドを下ろした保君は大股で私との距離を詰めてくる。
や、やばい、完全にご機嫌を損ねた。
どどどうしよう、殺られる。
目をきつく瞑った瞬間、ぐいっと両脇の下に手が入った。かと思えばそのまま持ち上げられ、体が浮く。
っえ!!?
「ったく、どこまでパシリ気質なんだよ」
今度は眼球がこぼれ落ちそうなレベルで目を見開く私を、彼は軽々(切実にそう願うが)荷台に座らせた。
「お前はここで大人しく俺にしがみついてりゃいいんだよ」
私の頭をぐしゃぐしゃ撫でながら見下ろす保君は、ふん、と鼻で笑ってからスタンドを蹴り上げた。
いったいっ!!!
浮いていた後ろ側が着地してお尻への衝撃がダイレクトに伝わる。私、今飛び上がったんじゃないかな。
「お前が来るまでずっと地図見てたからな。稜汰の家にはちゃんと着くはずだ」
は、はずって。
それにしても保君って自転車登校なんだ。なんかバイクとか乗ってたらどうしようとか思ってたから安心した。あ、まだ免許取れる歳じゃないか。
「行くか」
サドルに腰を下ろした保君がグッとペダルを踏み込むと、彼の背中に守られつつも生温い風を顔と体に受ける。
晴れていながらも、どこか遠くに雨の匂いを感じる。また雨が降り出すのかもしれない。
というか、待って。
「は、速いよ保君!落ちる落ちる!」
「だからしがみついてろって言っただろ!」
ひぃいいい!!
荷台をがっしり掴んでいた私は「そ、そんなこと言われても」と眉尻を下げる。
立ち漕ぎしてたら不可能だよ保君!!
自転車に乗っているとは思えない速さで過ぎていく景色に身震いをしつつ思いっきり手を伸ばす。私に掴まれた保君は勢いよくサドルに腰を下ろした。
「おいコラ、危ねぇだろうが!!」
むむむ矛盾だよ!それは全ての盾を砕く矛でどんな矛をも通さない盾を突くようなものだよ!
普段なら怒鳴られたらすぐに手を離すし、そもそも色々葛藤して彼には触れないと思う。
でも今は別だ。
落ちて無残にもゴロゴロ転がっていく自分を想像してゾッとする。やばい命がかかってる。
へっぴり腰になりながらも、ぎゅっと必死に彼にしがみつく。お尻が痛い!!
保君が怒ったような顔をこちらに向ける。ままま前見てお願い!!
「どこ触ってんだ!!」
紛れもなくお腹だよ!!!どうして顔が赤いの保君!私だって1歩間違えれば顔どころか全身が真っ赤になっちゃう確率大なんだよ!
「こけし!!」
立ち漕ぎはやめていただいたというのに、自転車はぐんぐん進んでいく。焦り気味の保君に大声で「はい!」と返事する。私こけしじゃないけども。
「離れんなよ」
……今、なんて?
「聞こえないよ保君!お手数おかけしますが、もう1度お願いします!」
なんだか今日は風が強い。
でも内容が全く聞き取れなかったのは、たぶん保君が声を落としたからだと思う。
「道間違えたって言ったんだよ!」
「ええええ!?」
結局、稜汰君のお家に辿り着くのに30分かかり(ちなみに徒歩30分の距離らしい)、その頃には保君はなぜか汗一つかいていないのに頬を染めていたし、私はなぜか自転車を漕いでいないのに髪をボサボサにして疲れきっていた。
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